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12年目の3月11日。あのときのことを語り継ぐ|宮島達男「タイム設定ワークショップ」レポート

YAU STUDIOは、さまざまな表現領域で活動するアーティストやアートマネージャーをはじめ、幅広い思考で活動するワーカーが集う。多様なのは集う人だけでなく、場のあり方も一緒だ。

YAU  STUDIOも、YAUそのものも、東日本大震災の時はまだ存在していない。しかし、宮島達男さんから、ご本人が震災をきっかけに始めた「時の海 - 東北」プロジェクトの「タイム設定ワークショップ」の相談を受け、人の想いが集う場としてYAUを選んでもらったときから、当時の私たち一人ひとりと、有楽町で働いていたであろう人の残像を胸に、(パンデミックによる変化が続く中で)人が肩を寄せ合い、再び心を通わせることを楽しみに当日を迎えた。

「時の海 - 東北」プロジェクトで公開中の記事をわずかに編集して引き継ぎ、ここに掲載する。(YAU 実行委員 東海林慎太郎)


2017年にスタートした宮島達男によるアートプロジェクト「時の海 - 東北」プロジェクトのタイム設定ワークショップが、東京で初開催された。
これまで参加した人数は1,800人以上。この日も約100人の参加者が東京やその近郊、遠くは九州、山陽、関西、東海エリアと各地からYAU STUDIOに集まった。

本レポートでは、実際にワークショップを体験したライターの視点から、ワークショップ当日の様子を紹介する。

文=佐藤恵美(編集者/ライター)撮影:加藤甫(写真家)
画像提供=「時の海 - 東北」プロジェクト


■東京で初めてのタイム設定ワークショップ

東日本大震災発生からちょうど12年目の2023年3月11日。YAU STUDIOにて、「時の海 - 東北」(以下、時の海)プロジェクト タイム設定ワークショップが行われた。

2017年にスタートした「時の海」は、現代美術家の宮島達男(みやじま・たつお)が東日本大震災をきっかけに構想したアートプロジェクトだ。

3,000人の参加者が設定したカウントダウンのスピードが異なる数字、それに込めた想いを3,000個のLEDガジェットにのせ、東北の海が見える場所に作品を恒久的に設置し、さまざまな思いを馳せる時間や場を生み出すことを目指している。

ワークショップ当日、YAU STUDIOに展示された、「時の海 - 東北」のデモンストレーション作品。展示は同時期に開催されたオープン・スタジオの会期中も続いた。
宮島達男「時の海 - 東北」のスケッチ(2018年)

作品となる数字のLEDは、9から1までカウントダウンを繰り返す。ワークショップでは、参加者にこのカウントダウンの速さを0.2秒から120.0秒までの秒数のなかから設定してもらい、その秒数に決めた思いなどを言葉にして共有するというものだ。

2017年から全国各地やオンラインで開催してきたが、実は、東京での開催は今回が初めて。この日は、約1時間のワークショップを2回行い、乳児から70代までさまざまな年齢層の109人が参加した。

参加者が記入した時間が作品になる
YAU STUDIOに集まるワークショップ参加者

■東日本大震災の出来事が風化しないように

YAU STUDIOからは、東京・有楽町の高層ビルがよく見える。眼下にはJR有楽町駅と線路を走る電車。12年前、東京の街も大きく揺れた。窓の外に広がる、いつもと変わらない日常の風景を眺めながら、あの日の記憶、あの日の出来事をふっと想像してしまう。そんな場所でのワークショップの開催となった。

ワークショップが始まると、最初にプロジェクトディレクターの嘉原妙(よしはら・たえ)が全体の流れを説明。今回は手話通訳も取り入れ、手話で表現する「時の海」も紹介された。そして、参加者全員で黙祷。電気を消して1分間、静かな時間が流れた。

