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絵空伝《2》

~未解決区域~

 人類はまだ気付いていなかった。文明の崩壊がすぐそこに迫っていることに。科学と文明の発展の末に便利な社会が構築されていた。しかし、報酬を得るために人は勤めに出ることが当然の社会になってみると、購買層がなければ経済が成り立たないことを忘れてしまったかのようだった。店員は来ない客を待って一日中店に立っていた。 買い手がいないにも関わらず社長は檄を飛ばし営業は奔走する。そしてメーカーは生産効率を上げ、大量生産するためのシステムを構築した。
 結果、ある者は身体を壊し、ある者は精神的に疲労困憊した。
 相変わらず買い手はいなかった。必要最低限の食料などの生活物資以外は、買わなくても少し不便になるくらいなもので、直接命に関わることなどない。楽しみを持たない文明は、ただ生活の為だけに生きながらえた。

 それで良いと言う人もいるだろう。

 その徴候は地方から始まり都市圏をも少しずつ侵食して行った。人口減少により過疎が始まった時に手を打つべきだったのだ。見たことも聞いたこともない地域がどうなろうと実感出来ないのも無理はない。地方から都市への人口流出により地方経済は痩せ、再起出来なくなっていく。体力がないまま頑張ろうとすれば消耗も著しい。

 なぜ働くのかという意義さえも忘れられて久しい。社会が便利になることは生活が豊かになることだったはずだ。たしかに生活が便利になって楽になったのかもしれない。しかし、機能的で停滞が許されない日々を豊かな暮らしだと形容することは難しい。むしろ不便で足りないものの多い生活の中に知恵が生まれ工夫する余地がある。足りないものを社会が充当して来た結果、知恵や工夫が必要とされない社会を形成した。人々の関心は分類され、整理され、余計な事は考えなくなった。

 地方では平日の市街地には人影もまばらで、店員だけがぼんやりと来客を待っている。郊外の工業団地は労働力を吸い上げ、窓もない工場が24時間態勢で生産を続けていた。農作業をする人たちは、少ない人手で作業をこなすため汗水流して働いて、帰宅すれば、あとは食べて眠るしかない。その生活に大きな不満があるわけではなかった。出来る限り懸命に働くしかないのだ。その点については都市圏で生活することと大きな違いはないかも知れない。

 ただ漠然とした不安が厚い雲のように人々の頭上を覆っていた。


絵空伝
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…ART 頼風…

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