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視覚メッセージという架空世界

映像という架空世界(Video, fictional world.) #イメージと文化 私的解釈

(1) 現在、視覚メッセージを映画・TV(放送)・Web(通信)として、区別する意味は少ない。
それは、今日、非リアルに接することは、不可欠な現実だ。
グローバルなWebメディアの中で、今の日本の放送チャンネルの一元的なコンテンツのロジックは、本当に必要だろうか?
ニュース映像は、特に視覚メッセージとして、重要なものだ。
事象は、利権に翻弄されず、否が応でも発生する、例えば、ニュースに、ヤラセや映像言語は要らないだろう・・・
そして、それには、予定稿というものがある。

同じ人テレビ 豊洲
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Fig.街の声、どのテレビチャンネルにも同じ人
ただ、以前、クルーと突然の街頭インタビューを試みるも、誰にも相手にされなかったことを思い出すのだが・・・

(2) ラランドの哲学用語から、イメージを解釈すると
 (a)具象的であれ、心的であれ、視覚に与えられた表示
 (b)すでに経験された感覚(知覚)の心的反復
 (c)精神作用によって構成された具象的表現

アンドレ・ラランド

(註)A. ラランド(André Lalande 1867-1963):フランスの哲学者。パリ大学教授。

(参考)ラランドの哲学用語辞典 / 映像学・序説 岡田晋-九州大学出版会 他




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