手話での「時の海」の表し方を説明
電気を消して黙祷する参加者

黙祷のあと、宮島がプロジェクトについて紹介した。数字がカウントしていくLEDの作品をつくり続けて30年以上。最初に発表したのは1988年。同年には瀬戸内海にある直島でのプロジェクト「家プロジェクト 角屋」で、島に住む125人に参加してもらい作品を制作した。

そのほか、東京都現代美術館、イタリアのヴェネチア・ビエンナーレ、香港のインターナショナル・コマース・センター(ICC)などをはじめ、国内外の各地で作品を発表、活動してきた経緯が紹介された。

モニターに映るのは、森美術館で開催された「STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ」 (2020年)でも展示した際の「時の海 - 東北」の作品の様子

「時の海」を始めたきっかけは、宮島自身の東日本大震災での経験にさかのぼる。震災発生当時、東北芸術工科大学に勤めていた宮島は、学生の安否確認とボランティアのために被災地に入り、その状況を目の当たりにした。人間の無力さを感じ、1年ほど作品をつくることができなかったという。

ただ、時が経つにつれて東京近郊では元の生活が戻り、震災の記憶も徐々に薄れ、風化していくことへの危機感を強く感じた宮島は、今こそアーティストとして何かしなければという思いで、このプロジェクトをスタートした。

「実際に制作されるLEDは青や緑、その間の色など、海をイメージしたグラデーションを想定しています」と紹介する宮島

「私の作品は、LEDカウンターが9から1までカウントダウンしていき、0を表示しないでまた9に戻ります。延々と繰り返される数字のカウントは、生命の永続性を表現しているんですね。このカウントのスピードをみなさんに決めてもらい、被災地をはじめ各地の方々の思いをのせたLEDカウンターの作品を東北の海が見える場所に設置したいと思っています。ぜひみなさんの好きな数字、秒数を考えてください」

■好きな数字に思いをのせて

こうして約30分間、参加者は自由に数字を設定していった。すぐに書き始める人、じっと考えてから数字を書く人、一緒に来た家族や友人に相談する人……。それぞれに思いを巡らせていった。

書き終わった参加者からスタッフに記入用紙を預ける。スタッフは数字に込められた参加者の思いを聴いて、用紙を受け取っていった。

ここからは、ワークショップに参加した方の様子や声をいくつか紹介したい。森美術館で開催された「STARS展」で、宮島の作品を見たことをきっかけに参加した小学5年生の男の子は、「1秒」に、一緒に参加した男の子の叔母さんは「5.5秒」にしたそうだ。

「苦手なことも努力して一番うまくできるようにと自分に伝えるため、イチバンの『1』にしました」(男の子)

「宮島さんの直島の作品も何度か見に行って、いつか参加したいと思っていたので、今日は参加できてうれしいです。祖母が明治時代の最後の年の生まれで、家族のつながりを考えて、祖母の誕生日にしたいなと思いました」(叔母)

ほかにも、自身の誕生日にまつわる数字を書いた都内に住む女性は、12年前は仙台に住んでいたそうで、震災当時のことをこのように語った。

「震災当日は携帯電話も使えず情報もなかったので、翌日になったら全部が元に戻っているだろうと思っていたんです。でも、ライフラインが全部止まって、家にいるのが不安で、近所の友人たちと一緒に何日間か避難所生活をしました。あとで津波の甚大な被害を知り、そのときに自分は生かされているんだ、と思いました。生きているなら自分の人生に悔いを残さないようにしたい。そう思ってその年に上京しました。それでしばらくして、たまたま森美術館で宮島さんの作品に出会い、私もこのワークショップに参加してみたいと思って今日は来ました」

お母さんと一緒に参加した女性は、最初は数字がなにも思いつかなったけれど、あのときのことを思い出すきっかけになり感謝していると語り、自分自身の始まりの数字を設定していた。

