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「被災地」から新たな魅力あるまちへ─YAU SALON vol. 12「“復興”をアートから問い直す」レポート

2023年7月12日夜、有楽町ビル10階のYAU STUDIOを会場に、YAU SALON vol. 12「”復興”をアートから問い直す」が開催された。

「YAU SALON」は、各ジャンルのプレイヤーがホスト役となって、都市とアートにまつわるテーマを設定し、参加者と意見を交わすトークシリーズだ。第12回となる今回のタイトルは「福島のこれまでとこれから」。東日本大震災の被災地である福島県・浜通りでのクリエイティブな動きについて、現地からゲストを招きディスカッションが行われた。

モデレーターを務めたのは、この地域でプロジェクトを手掛けるNPO法人インビジブル理事長の林曉甫。加えて富岡町役場企画課企画政策係の猪狩英伸と畠山侑也、現地で活動する演劇ユニットhumunusの小山薫子とキヨスヨネスク、経済産業省福島芸術文化推進室の髙橋皓太と志村環太が登壇し、自治体、アーティスト、行政の視点から議論した。

震災から12年が経過したいま、いわゆる「復興」を超えて、アーティストが地域で担う役割とは何か。町にアートを誘致する立場の意図も聞きながら、現状報告にとどまらず、今後の可能性を探る議論が交わされた。

当日の模様を、アート関係の記事執筆を手がけるライターの近江ひかりがレポートする。

文=近江ひかり
写真=Tokyo Tender Table


■浜通りの現在と、固定概念や慣例をズラすアートの役割

林暁甫氏

今回の話題の中心となったのは、福島県東部に位置する太平洋沿岸の地域「浜通り」、とくにそのエリアに位置する富岡町だ。まずは、各登壇者がこれまでの実践やその背景を紹介した。

モデレーターの林は、NPO法人インビジブルを立ち上げ、富岡町と東京で二拠点生活を送りながらアートプロジェクトを手掛けてきた。2018年から活動を開始したインビジブルでは、被災後再開された学校にさまざまなクリエイティブを生業とするプロフェッショナルを「転校生」として招聘する「プロフェッショナル・イン・スクール」などを実施している。

コミュニティの拠点となる学校を目指し、アーティストや建築家などクリエイティブな職能を持つ大人と日常的に接する機会をつくることで、子どもたちが能動的に新たな発想力や好奇心を育むことを目指すプロジェクトだ。

当日会場に作られた居酒屋コーナー

この日は補助金制度や移住の相談ができる「居酒屋」コーナーも設けられ、林は「イデオロギーのもと考えるよりも、目で見て考えることが大事なときもある。自身も浜通りで生活していて変わったと感じる。職業や立場を問わず、いろいろな人に実際に入ってきてほしい」とアピールした。

次に富岡町役場の猪狩と畠山が、町の現状とともに、文化芸術施策の位置づけについて話した。震度6強、20メートル以上の津波を経験し、現在も避難指示が続く地域もある富岡町。自身も新築した自宅の引き渡し日に被災したという猪狩によれば、来年度には住民に向けた災害復興計画の次の段階である三次計画の策定に入り、風化・風評、居住者数の低迷などの課題に重点的に取り組んでいく。

猪狩英伸氏

続いて福島でプロ野球選手として活動していたキャリアを持つ畠山が、人口増加を見据えた新たな人の流れの創出・拡大の手段のひとつとして、アートやスポーツの領域との関わりをスタートさせたと説明した。

震災前は人口1万6000人程度だったが、現在居住しているのは約2000人で、半数ほどは震災後の移住者だという。林によれば、現在の富岡町は「限界集落とニュータウンが共存している状況」。類を見ない環境だからこそ、アートによる新しいアプローチが求められている。猪狩も「行政はどうしても慣例にとらわれがち。アーティストから固定観念にとらわれない考え方のヒントをもらいたい」と語った。

