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一筆啓上《7》

〜転機〜

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 令和元年となった2019年も残りわずかとなりました。
 寒さのせいか体調不良が続いていて風邪と思しき咳や鼻水がしばらく続いています。
 年によっては雪が積もっていても不思議ではない季節なので、時折小雪がちらついたり上空では雪と思われる小雨がぱらついたりする今日この頃。
 何となく転機になるような気がしていた年でしたが、何があったろうと思い返しています。

 相変わらず試行錯誤の日々でしたが、個人的に一番大きな出来事は8月末に左手首を骨折したことでしょう。

 その日、キノコの写真を撮るためのロケハン…現地の様子を確認しようと山へ自転車で出かけたのです。場所はそんなに遠くはないのですが、毎年のことながら急な坂道を自転車を押しながら登るのはなかなか大変です。出発時間が遅いこともあり現地にたどり着く頃には夕方の雰囲気が漂っていました。獣のような気配もあったのでもしかすると熊もうろついていたのかも知れません。

 それでもいくつかの菌類や植物、そして昆虫などをカメラに収めそそくさと帰路に着いたのでした。

 問題なのは下り坂です。わざわざ自転車を押してまで登ったのは帰路の時間を短縮するためです。速度が出過ぎないようブレーキをかけつつ注意して下り坂を走っていたつもりです。
 ところが坂道の終点まであと少しというところで路面が濡れていました。危険を感じて自転車を下りようとしてブレーキをかけたら前輪が横滑りしたのです。
 アッと思った瞬間派手に転倒。今から思えば、カメラバッグを肩からかけていたのでバランスが悪くなっていたのだろうと思います。
 一瞬のことでどんな風に手をついたのかよく覚えていません。ただ、アスファルトに右の頬を打ち付ける瞬間だけを覚えています。
「やっちゃった〜」と思いながら何とか身体を起こしました。もちろん痛みはあるものの、これまで自転車の転倒で大きな怪我をしたことがあまりないせいか、大したことにならないだろうと思っていた気がします。怪我を確認していたら左手首がぶらんとなって力を入れられない状態になっていました。これは手首の捻挫は免れないだろうと思いましたが、夕暮れも近いのでともかく山を下りなくてはなりません。立ち上がろうとしたら全身に痛みがあり歩くのもやっとでした。
 休みながら山の入り口までは出たもののそこからまた下り坂が続きます。思うようにブレーキがかけられないため自転車で下る事は不可能だと思いました。それどころか平坦な場所で自転車に跨ろうとしただけで両足がつって動けなくなってしまうのです。もう救急車を呼んだ方が良かったのだろうと思います。
 何とか麓まで下りて自転車にも乗れるようになりました。辛うじて自宅に辿り着いた頃にはすっかり暗くなっていました。
 もう夜になっていましたが、近隣の病院の救急に行っておいた方が良いだろうと歩いて行ってみると骨折の可能性があるので救急担当の病院へ行って欲しいとのこと。ネットで調べたつもりだったのに救急担当の病院を誤解していたようです。別の病院を教えてくださった看護師さんも「歩けているから大丈夫」という判断だったのでしょう。そこから救急車に乗りたいくらいの体調でした
 仕方なくまた歩いて自宅まで戻り自転車に乗って紹介された少し遠い病院へ行きました。

 救急担当の先生は若くて感じのいい方でした。レントゲンを撮ってもらうと「見事に骨折してますね〜」とのこと。骨折といっても腕の骨の先端部、手首の辺りが割れるような状態で「橈骨遠位端骨折」にあたるのではないかと思います。
 担当の先生によると状態から見て手術か保存か判断が分かれるだろうとのこと。主治医となる先生と相談するのが良いでしょうということでした。

 日を改めて診察してもらうと全治三ヶ月という診断。手術を勧められました。その方が安定して回復も早いようです。ただ、経済的な心配やメスを入れることへの抵抗感がありました。症状が重いと手首の骨が曲がってしまったりすることもあるようなのですが、素人目にはレントゲンを見る限り大きく曲がっているようには見えませんでした。色々考えて手術を回避。「保存」を選択することでお願いしました。
 自分の身体が持つ回復力にも興味がありましたし、仮に左手が100%回復するとしたとして今後の人生のどこまで必要となるだろうとも思いました。漫画やイラストを描き続けるためには右手さえ元気ならそれで十分ではないかと。
 後日、肋骨も一本折れていたことが判明しましたが、三ヶ月はあっという間に過ぎ去りました。いくらか変形も残っているので100%回復とは行きませんし、まだ痛みもあり手首のひねりが不自由です。具体的な影響としてはマニュアルフォーカスのカメラの操作は思うように行きませんし、ギターのネックも上手く握れない状態です。実感としては70%程度の回復という感じでしょう。それでも食事時に茶碗を持ったり出来るだけでもありがたいことだと思うのです。

 骨折した時は「右手さえあれば生きられる」と思っていましたが、実際に右手だけの生活を送ってみると左手の大切さを感じないでいられません。
 三ヶ月を過ぎてやっと日常的な事に不便を感じなくなりつつあり、骨折前は日課にしていた腕立て伏せを少しずつ再開しています。

 目的のはずだったキノコの写真も撮れず、自転車も乗れない日々はこれまでの生活パターンを見直すきっかけにもなりました。そういう意味では転機になったのかも知れません。

 2019年の1/4を怪我の治療に当ててしまったので今年は一体どんな年だったかと思い返してみました。最近は3DCGに傾注していますが、noteなどの作品を見返して見るとどうやらただぼんやりしていたわけでもないようなので少しホッとしています。

 まだ少し早いのかも知れませんが、2020年はどうありたいかと考え始めています。noteの使い方も少し変えてみようかなと思いつつ一筆したためてみました。

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…頼風…






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