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思考は現実化する。

大袈裟なタイトルだけど、「茄子の苗を植えた」というだけの話だ。

今朝、家族で出かける準備の合間に、何気なく「趣味の園芸」を流していた。すると、茄子やトマトを植える回だった。それを観ながら、「ああ、そういや2年前は茄子やきゅうりを植えて、かなり実がなったなぁ」と思い出していた。ただそれだけのことで、まずは出かける準備という(タスク)に追われていた。10分後には、子供とメデューサの倒し方について熱い議論を交わしていた。

家族を駅まで送り、帰り道に行きつけ花屋を通りがかる。ここで花を見るのがちょっとした日課になっている。ちょうど神棚のお榊が切れてたので、新しく購入すると、レジ横に茄子の苗が売られていた。「あー、茄子だ・・」と思ったと同時に、無意識にレジに置いていた。1つで220円。3つ迎えることにした。

帰る足で、ホームセンターにより、培養土30キロ、プランターと肥料を買った。ホームセンターの物品をチェックするのも日課なので、迷うことなく選んた。
自宅に帰り、早速土を入れ、茄子の苗を植える。水をかけて終了。夕方には雨が降るらしい。

拳大くらいあける

店員さんは「地中の根と、表面の葉っぱは比例してます。土の量が多いほど根を張り、葉っぱが栄え、実がなります」と言った。どこかで聞いたような気がしたが、思考は流れていく。

さて、こうして植えられた苗を見ていると、不思議な気がした。これは何かあるなと思い、心を静かにする。
まず、「今朝見たことが、現実になっている驚き」ということだ。これは、カレーのCMをみて、ランチでカレーを選んでいる・・ということと同じなんだろうか?いや、似て非なるものがある。
共通してるものは「望みが叶った」という点。それ以上もそれ以下もない。しかし、その望み自体が大きく違う。

整体の先生に聞いた話を思い出した。
「筋肉をつけたかったら脳をだますんです。例えば腹筋が割れている!と強くイメージする。何度でも何度でも。すると脳は騙されてて、腹筋を割れさせろ!と指令をする。すると筋トレした時の30%は筋肉が本当につくんです」。
この話と似ているんだろうか。

じゃ僕のアトリエに、ターシャさんの庭の写真を飾っていれば、いつのまにかそんな庭に変身してるのだろうか。魔法のように。これはまさに、神経言語プログラミング(N L P)の手法だ。コーチングを学ばれてる方には、王道中の王道とも言える。イメージを変えていく手法をとって、クライアントの望む人生の方向性をコーチする。

「そんな大袈裟なことじゃないよな」と自嘲する。

店員さんのアドバイス、根の広がりと葉の広がりはリンクするということ。思い出した。禅師のティクナットハンが言っていたことだった。人生において、地中の見えない世界、無意識の中の感情や思考・その先の先祖代々の因縁や怨念に目を向けて、意識していくことで、目に見える世界、あなたの存在力自体が変わっていくのだと。「この人は深い人だな」と感じるのは、その人の心の奥深くが豊かだということだ。

その土は、純粋なものであれば良いと思う。生き物のほとんどは望みを持つ。アマゾンに暮らす野生の動物も、目の前にいる金魚ブラック君も、子供も大人もお年寄りも。みんな、そして、一度望みを持ったらなら、絶対叶えたいと思う。
普通はこうだろう。大きな望みを持ち叶えることで大きなリターンをもらいたい。そして、叶わなかったらがっかりする。
毎年宝くじに並ぶ人たちは、大きな望みを握りしめ、列に並ぶ。そしてそれが叶った時の喜びを脳に伝えて、ドーパミンを出す。そして、幻の幸福感と高揚感を得る。うちの母親のように。お酒もそうだろうな。母は言っていた。幻でいいの。わざと騙されてあげてるのって。(父に対してなのか?)。

僕は、茄子の苗を植えた。夏になり収穫する夢や望みもあるだろうが、些細なものだ。育てられる、というきっかけに喜びを感じてるのだと気づいた。ほんの些細な望み。多少、費用はかかるけど、長い目で見たら必要な選択だったと自信を持っている。枯れるかもしれない。虫が来るかもしれない。けれど、土に丁寧に植える瞬間、幸福に包まれていた。

ティクナットハンの話である。純粋で小さな望み。そしてそれは、自分以外の人たちも幸せにするようなもの。小さければ叶うことも増える。叶った幸福感を肥料にして、帰ってきた家族を笑顔で迎えることも出来るだろう。

タイトル「思考は現実化する」みな、それぞれに現実にしたい思考(=望み)がある。それは大それたものでないほうがいい。かと言って、等身大に生きろというわけでもない。そもそも等身大って価値観こそ幻なんだから。
自分が本当に望んでいるもの、その源泉に触れ、純粋な湧水を組み続ける。量よりも回数かもしれない、なんて学んた午前中だった。

PS、
三国志のエピソード、畑を耕す諸葛孔明に、隣人が言うセリフが印象的だ。
「孔明さんの作る野菜は、大きいけど味がないんだよ。美味しい野菜は大きさじゃないんだ。そして、肥料。土の奥深くからじわじわと効いてくる。表面に撒いたって来年までは持たないんだよ」。

ここでいう肥料とは、「志(こころざし)」のことだと孔明は感じる。劉備玄徳の肥料は、王朝400年を守り天下平安を願う志だ。それは、中華の覇王になるべく争っている他の武将とは、根底から違うのだと気づく。

あちこちに広がるベクトルも、一つの場所に繋がっていくような気がする。次回は「ホジュン」について語ろうと思う。

続く。

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