畠山侑也氏

■「他者や場所との関わりを生み出すもの」としてのアート

2020年から富岡町で活動するhumunusの小山とキヨスは、土地の形質を肉体でとらえる方法を模索しながら演劇作品に落とし込んできた。舞台上の出来事だけを目的とせず、他者からの影響で個人の経験をつくり変えていく存在としての俳優像を目指すなか、被災地での活動から風景の見方が変化することを感じ、現地で制作することとなったという。

元役場職員で現代演劇・美術作品の出演歴があり、地元コーディネーターとして活動する秋元菜々美との出会いをきっかけに、ともにフィールドワークを行いながら拠点の「POTALA亜窟」をつくり、2021〜23年にかけては町にゆかりある人物についてのリサーチにもとづくツアーパフォーマンス《うつほの襞/漂流の景》を上演。4回の公演を行うなかで、バリケードが撤去されるなど、風景の変化も実感してきた。

humunus(左よりキヨスヨネスク氏、小山薫子氏)

2人は土地を訪れ作品をつくるだけでなく、その場所での制作を通して自己が変化していく過程を重視し、地域と関わってきた。ツアーパフォーマンスでは町を歩いてめぐるなかで、演者や参加者の感覚や経験にもとづいて想起されるものにフォーカスする。キヨスは「町そのものが上演されているととらえ経験する視点は、まちづくりにも結びつけられるのではないか」と話した。

最後に経産省福島芸術文化推進室の髙橋と志村が、この地域における取り組みの概要とねらいを説明。2人の所属する室において推進する「福島浜通り映像・芸術文化プロジェクト」は、文化芸術による住民の帰還交流促進を掲げて2022年に発足した。目指すのは「芸術文化を通じた魅力あるまちづくり」。

幅広い人に届く企画を実施することで、領域に偏りなく利益を生むことができるという考えから、現在はアーティスト滞在型のプロジェクト学生への制作支援、交流人口を増やすための映画祭や音楽イベントの開催、山形および東京における国際映画祭での地域のPR、フィルムコミッションの立ち上げなど手広く計画を進め、ゆくゆくは住民同士のつながりから循環的に取り組みが生まれる仕組みの実現を見据える。

左:志村環太氏、右:髙橋皓太氏

福島芸術文化推進室は若手中心の有志55人と本務3人によって組織されているといい、本事業のために車を購入し、休日福島に足を運びながら活動している志村は「学生時代東北に住んでいたが、被災地に関わったことがなく後悔があった。humunusの話にもあったような身体を通した関わりが重要だと感じている」、東北で生まれ育った髙橋は「よく知る地域を元気にしたい、東北のために何かしたいという気持ちがあった」と加わった動機を語った。

行政からは交流人口の増加と経済の活性化、アーティストからは土地や歴史のとらえ直し、そして地域の未来を見据えた環境づくりなど、見据えるものを語る言葉はそれぞれ異なるが、その背景には共通して「他者や場所との関わりを生み出すもの」としてのアートの役割があることがうかがえた。

■「復興」を超えた挑戦のために

地域活性化を目指すなかでの実践について具体的に共有されたところで、後半は「まちの未来を一緒に考える」という観点から、その位置づけや意義についてさらに掘り下げた。ディスカッションは、参加者から寄せられた質問も取り上げながら展開していった。

まずは林が富岡町役場の2人に対して、「震災から12年経った現在、多くの人が既に新しい生活をしている。何を歴史的に継承し、未来をどう考えるか検討すべきタイミングではないか?」と問いを投げかけた。

避難支援などの業務は現在も続き、職員は「復興疲れ」しているという厳しい現実もあるなか、畠山は「現在は新たなチャレンジの段階だと思う。正解がないなかで試行錯誤していくため、アートを含めいろいろな人や物事を受け入れていきたい」と語った。humunusの詳しい活動について初めて聞いたという声もあがり、より深い交流の一歩ともなったようだ。林はそれを受け「新しい人がまちづくりにどう参加できるかが、今後より重要になっていくのでは」とコメントした。

