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(今日の一枚)名樹散椿:速水御舟

名樹散椿(めいじゅちりつばき):速水御舟

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(cc) 名樹散椿(めいじゅちりつばき)1929(昭和4)
紙本金地・彩色・屏風(2曲1双)
各167.9×169.6 cm 
重要文化財-山種美術館蔵

名樹散椿

名樹散椿は、京都・昆陽山地蔵院にあったにあった五色八重の散椿をもとに描いていると言われる。
緑の苔の上に、太い幹が伸び、その花の色は薄桃、白やまだら、そして、紅色と五色八重の椿の色彩だ。
それらが、なだらかな苔の上に、ひとひら、ひとひらと散っている姿は、静寂の時を感じる。
御舟は、当初は椿と桜を描く予定でしたが、絵具屋から非常に良い朱を入手し、それを使いたい気持ちから、椿だけを選んだようだ。背景の金地は、細かい金砂子(すなご)を何度もまいて整えるという、独創的な手法がとられている。-山種美術館(参考)


速水御舟

速水御舟(はやみ ぎょしゅう/本名-蒔田 栄一、1894年(明治27年)- 1935年(昭和10年)/日本画家)

速水御舟

速水御舟

速水御舟は、従来型の日本画画風から、一つの画風に留まることなく、繰り返し新たな画風を模索し挑戦した画家だ。
精密な写実、そして、象徴性にポイントを置く技法で装飾表現へと展開した。そして、これからという、なんと40歳の時に病で亡くなる。夭折な作家の残したものは、濃縮された表象を感じるのだが・・
1977(昭和52)年には、《炎舞》と《名樹散椿》が重要文化財に指定される。
どちらも、この世のものとは思えない妖しい世界を持ち得る日本画だろう。
この名樹散椿(めいじゅちりつばき)は、昭和以降で、日本画で、最初の重要文化財に指定されている、誰が見ても、感性の極を感じる名品だろう。

「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」-速水御舟

略歴とアートワーク

速水御舟(はやみ ぎょしゅう、1894-1935/明治27-昭和10)日本画家
明治27年(1894)、東京浅草、生まれ。
松本楓湖(ふうこ/幕末から大正期の日本画家)に師事(安雅堂画塾)。
巽画会(たつみがかい/明治からの美術団体)、そして、今村紫紅(いまむらしこう)に従い、紅児会(こうじかい/大和絵系日本画)に参加した。
大正3年(1914)、今村紫紅(いまむらしこう/1880-1916)らと赤曜会(せきようかい)を結成した。
画業に影響与えてくれた今村紫紅の没後(1916/大正5年)は、日本美術院(1898年からの美術団体-院展)で活躍する。
大正6年(1917)日本美術院同人。昭和5年(1930)渡欧(大倉喜七郎が、後援したローマ日本美術展の美術使節)。
当初は、南画的である作風だが、その後、徹底した写実に移行する。その後は琳派などを研究し、装飾性や画面構成を重視した作風を創り上げた。参考:山種美術館

#速水御舟 #名樹散椿 #日本画 #めいじゅちりつばき #京都・昆陽山地蔵院

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