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私が生きていたい場所

20代の頃、私はすごいインドアで、外出すること、特に知らない場所へ行くことが苦手だった。休みの日は、ほとんど家の中でゴロゴロするか、落書きをしているか、文章(日記のようなもの)を書くか、縫い物なんかをしていた。いつも自分の世界で生きていた。

その頃の毎日に、今の(自粛、いや自祝の)日々は似ているなと思う。

ある時から、私は家にいることが苦しくなり始めて、少し遠い病院に定期的に通う必要もあったため、外に出るようになった。

知らないところへ行く時の恐れのようなものが、その頃から少しずつ溶け始めた。

気に入ったお店で買い物をしたり、コーヒーショップでコーヒーを飲んだり、街中で行われるイベントにも一人で行くようになった。

街の中には小さな幸せがたくさん散りばめられていて、それをひとつひとつ見つけては、その場のいい気とかエネルギーのようなものをもらって、元気になって帰ることも、いつの間にか覚えていった。

私はその頃、街に救われていたのだと思う。

そう。「救われていた」という言葉が、とてもピッタリくる。あの頃の街にありがとう、と今も思う。

街中に出るようになって、古い建物や古い街が、今の空気を吸い込んで、新しく生まれ変わっているような場にワクワクするようになった。空家問題とともに、古民家とかリノベーションとかがにわかに流行り始めていた。

古い建物が呼吸をし始める様子を見て、建物も街も、自然と同じように確かに生きていることを知った。そして現代的な横並びの建物よりも、木造の古い建物の方がより強く生きていることが感じられた。道端に生えている小さな雑草が生きているのと同じように。

そこにはいつも、その場に命を吹き込んでいる人達がいた。

場をつくり出す人。場を営む人。

その人たちに、トキめいた。

「まちづくり」というものに興味を抱いた…

というか、自分が「まちづくり」というジャンルに興味があったことを自覚したのは、もっと後になってからだった。

偶然なのだけれど、街の再生に関わる仕事に転職することになり、「まちづくり」なんて今も全然できていないけど、個人的にもその周辺の方々と知り合えて、とても嬉しかった。ただ自分にできることがよく分からなかった。今でも分からないのだけど。

世の中がこんな風になって、改めて「自分はどんな場所で、どんな風に生きていたいだろう」と考える。もし、自分に「まち」というようなものがつくれるとしたら、どんな「まち」をつくりたいかなって…。

私の心の奥底にずっとあるのは、めちゃくちゃ自然にやさしくて、人間関係みたいなものもめちゃくちゃ自由で、地球と一緒に生きているって感じられるような世界だ。

複雑なものはなくなって、シンプルに、人間も自然の一部になって、地球全体を構成する美しいひとつとしてあるような、そんな場所。

アスファルトやコンクリートなんてなくて(いつか法律で土とコンクリートの割合が決まって、土が増えていったらいいと思う)、土と草木花に当たり前に囲まれている。動物や植物のひとつひとつを人と同じように尊んでいる。

人は、衣食住をつくり出す知恵を皆ひととおり持っていて、それを担う人がちゃんとひとつのまとまり(集団、村、コミュニティ)の中にいる。力のある人が家を建て、手先の器用な人が服を縫う。田畑があって、近くにきれいな川の水があって、山が見える。太陽や風のエネルギーを上手に使って、自然にあるものが無駄なく循環して生活が営まれる、その構造の中で安心して過ごせる。

消費のためではなくて、衣食住を生み出すために「仕事」というものがあって、ちゃんと「生きる」ために生きている。そんな場所がいい。

血のつながりがあってもなくても、家族のように思い合える人達と、個を大切にしながらも、助け合ってやさしく暮らせる場所。人は皆アーティストだから、身近にいる歌のうまい人や絵を描きたい人が、それを披露して周りにいる仲間を日々楽しませる。年配者と若者がいつでも話ができる。そんなつながりの中で生きる。

朝昼夜、季節の変化、空や風や太陽や植物を愛でる時間が毎日ちゃんとあって、雨の日も雪の日も嵐の日だって、安心してそれを祝福できるような。

そういう営みができる構造(システム)をつくって、ひとつのまとまりにした場所を、もし「まち」と呼ぶなら、私はそういう「まち」をつくりたい。もはや「まち」という響きではないかもしれないけれど。なんと呼べばいいんだろう。

これから私が生きていたい場所、

私にとって「美しいまち」って何だろうと、時々思っている。




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