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【エッセイ#26】孤独と共に飲むウイスキー ーシンガーソングライター名盤『ストーリーズ』について

眠れない夜に、暗闇の中で聞く音楽というものがあります。一人きりで、過去の悔恨や孤独、今後への不安が頭の中に浮かんできて、疲れているのに頭だけが冴えている時。それを癒すのではなく、誰もが寝静まった真夜中に、寄り添うような音楽。
 
私にとってそんな音楽の一つが、デヴィッド=ブルーの『ストーリーズ』です。1971年に発売されたこのアルバムは、いわゆるシンガーソングライターの名盤中の名盤に挙げられます。


 
アルバム一曲目。硬質なアコースティック・ギターの爪弾くような前奏から、男が呟くように歌います。

ずっと自分には友達がいなかった
恋人はいたけど、友達ではなかった
友達を探している、良い友達を探している

 ブルーの声は、やさぐれてはいても、どこか温かさと弱さを感じさせる、低い声質です。荒れた生活の男が、バーや女の元から帰り、夜中に一人、アコギを抱えて呟いているような歌です。呟きと言っても、メロディは崩さず、美しく伴奏と調和しています。

 
2曲目の『シスター・ローズ』では、今にも止まりそうなアコギの伴奏の中、時折煌めくスライドギターと共に、呟きが漏れます。

家に帰りたい
私がまだ見つけたことのない家に
貴方の愛以外
私は暖かさを知らずにいた
ずっと吹雪に曝されて凍えていたよ
シスター・ローズ

 次の『アナザー・ワン・ライク・ミー』は、ほんの少しだけ明るく、「世界中を探したって、私みたいな奴はもう見つけられないよ」と別れた女性にゆっくり語り掛けます。口ずさみやすいメロディの名曲が続いて、初めて聴いた時は、この流れで夢中になりました。



後半(レコードならB面)でも、素晴らしい曲が続きます。『マリアンヌ』では、美しく鄙びたアコーディオンをバックに、「私に人生を取り戻してくれた」女性に「おお、マリアンヌ、君は美しい。泣かないで、君は私を救ってくれたのだから」と、伸びやかに歌います。最後の「ブルース」は、川がたゆたうかのように、ゆったりと失われた人生と愛について語られます。
 
これは、真夜中に(家族や恋人がいようといまいと)一人きりで聞くための音楽です。まるで、夜中に一人きりで傾けるウイスキーのようなもの。酔っぱらって現実を忘れるためではなく、じんわりと舌に広がる苦い味わいと、ほんの少しの暖かさを得て、孤独と共に生きるための音楽です。



デヴィッド=ブルーは1941年、アメリカのロード・アイランド生まれ。本名はスチュアート・デヴィッド=コーエンといい、芸名は、彼の印象的な青い瞳から、友人のエリック=アンダースン(名シンガーソングライターで、『ブルー・リヴァー』という名盤を残しています)がつけたと言われています。
 
65年頃から活動を始め、3枚のアルバムを出していましたが、初期はボブ=ディランのイミテーションとして、酷評されていました。1971年に、アサイラム・レコードに移籍。ジョニ=ミッチェル、ジャクソン=ブラウン、J・D=サウザーといった名シンガーソングライターを抱え、ブルーの音楽に理解のあったこのレーベルによって、彼は一気に飛躍します。



このアルバムのレコーディング・エンジニアでプロデューサーの一人でもあるヘンリー=ルーイは、ジョニ=ミッチェルの初期の名盤をほとんど手掛けた、名エンジニア。ヴィヴィッドに広がるアコギの響きと、深い歌声を捉えた録音は、名匠の技です。
 
最小限のバッキングには、ベースのクリス=エスリッジやドラムのラス=カンケルら、シンガーソングライターのバッキングで有名な、堅実な職人たちが入り、出しゃばらずに歌を支えます。
 
そして、スライド・ギターに『パリ・テキサス』の映画音楽でも有名なライ・クーダー。僅かに流れるストリングス・アレンジは、こちらも名アレンジャーで映画音楽家でもあるジャック=ニッチェ。彼らの彩りが、まるで果実のシャーベットのように、ほのかな甘さを、この豊饒なウイスキーに添えます。

 
まさに、デヴィッド=ブルー、一世一代の演奏曲集であり、名盤でした。しかし、それは続くことはありませんでした。


 
この後ブルーは何枚かアルバムを残しているものの、この作品に匹敵するものはありません。一言で言うと、イーグルスの亜流のような、凡庸なロックアルバムばかりです。
 
やたら音が派手で明るいだけで、それ程効果的でもなく、曲も『ストーリーズ』のような閃きに欠けます。同じアサイラム・レーベルからの作品なのですが、自分の資質を見失ってしまったかのように思えます。



デヴィッド=ブルーは、アメリカ中を放浪したこともあるらしく、どこか風来坊のようなところがあったようです。劇作家で俳優のサム=シェパードは、著書『ディランが街にやってきた ローリング・サンダー航海日誌』で、ブルーのことをこう書いています。

青いギャング風の背広、ただれた眼、かれた喉、皺だらけのスカーフ。彼はいつも健康を取り戻そうとしている印象を与えるが、健康であったためしはない

 そして、女性関係でもやはりうまくいかない人間だったようです。ジョニ=ミッチェル(『マリアンヌ』のモデルと言われています)とも一時親しかったとのことですが、貧乏なブルーにお金を貸したところ、彼はそのお金で他の女性にバラの花束を買ってしまい、ジョニが罵倒したという、本当かどうか分からないようなエピソードまで残っています。
 
でも何となく、こうしたエピソードも、彼らしいと思ってしまいます。『ストーリーズ』以降の音楽も、彼の持続できない弱さと虚勢のようなものが、一面あったからではないかとも思います。あるいは、あまりにも早く老成しすぎて、自分の本質を全て曝け出してしまい、行き場を見失ったようにも思えます。


 
彼のその後は唐突に途切れます。1982年、公園をジョギング中に心臓発作で倒れ、41歳の若さで死去。
 
あまりにも深い孤独は、ほんの一度きりの輝きだけを残して、彼自身を連れ去ってしまいました。しかし、残された一枚の名盤は、確実に多くの人の心に忍び込んで、人生を彩っています。

モディリアニ風のジャケットも秀逸
モディリアニもまた、アルコールと
荒れた生活で身体を壊し、早世した

 
私は、昔よくこの名盤をごく小さな音でかけながら、眠りについていました。今は、CDは手放してしまったし、サブスクで聞くことも殆どありません。また、全曲歌えるくらい覚えているわけでもありません。

しかし時折、夜一人でいる時、自分にとって大切なものになったメロディの断片を、口ずさむことはあります。 

おそらく、本当に自分にとって大切な音楽とはそういうものなのでしょう。いつでも再現するものではなく、自分の血となり肉となり、染み込んで、自分自身の音楽に変化し、人生を彩る。

それこそが音楽の本質であり、『ストーリーズ』は、誰かにとっての孤独を見つめる音楽になるために、残り続けていくのでしょう。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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