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魔法の風景 4

ヒエロニムス・ボスの本名の姓アーケンAken は、ドイツ語ではArchenとなる。そう、ベルギー、オランダ国境に近接するドイツの都市アーヘンである。で、1418年の記録には、彼の祖父のヤン・トマスゾーン・ファン・アーケン Jan Thomaszoon van Aken がシント・ヤン大聖堂の近くに一軒家を所有するとある。つまり、このお祖父さんはこのころドイツのアーヘンからここデン・ボスへと移住してきたわけだ。
さらに、1423年になると、シント・ヤンSint-Jan大聖堂の記録に画家ファン・アーケンの名が現れるが、これはほぼ間違いなく、我らがボスのお祖父ちゃんのことであろう。

このヤン・トマスゾーン・ヴァン・アケン Jan Thomaszoon van Aken には、トマ Thoma、 ヤン Jan、 ユベール Hubert、 ホ―セン Goessen 、アントニウス Anthonius の5人の息子がおり、全員画家になったという。
ただ、このへんの情報はちと錯綜していて、たとえば日本での資料によると、祖父の息子は4人だったとか、五人だったとしてもそのうち画家になったのはホーセン、アントニウス、トマスの三人だけだったとか、さまざまであるが、身共としてはオランダの資料を採用したい。

ちなみに、兄弟全員が画家だったかどうかについては、あまり問題にしなくていいだろう。というのも、彼らはヤン・ファン・アーケンのもと、けっこうな規模の絵画制作屋さんを営んでいたからだ。そうなると、画家としての腕もさることながら、絵の具の調合とか、今のカンバスに相当するパネルの制作、下地塗り、釉塗り、その他、絵画制作に直結する作業だけでも多大の人手を必要とするからである。なので、ユベールとヤンは、どちらかというとそういった補助的仕事に携わっていた職人だったと考えてもいいんじゃないかな。

さて、彼らの仕事の中心は、やはりなんといっても住居兼アトリエ工房の近くにそびえたっていたシント・ヤンス大聖堂だった。そもそも祖父ヤンがアーヘンくんだりからデン・ボスの中心地の大聖堂近くに移り住んだのも、そこでの画業がらみだったに違いない。なにしろこの教区教会たるや、14世紀から16世紀という長い歳月をかけて建設されたもので、しかも圧倒的にデコラティヴ。内装はまだしも、外から見ると威圧されるというか、あきれ果てるほどの装飾的彫刻がごてごてとあふれかえっている。職工や画家・彫刻家の手がいくあらあっても足りないほどだったのも想像に難くないであろう。

でもって、この装飾的彫刻というのがまた超面白くて、身供などは行くたびに首が痛くなるほど見つめたりカメラに収めまくってりしておるが、いわゆるゴブリンってやつですな、呼び方はいろいろありやすが、要するに怪物系。
いささかなりともヨーロッパ史をかじったことのある御仁ならどなたでもよくご存じのように、キリスト教というのは土着の宗教を完全に排除して全欧州を席巻したわけではない。それはあくまでも表向きのこと、実はこの怪物たちや、土着の祭りなんかも、やんわり巧妙に取り込みながら広く根付かせていったわけで、上っ面だけ見ていてもその心は見えてこない。

特に中世というのは、未知の世界・闇の世界に異常なほどの興味関心ならびに恐れの気持ちがもたれていた時代で、人々の妄念や妄想や悪夢なんかが、世界イメージの主役だったようです。この物語の当初のタイトル『悪夢のクロニクル』は、そのへんの事情を織り込んだつもりだったんだけど、中世末期であるこの時代となると、必ずしもそれだけでくくることはできない。むしろそこから脱出し始めた冒険の時代なんだよね。
なので、今のところ『野望のクロニクル』とかにしてますが、これだってぴったしとはいいがたいし。ま、たしかにコロンブスとかブルゴーニュ公家とか、いやいや、ほかならぬハプスブルク家なんてのになると、モロ野望って感じもなきにしもあらずとはいえ、こうやってボスのことをお話ししていると、この人にはあんま野望は感じられないんだよね。そんなの超越してるって感じでさ。むしろ『妄想のクロニクル』って感じですね。

映像プロモーションの原作として連載中。映画・アニメの他、漫画化ご希望の方はご連絡ください。参考画像ファイル集あり。なお、本小説は、大航海時代の歴史資料(日・英・西・伊・蘭・葡・仏など各国語)に基づきつつ、独自の資料解釈や新仮説も採用しています。