自転車バナー

前略

こんにちは、はじめまして。

 あなたのお手紙はどなたに宛てたか解らないお手紙でした。
 でも、ボクの心に届いたので、たぶんボクがお返事しても差し支えはないですよね。もし御迷惑なら読み飛ばして忘れてしまって下さい。

 何からお話ししましょうか。ボクの話をしようとするとちょっと苦しいのです。忘れてしまいたいことがたくさんあって固く蓋をしてしまったせいでしょう。

「友達」に関心を持っていたのは、ボクが子供の頃に遠くの団地に引っ越したためかもしれません。近所には年の近い子供が何人かいましたからそのまま大きくなっていれば幼なじみと呼んでいたのでしょうね。ところが、引っ越した先で近所の子供に言われた言葉が突き刺さったのです。

「お前なんか友達じゃない。」

 悪気はなかったのだろうと思うんです。たぶんボクの言葉に訛りがあったり雪国生まれで色白だったりしたことで違和感を感じたのでしょう。ボクの身体も弱かったですしね。そんなことを言われながらもよく遊んでいました。
 でも、ボクにはずっと余所者意識が強くて「良い子」でいることが唯一の自己防衛になって行ったような気がします。

 今はもう友達より仲間がいたらいいかなと思っています。期待や依存をしなくても励まし合いながら同じ目的に向かって力を合わせられる存在。もしかしたらボクが誤解していただけで、それが友達というものなんでしょうか。

 生まれた町は四季の表情が豊かで人が温かくて食べ物がとても美味しい所でした。たぶん5歳くらいまで住んでいましたが、近所の様子や母と散歩に出かけた時の光景を断片的に憶えています。
 夏祭りの大きな花火。降り注ぐ蝉時雨。アスファルトの道路は夏の陽射して融けて、歩けば靴跡が残るほどでした。近所の大きな公園には大きな池がいくつもありました。時々その公園へ出かけると遊具で遊んだりしていました。秋には紅葉の美しさよりも高い木立の葉がザワザワとざわめいていたことを強く憶えています。そして冬ともなれば、どっかりと雪が降り積もるので川や側溝が見えなくなってしまいます。雪のある季節は危険だからと外で遊ぶことは少なくなりました。そして天候が荒れると空で風が吠えます。それがとてもコワかった。

 そうそう。ボクの生まれた日。雪は屋根まで積もっていたんだそうです。

 そんな穏やかで平和な暮らしは唐突に終わりを迎えます。遠くの町で働いていた父と一緒に暮らすことになって引っ越すことになったからです。父は職人で出稼ぎのようなものだったのだと思います。今で言うなら単身赴任かな。
 ボクは引っ越すことの意味がわかっていませんでした。ちょっとした旅行気分だったと思います。電車の椅子は木製でしたか。それから東京に立ち寄ったかと思います。それももう遠い記憶の彼方です。

 それから長い時を経て家族のうちでボクだけが帰郷することになるとは想像していませんでした。父は他界し母や妹弟は遠い街で生活しています。

 不思議なものです。久しぶりの故郷でボクに欠けていた大切な断片を見つけたような感覚に陥り、引っ越し荷物を積んだ車で走りながら故郷の景色を眺めてハンドルを握ったまま涙を止めることができなくなっていました。

「ただいま…ただいま…ただいま。」

 やっと長い旅が終わった。そんな感じなのかも知れません。もう旅行以外で帰郷することなどないと思っていました。ただ「帰郷する」という人生の最終目的を達成してしまったのでしばらくは夢を見ているようでした。
 もっとも、都会の生活に疲れて限界を感じて計画性もなく決めた帰郷ですからそれからまた大変な時間が待っていました。今はボク自身の苦労だけではなくたくさんの人に迷惑をかけてやっと生きています。 

 子供の頃に漫画家を夢見ていたのは「組織に属さない仕事」を子供なりに考えたからでした。組織に属せば故郷への移住が難しくなると思ったのです。実際、帰郷が現実的ではないと思うようになって、そして生活のためにいくつも転職していくつもの職場を経験しました。思うような転職が出来なくて農家の住み込みとか測量のアルバイトとか一見無関係と思える仕事をすることもありましたが、出来るだけ目的からブレないように、写真館・印刷会社の写真部門・画材店・印刷会社…その間に絵の力をつけたくて絵画の通信教育に手を出したりデッサンや油彩の教室にも通いました。

 精一杯考えて悩んだ所で正解に辿り着くとは限らないんですね。
 いつかお祭りの金魚すくいで悩んだ挙げ句に一匹も掬えなかったことを思い出します。夜店のおばちゃんに苦笑されました。

 帰郷してからはまた酷いものです。最初こそ印刷会社に仕事が決まりましたが、経験者であるにも関わらず経験が役に立たず、敢え無く退職。それからは就職そのものが難しくなり起業を試みたり、意に反して工場派遣も経験しました。そこには夜勤とかロボットとか薬品とか…それまで知らずにいた世界がありました。慣れない仕事に汗を流し眠気と戦い…そしてリーマンショック。しばらくして東日本大震災。時代の流れの中でもがきながら生かされて何とか生きてきました。

「人はひとりでなんか生きて行けないんだ。」
…身を以て知ることになりました。

 気がつけばボクはまだちゃんと漫画を描いていなかった。たくさん失敗を重ねて行き止まりまで進んだのに漫画に向き合って来なかった。他に出来ることなんてもうない。出来るだけのことをやったのに全部失敗だった。

 今、その失敗は漫画の素材やエネルギーになるでしょうか。ガラクタのような経験の山をバラバラにしてもう一度作品として成立させることは出来るでしょうか。

 子供の頃にコワいと思っていた風の咆哮は今になってもコワくって遠い街で懐かしく思っていたことがウソのようです。ただ、感性のみずみずしさは枯れてしまったのかも知れません。漫画を描きたいという衝動すら鈍化しているような気がします。それはたしかにもどかしくやるせない想いにもなります。

 そうそう。ボクも昔は自分が特別だと思っていました。頭の中にはやりたいことやできることがみっちり詰まっていて、その力を解放出来る環境を求めて彷徨って来たような気さえします。でも、今も特別であることに間違いはないのかも知れません。目的以外のことは惜しげもなく捨て去ってしまう特別なバカなんだと思います。

 人生を形容するありきたりの言葉の背景には人それぞれの様々な人生があって、ちっともありきたりじゃないんですね。誰もが経験する苦労も幸せも喜怒哀楽も決してありきたりじゃなくてきっと特別なんです。

 だからきっとあなたも特別なんです。それを知るためにまだいくらか時間が必要なだけかも知れません。

 もう春ですね。
 …また春です。
 嬉しいですね。
 花の季節ですから。

 毎年、咲き誇る桜の花を写真に撮りながら、どれひとつとして昨年の花と同じではないことに想いを馳せます。毎年のこととは思いながら、それでもまた会いたくなってカメラ片手に出かけるのです。

 ピクニック…いいですね。
 見せたい風景がたくさんあります。

 草々


みなもとはなえさんの作品「前略」から着想〜

もくじ | 随想

…ART Life…

#随想 #故郷 #前略 #引っ越し

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?