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夏のひととき:日本画家 - 寺崎広業の世界

(cc)夏のひととき:日本画家 - 寺崎広業の世界

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絹本着色(1幅)1828×1675mm /五島美術館蔵 1918年頃(大正7年頃)- 寺崎広業
夏のほんのひとときだろう、その時期の植物の花に囲まれて、その表情はいつまでも、涼しげだ・・そして、気負いのない筆致・・

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寺崎広業(てらさき こうぎょう、慶応2-大正8/1866-1919/明治-大正の日本画家)本名は広業(ひろなり)。別号に天籟散人,騰竜軒。
慶応2年(1866)秋田(羽後国)生まれ。
平福穂庵(ひらふくすいあん、1844-1890/日本画家)、菅原白竜(すがわら はくりゅう、1833-1898/日本画家)に学ぶ。
明治30年、東京美術学校助教授。明治31年、東京美術学校校長である岡倉天心(1863~1913/美術評論・思想家)らにしたがい、辞職して日本美術院の創設に参加した。
しかし、明治34年には、東京美術学校の教授として復帰した。
大正6年、帝室技芸員。
大正8年2月21日死去、54歳だった。
この「夏のひととき」寺崎広業の晩年の代表作の1つだ。


寺崎広業ついては、諸説あるが、まずは、その人間性と、その画業において類い稀ない才能、そして、文展の審査のみならず、教育者としても功績を残している。その時代の核となる組織での後進への育成は、その時代での大切な極なのだ。
それは、スタンダートこそ、大切であるし、誰しも人は、永遠に生きてはいられないからだ。


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