コンスタンティン・ブランクーシとミニマル・アートの流れを考える
コンスタンティン・ブランクーシとミニマル・アートの流れを考える
コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brancusi: 1876-1957/ルーマニア出身の20世紀を代表するミニマル・アートの彫刻家)
そして、ミニマル・アートの先駆的作品の先駆者だ。
ブランクーシの独創的な作品は、後の現代彫刻、絵画、デザインなどへ、過大な影響を与えた。
イメージと文化、それは、文化の継承でもある。
略歴と共に、そのアートワークから、考えてみたい・・
略歴とアートワーク
1876年、オルテニア(ルーマニア南西部)で生まれる。
1898年、ルーマニアのワラキア地方(Valahia )のクラヨヴァ(Craiova)の美術工芸学校で美術を学ぶ。
1901年までブカレストの国立美術学校で美術を学ぶ。その後、
1904年、パリ高等美術学校(エコール・デ・ボザール/École des Beaux-Arts, ENSBA)に入学し彫刻を学ぶ。
その後、オーギュスト・ロダンの工房で働く。ただ、ごくわずかな期間で去る。抽象化への転機となる作品「Prière」(祈る人)を制作する。
Prière
1908年、「embrasser」(接吻)シリーズ、「Mon Astra」(マイアストラ)シリーズの制作開始。
embrasser(Kiss series)
Mon Astra(My Astra series)
写実的方法を離れ、極めて単一で純粋なフォルムの抽象的作品に至った。
1913年、アメリカで最新のヨーロッパ美術を紹介する展覧会「アーモリーショー」に出品。
1924年、「Oiseau dans l'espace」(Bird in space/空間の鳥シリーズ)を制作を開始する。
Oiseau dans l'espace(Bird in space)
1957年3月16日、パリにて死去。
余談だが:亡くなる前年の頃、パリ市街地の整備計画が進められていた、そして、彼のアトリエは壊される運命になっていた。フランス政府にアトリエをそっくり遺贈することを約束していて、それがポンピドゥー・センターのそばに移築された「アトリエ・ブランクーシ」となる。
次回は、コンスタンティン・ブランクーシとInfinity column(無限柱)に続きます。お時間の許す折に・・ご覧になってくださいね。
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