「1.10秒と書きました。理由は1歳10ヶ月のときに耳が聞こえなくなったから。自分のなかのスタートラインの数字にしました」

「娘に誘われて一緒に参加した」と話すお母さんは、当時のことを振り返りながらこう話した。

「震災のときに東京にいました。娘は中学1年、息子は小学4年で、当日は学校に子供たちを迎えに行くことになり、とても不安でした。家族全員が家に無事に帰ることができてほっとしたことを覚えています。ただ、東北のニュースを見て大変な衝撃を受けました。私も家族もろう者なので情報が不十分なこともあります。もし震災が起きたとき、どうやったら離れている家族に会えるのかを想定しておかなければ、と考える機会にもなりました。そういう意味でも3.11をきちんと記憶しておくことは大事だと思って参加させていただきました」

■0.2~120.0の、数字に込めた思い

こうして参加者全員が数字とコメントを書き終えたあと、嘉原がいくつかのコメントを代読。

12年前を思い出してタイム設定をする人も多いが、自身の名前や誕生日にちなんだ数字にする人、大切な誰かにまつわる数字を設定する人もいた。ここでも、いくつか紹介したい。

11.1秒。最近、福島の復興の状況を読んで、自分が状況を追っていなかったなと痛感しました。改めて思いを寄せる意味で参加したいと思いました。数字をゾロ目にしたのは安定感を感じるからです。1にしたのは、始まりを意識して

12.00秒。東日本大震災から12年が経ち、自分の中で風化してしまっているところがあります。あのときは小学2年生で連日流れるニュースに対してよくわからないままでした。年齢的に大人になり、東日本大震災で何が起きたのかを理解できるようになりました。そんな今、改めて東日本大震災を思い返したいと思い、参加しました。(2001年生まれ)

60秒。地震があった日、無事に家族がそろって、家で対策を考えているときに、冷蔵庫にあった手作りのチーズケーキを食べたことを、やけにハッキリと覚えています。家族6人の6を選びました。0を合わせたのは、1分間の間が好きだからです。当時の感覚をこれからも忘れずにいたいです。(2002年生まれ)

8秒。東日本大震災が起こったときの自分の年齢にしました。学校で「ちょっと揺れた?」と先生や友達と話し、その後帰宅してから津波の映像をテレビで見てとてもショックを受けた経験は忘れられません。(2002年生まれ)

40秒。3・11の時、息子が生後40日目でした。神奈川で大きな被害はなかったものの、停電になってしまい、自転車についてた小さいあかりでおむつを替えたのを覚えています。24時前に停電が解消して24時すぎに夫が帰宅してくれてほっとしました。当時赤ちゃんだった息子も小学校卒業となり、すくすく育ってくれて感謝しています。(1978年生まれ)

3.7秒。母の命日です。東北では知人が亡くなりました。今でも信じられない思いです。今回参加させていただき、あの日、あの時、あの人に会いに行こうという言葉は、どんどん心にひびいてきています。(1965年生まれ)

5秒。自分の生年月日を一ケタになるまで足した数字です。自分の存在が何かの中で存在し、つながり関わっていくと思い、選びました。東北の方々とも距離はあっても切れることがない思いを寄せたいと思います。(1977年生まれ)

71.4秒。この数字は好きな人と付き合った月日を表しています。初めてお付き合いをした人であり、私の人生で特別な日になりました。今後また大震災などが起きてもし私がいなくなっても、この時の海の瞬間だけでも光り続けてくれることを願っています。(2001年生まれ)

10秒。10のほうが、1よりも大きいし、たっぷりの時間。
(将来の夢)スターズてんを見にいったので、げいじゅつかになりたい。(2014年生まれ)

1秒。数字を選んだ理由はいつもと同じだから。私たちがいつも過ごしている時の流れと3・11が起きた時の流れは同じという感覚でいたから。「1分1秒でも前にすすもう」という思いもあるので、1秒にしました。東北の海が見える場所で作品が出来上がるのを楽しみにしています。(1997年生まれ)

最後に参加者全員で集合写真を撮影し、ワークショップは終了した。「直島に住む娘からきいて今日は参加しました」という夫妻は「とても温かさを感じるワークショップでした。忘れてはいけない3.11、この日に参加できてよかったです」と感想を話した。

参加者と一緒に記念撮影!
ご参加いただきありがとうございました!