続いて林は「震災直後とも状況が異なるいま、humunusは積極的にアーティストを受け入れる施策についてどう考えるか?」と質問。それに対してキヨスはまず、「復興の話題となると『元の生活に戻りたいだけ』『新しいものは求めていない』という声もよく聞いた。でも、元の生活とは原発の存在を前提としていること。さらには向こう30年は人がいない帰還困難区域で使われなくなったものを復旧するなど、〈元に戻す〉ことの矛盾」を指摘した。

そのうえで、浜通りは「アート」のもとで「消費されることに疲れた地域」でもあるとし、「搾取になるのはよくないという前提で、それでもそこで活動し続ける意味は、自分たちも常日頃考えているところ」と葛藤を話した。

小山はそれを受け、現在は「『変わっていくこと』の受け入れ方を考えるべき時期では」と述べた。キヨスによれば、ツアーパフォーマンスにおいて参加者とともに町をめぐると、異なる人同士のモノの解釈がつながり、集合的な視点でその場所を経験することができる。それはまさに、アートならではの角度で町を知るひとつの方法だろう。

また林が「文化庁ではなく経産省が福島の文化プロジェクトを手がけているのも特徴的な点では」と指摘すると志村は、経産省は復興関係の予算を使用して企業誘致や帰還支援などを行ってきたが、「ハード面を復旧できたとしても、それだけで十分なのか疑問が残る」と考えを述べた。

内外の人にとって魅力あるまちづくりを目指し、新たな価値を創出するための方法として、文化芸術の領域を重要視していきたいと語った。今後の展望については髙橋が「国からトップダウンに進めるのではなく、地元住民の方がどう思うかを大事にしていきたい」と補足した。

■大きな主語ではなく、個人の思いやつながりから始まるもの


アーティストが公共事業や地域活性化に関わるうえでは、主催者との関係性等、プロジェクト実施のプロセスが問題となるケースも多い。参加者からは切り込んだ質問も寄せられた。

1つ目は「行政はアートの定義をどう考えているのか?」という疑問。志村は「目指すのは文化振興ではなく地域活性化なので、高い評価がつく作品を送り出すことは重視していない。できるだけ広い表現を受け入れたいと考えている」と回答した。

2つ目の「行政にとってアーティストは『使い捨ての駒』ではないのか?」という質問には、志村は「誤解されがちだが、アートは課題を簡素化せず複雑なまま扱うことができる点で、従来の政策とは違う良さを求めることができると考えている」と否定。地域活性化という前提があるなかでも、理念を共有できるアーティストと話し合いながら、なるべく自由に実践してもらうことを重要視していると述べた。

一方の猪狩は、行政側も関わり方を模索している途中だとして「むしろアーティスト側も、新しい実践の場としてうまく使ってほしい」と答えた。決まった方法論がないだけに、行政とアーティスト両者のコミュニケーションしだいでは、これまでにないプロジェクトが実現できる可能性もありそうだ。

林は、現地に拠点をおくインビジブルは住民の立場でもあり、地域の課題に当事者として関わってきたことを強調し「主語を大きくしすぎず、どう一個人の身体性に引き戻しながら考えられるかを意識している」と語った。震災があったからこそ生死について考えられる場所でもあるとして、「本当に意味があることが何かは、チャレンジしたうえで失敗を含めて考えていくべき。お互いに尊敬し合い、ときには誤解もしながら、原発の問題にも関わらないようにするのではなく、悩み話し続けることが大事だと思う」と締めくくった。

イベント後には交流会も行われた

今回のYAU SALONは、アート関係者だけでなく文化政策や富岡町の話題に関心を持つ人たちも集まり、盛況となった。変化し続けていく新たな町を見据えるなかでは、「復興」の概念にとらわれず、アーティストと行政がともにできることを考える意識が重要になりそうだ。手探りの段階ともいえるが、行政の意見からは、アーティストに対する期待や柔軟な姿勢もうかがえた。協働の機会は今後、新たなアーティストの活躍の場ともなっていくはずだ。


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