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(今日のアート)紫陽花-菱田春草

紫陽花-菱田春草-1902

紫陽花-菱田春草 (cc)

明治35年(1902) 5450×1122 mm

菱田春草(ひしだしゅんそう、明治7年-明治44年/1874-1911/日本画家)
菱田春草の洗練された一作だ。
冷静に計算された構図と抑えた色調は、紫陽花の持つ華やかな中にある、その淋しさの漂う雰囲気を醸し出している。
横山大観とともに*朦朧体の技法が、非難された頃のものだ。

(註)*朦朧体(もうろうたい):または、縹緲体(ひょうびょうたい)、没骨(もっこつ)と言われる。明治時代の没線彩画の描絵手法だ。
日本画の新しい表現の試みであったが、明確な輪郭をもたない。そのこともあり、当時の評論家の評価は得られていなかった。

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略歴- 菱田春草
1874年、長野県伊那郡飯田町(現-飯田市)に生まれる。その後、東京美術学校にて、岡倉天心(てんしん、文久2-大正5/1863-1913/思想家)や橋本雅邦(がほう、天保6年-明治41年/1835 - 1908/狩野派)の指導を受ける。
1898年(明治31年)、日本美術院の創立に参加。岡倉天心のもとで、横山大観と共に、朦朧体(もうろうたい)と呼ばれる没線彩画を試みるなど、繊細で鋭敏な感覚と清澄さを感じる、新日本画の創造に専心している。
美術院衰退後は文展を舞台に名作を生み出した。
1911年(明治44年)、没(腎臓疾患)、37歳だった、才ある夭折な作家だ。

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