■普段は話せないことを、アートを通して語り継ぐ

最後に、宮島に今回のワークショップへの思い、ワークショップを終えた感想を聞いた。

今回、3月11日に東京で開催することに意味があると思っています。プロジェクトを始めたのも、東京にいると震災のことが徐々に風化すると感じたからでした。東北から物理的にも距離がある場所ですが、事故があった福島の原発は、東京をはじめとする関東へ供給する電力でしたし、深い関係にあります。そのことを忘れてしまう危機感を感じていました。

このワークショップは、日本各地で開催していますが、東北ではない場所で開催しても、震災との関連性をお話しされる人も多くいます。実は親戚がいたとか、震災後に東北から引っ越してきたんだ、とか。いまでも東北に思いを馳せている人たちも各地にいます。当時、テレビやインターネットを通じて全国に被災地の映像が流れましたよね。東北はもちろんですが、日本全国が被災し、傷ついたと私は思っています。あのときボランティアができなかった、助けられなかったという悔やむ思いも聞かれました。どこにいても、その影響はあったのだと思います。

日本大学豊山女子高等学校 体操部と宮島

今回のワークショップには、都内にある高校の体操部の生徒さんも参加してくれました。彼女たちは、「時の海」を創作ダンスのテーマにされるそうです。担当の先生が森美術館で作品を見てくださって、ぜひこれをテーマにみんなでダンスを考えていきたい、と相談をいただきました。記憶を継承して、それを表現にいかしたいと。高校生のみなさんは、12年前は幼くてはっきりとした震災の記憶はないかもしれません。でも、そういった若い方々が「時の海」を取り上げたいと言ってくださったのは、とてもうれしかったですね。

それから、今日の参加者のなかに裏面までびっしりと、震災当日のことを書いてくださった方もいました。お話を聞くと、誰かに話したかった、とおっしゃっていました。12年も経つと、震災についてなかなか話す機会も少ないと思います。「そんな暗い話を思い出すのはやめて、明るい話をしよう」と。普段の生活でもなかなか「今日、震災の話をしようか」というふうにもなりませんよね。特に家族や友人など、近しい人とはなおさらかもしれません。でも、こういった場ではなんとなくできる。グツグツとした思い、わだかまりとして残っている思い、それらを吐露することによって昇華されるのではないでしょうか。

それがアートという場であることで、人種や性別、年齢、言語、国境などすべてをこえることができるんですよね。アートは、感性を刺激してくれるもの。複雑な問題や、言葉にできない困難な出来事も、アートのような表現にかえることで、次の世代の人に伝わっていくといいなと思います。共感や理解までいかなくても、感じることができる。だからアートは社会にとって重要なツールだと考えています。

宮島によると、3,000という数字は、仏教で「この世のすべて」を表すそうだ。行き場のない感情、だれにも打ち明けたことのない話、忘れたくないこと・忘れたいこと、大好きな人への思い。すべて異なる3,000の思いをLEDカウンターにのせて、「時の海 - 東北」の作品は2027年の完成を目指して、今後も東北をはじめ、全国各地でワークショップを続けていく。


▼「タイム設定ワークショップ」の開催にご関心をお持ちのかたへ
「時の海 - 東北」プロジェクトの活動に賛同いただき、一緒にワークショップに取り組んでくださる組織・団体・個人の方は、お気軽に以下のご連絡先までお問合せください。

「時の海 – 東北」プロジェクト実行委員会(有限会社宮島達男事務所 内)
メールアドレス:contact@seaoftime.org



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