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ロビン・デニーの抽象の理念

ロビン・デニーの抽象の理念


ロビン・デニー(Edward Maurice FitzGerald "Robyn" Denny )

Edward Maurice FitzGerald "Robyn" Denny

ロビン・デニー(Edward Maurice FitzGerald "Robyn" Denny ,1930 - 2014/イギリスのアーティスト)
イギリス海軍での兵役後、Saint Martin's School of Art(1951年 - 1954年)、1957年にRCA(Royal College of Art-London)を卒業し、その後、イタリアへの留学奨学金を授与され、その後、ハマースミス美術学校、スレイド美術学校、コーシャムのバース美術アカデミーで非常勤講師を務めた。
そして、それから10年以内にハワード・ホジキン(Howard Hodgkin,イギリスの画家兼版画家)、ブリジット・ライリー(Bridget Riley,錯視効果を強調した抽象絵画)、ピーター・ブレイク(Sir Peter Blake,イギリスのポップ・アーティスト)、デイヴィッド・ホックニーらと並んで国際的に大きな成功を収めた。

Robyn Denny/Paintings from the 1960s -NewArtCentre.

ヴェネチア・ビエンナーレに英国代表として参加し、1973年のTATEでの回顧展では、その栄誉を受けた最年少のアーティストとなる。
この展覧会は、アメリカとロンドンの同時代人たちにしっかりと目を向けていた、英国抽象芸術の鍵となるアーティストの作品を讃えるものだろうと言われた。
この展覧会では、30年にわたる彼の作品の進化を深く理解し、作品の重要性と現代的妥当性を探っていた。
この展覧会には、1963 年にテートミュージアムとホワイトチャペルミュージアムで開催された「60 年代のイギリス絵画」展に出品され、1964 年にドイツのカッセルで開催されたドクメンタ 3 に展示された。

Line Up 2 1962 などの重要な作品、壮大な作品Sweet Nature 4 1976/77

Line Up 2 1962 などの重要な作品、壮大な作品Sweet Nature 4 1976/77、そして、1981 年にロサンゼルスに移住した後に描かれた。

Line Up 2 1962

(註)Line Up 2 1962 キャンバスに油彩 214 x 183 cm 84 1/4 x 72 inch

Sweet Nature 4

(註)Sweet Nature 4 1976-77 78 x 120 iinch 198 x 304 cm Oil on Canvas

絵画は、瞬間的な衝撃で伝えたいことをすべて表現してはいけません

ロビン・デニー、ロンドンのフランシス・ワーフにあるスタジオにて、1973年

「絵画は、瞬間的な衝撃で伝えたいことをすべて表現してはいけません。抽象絵画、つまり主題にこだわらない絵画は、それが、優れたものであるためには、過去のどんな重要な絵画もそうであったように、経験として多様で、複雑で、奇妙で、説明がつかず、名付けられないものでなければなりません。」 -Robyn Denny/1964

-Robyn Denny/1964

ロビン・デニー は、1950年代、60年代、70年代のイギリス美術を変革

Robyn Denny-Paintings from the 1960s

ロビン・デニー は、1950年代、60年代、70年代のイギリス美術を変革し、それを国際的な主流へと導いた、国際的に評価の高いグループの1人だ。彼の大規模で、断固として都会的な抽象画は、当時のCoolで近代的な雰囲気を捉えながらも、陰鬱で謎めいた存在感があり、逆説的に時代を超越しているようにも見える。
そのロビン・デニーはロンドン各地で多くの壁画を制作した。1975年、ロンドンのルルドの聖母教会のために幾何学的な十字架像を壁に取り付けた。その前年には、セント・トーマス病院のために、心室に分かれた抽象化された心臓のようなエナメルパネルを制作した。 1968年にローワー・リージェント・ストリートのパラマウント・シネマのために制作したアコースティック壁画は、ルバーブとカスタードの驚異だ。そして、それは、地下鉄の駅にまでだ。

抽象表現主義(Abstract expressionism)

抽象表現主義(Abstract expressionism/1940年代後半のアメリカで起こり、世界的に注目された美術の動向)、アメリカ映画、大衆文化、都市近代化に触発されたロビン・デニーたちは、抽象絵画こそが自分たちが考えた。そこには、従来系の風景画をベースとしたセント・アイヴス派の主流に反発している状況がある。
(註)セント・アイヴス派は、コーンウォールの町セント・アイヴスに住み、活動する芸術家の集団

そして、ロビン・デニーの多くの作品は、TATE、ブリテッシュカウンシル、ポーター・スタイベサント財団などが含まれる。

カリフォルニアでは、デニーの絵画は再び根本的に変化した。

robyn-denny-studio

1981年にデニーはロサンゼルスに5年間住み制作したが、1986年にロンドンに戻った。そのカリフォルニアでは、デニーの絵画は再び根本的に変化した。
1970年代後半には、アクリル画の「ムーンシャイン」(1977/紙にアクリルとクレヨン-30 x 22 インチ)の絵に引っかき傷が取り入れられ、最終的には、細い水平線上に引っかき傷の集中した塊が衝撃的な破壊的なインパクトで載っている一連の大きなモノクローム絵画につながった。それは基準線であり、決して「水平線」ではありません。アクリルの表面は繊細で微妙に変調しており、最大30層の顔料が塗られて作られ、非常に濃厚で目と注意を引き付けるだろう。

ムーンシャイン、 1977 /  紙にアクリルとクレヨン

1993年にバービカンで「ロンドンの60年代のアートシーン」展が開催されて以来、デニーの作品は再び流行し、個展も増えた。しかし、この復活は金融危機によって妨げられた。そして、巨大な抽象画への欲求は薄れていた。デニーは2014年にフランスで亡くなった。

参考文献-Penguin New Art 3 - Robin Denny /ISBN 0 14 070623 2(写真等の学術使用)他

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