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2021年・お盆

毎年お盆には、仏壇のある弟夫婦の家に行く。お花とお菓子とビールを持って。そこに長男と仏さまを守っているといった体裁の母がいるからだ。しかし今年のお盆、母は私の家で暮らしている。昨年末からお正月に勃発した家族故の戦争..... いろいろあって、本当にいろいろ.......母という人間をいよいよ知ることとなったこの半年余り。お正月明けからずっと、一日足りと離れることなく日々を過ごしている。そして当然ながらここに仏壇はない。

それで、父方、母方入り交じって亡き祖父母や叔父叔母たち、全部一緒に写真を並べて、花や果物、お菓子を飾って蝋燭に火を灯した。蓋付きの珈琲カップ....茶碗蒸しの時にも重宝する器は、お線香立てになってなかなかお洒落なテーブルが出来上がった。突然のお盆風の設えに母は大喜びで以来毎朝、お線香をあげている。15日には、娘がひとりで叔父の家へお参りに行き車で送られて帰ってきた。コロナで外食もできないし、家族でも同じ空間に長居は出来ないから、我家の簡易祭壇にお線香をあげて僅かな時間を一緒に過ごした。母は喜んでいたが、やはりどこかで本物の仏壇のことを思っただろう。葉山の新居に移る時に買い求めた仏壇で、私も一緒に浅草橋まで行ったことを覚えている。....家を継ぐ=仏壇を継ぐとはどういうことなんだろう。

離れることなく一緒に居るというのは正確ではなく、実は一日だけ私は家出をした。どうしても家に足が向かなくて暗がりの中、近所の公園のベンチに座っていた。そして娘に謝りながら知人の家に泊まりに行った。疲れていて悲しかった。娘は朝方までずっと付き添いながら暴言をはく祖母を観察したようで、翌朝電話ですべてを話してくれた。彼女が下した結論は初期の痴呆症...........。そう思えばこの半年に起こったことはすべて腑に落ちる。

「だからね、お母さん。否定しちゃだめなんだよ。喧嘩したらどんどん心を閉ざして言動が乱暴になる。心の傷を労ってあげなくちゃだめなんだよ。そうしたら進行はしないと思う。まだ間に合うよ。」.......... それが結論。一晩家を離れた私は、爽やかな朝の時間の中で、娘の言葉を素直に受け止めることができた。「分ったよ。もう腹を括るしかないんだね。もう悩まない、大丈夫だよ。」...... そうして私は家に帰った。その前に弟夫婦に会って、「すべては初期の痴呆症が引き起こしたものだから、少し割り引いて考えよう。もう覚悟決めたから上手くやっていくよ。」と伝えた。......... 義妹の母は初期のアルツハイマーが進行中である。

母の心の傷は勿論、自分自身の気の強さが引き起こした結果でもあるから、言ってみれば自業自得。だけどそうなるにはその原因があるのである。それを辿っていくと、多分去年の春あたりからジワジワと心を痛めていたのだろうと思い当たることがある。

今日もちょっとした言葉のやりとりで、私が冷たく応対したら即座に娘に怒られた。「おばあちゃん、きつく言われると涙目になるんだよ。優しくしようよ。」.........「ごめんね。私が悪かった。謝るよ」........ それから添い寝して昔話をした。たわいもない親戚の話で、それも私は会ったことすらない、多分もう亡くなっているであろう母の叔父の奥さんのこと。

一切否定しない、ウルトラ級に気の強い母に対してこれを貫くのは苦行である。天使ではないのでいつも優しくはしていられない。だけど、優しさが脳を蘇らせることは確かだ。半分痴呆で半分正気。今のはどっちだろうね?と娘と首をかしげることもしばしばである。そんな最中にあって引越しもした。そういう日々にもう突入してしまっている。最大級の上質なユーモアで乗り切るしかない............。


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