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ホジュンになれなかった人生

世界には、さまざまな偉人がいる。人によってはスポーツ選手だったり、芸術家、音楽家、経営者、医療や発明やファッションや、さまざまな分野で活躍している人がいて、我々は幼心に憧れ、夢を抱き、志を持ち、道を歩く。
僕は元来ミーハーな方で、尊敬する歴史的な偉人や、今を生きる人たちを追いかけてきたと思う。興味が尽きないと言っても過言ではない。そうして人に語っても、ほとんどの場合は興味なさそうにしている。隣人もそうだ。人や社会に興味がそもそもない。だから、語っていると、自分が何か「虚像」を追いかけているように思えて虚しくなる時がある。

ホジュンは、悟りの境地に至った心医だ。その壮絶な生き様と、純粋で大きな志、愛にふれながら、なぜ自分はこんな生き方ができないのか、自分とは何が違うのか?と比べることも甚しくも、考えてしまった。

そして、決定的な答えが一つ見つかった。

「言い訳をしてきた」ことだ。

何かにぶつかった時に(ほとんどは人間関係だが)、僕は、自身の決めた道から逸れることに対して、言い訳をしてきた。
だって、生活ができないから。
だって、これをやっても結果が見えないから。
だって、賞歴・学歴がないから。
だって、歳だから。
だって、疲れているから。
だって、介護があるから。
だって、だって、だって。

そうして結局今は、だって、子育てがあるから、といって、言い訳してやるべきことをやっていない。

ホジュン的、大きな使命に対して、まるで「殉教者」のように突き進む人々は、決して言い訳をしない。言い訳をした途端、地獄のような自己嫌悪に陥るのだろう。
一流と言われるさまざまな分野の方々も、一流と言われる所以の努力と、犠牲と、それに全てを賭けられる覚悟があるのだ。

僧侶は基本的に結婚はしない。(日本は違う)。徹底的に己の欲と向き合い、瞑想し、祈りを捧げて、苦しみから解脱し、人々への救済のために生きる。正直、僕もそう生きたかった。
家族や子育てにとらわれず、自身の表現をとことん追求して、確実に技を極めていく仲間たちがいる。僕も、そう生きたかった。

ホジュンは、まさに徹底して自身の心医への道を突き進んだ。確かに家庭は振り返らず、妻や母は極貧生活で屈辱に耐えてたが、それでもホジュンを信じて耐えてきたのは何故だろう。
それは、ホジュンが言い訳をしなかったからだ。そして、家族や社会、地位名誉を遥かに超えた、人間愛の深さに「触れた」から。
どんなに欲深い人間でも、感情的で嫉妬に狂った人間でも、「清廉な魂」の前では、こうべを垂らす他はない。もっとも深遠な悟りは「愛」。その片鱗に触れたら、人は元のエゴには戻れない。自身が知る由もなく、心の奥の無意識が、愛を望んでいるのだから。
人間が愛に生きたいという「祈り」は、神様が七日目にやっと人類を生み出した時に、人型粘土の中に練り込んだ「香料」みたいなものだろうか。我々はその香りの元を辿って、道なき道を歩んでいく。
そうして道に迷い、飢えて果てる人もいれば、偶然のご縁でその香りの元に行き着く人もいるだろう。

芥川龍之介や菊池寛、遠藤周作の小説でも、しばし、徹底して貫く意志を持つ登場人物が出てくる。彼らは苦悩の果てに、誰にも影響されない、自分を超えた愛を得る。そこに、読者は感動する。

ここまで述べたからには、それでもホジュンと自分は違うとか、人と比べることのナンセンスさ、とか、そんな言い訳しない。

僕は確かにホジュンでもない。だから、自分はダメだというつもりもない。自分の志を手放す代わりに得た、家族や子育ての学び、遠回りして見えてきた愛の形は、紛うこともない真実だ。
こうなりたいという自分という幻は、幻でしかすぎず、だからティクナットハン禅師も、呼吸に意識せよという。
「あなたはあなた以外のもので出来ている。だから、本当のあなたというものはいないし、それら全てがあなたなのだ」と。

しかし。
確実に言えることは、「僕はたくさんの言い訳をしてきた」という事実。言い訳したっていいじゃない、人間だもの。。と言えるなら、それでいい。
肝心なところで「他者の意向」を選んできた。それはそれで人間だもの。それを優しさだと勘違いしてたのだろう。それでいい。

偽物だらけのパーツを集めて、なんとか世のため人のために生きようとしてきた。その中で、ありがとうと伝え、ありがとうと言われることの、深い喜びは、紛れもなく真実である。絵を描く喜びと、深い感動と、感謝の気持ちは、今ここに輝いている。
命が尽きて、地獄の閻魔大王の前で、身包みを全て剥がされたとしても、ビー玉くらいの真実は残っているだろう。
僕は閻魔大王に懇願する。「たくさん言い訳をしてきました。それでもこの輝きだけは守ってきました。七つの地獄に耐えた暁には、どうか、もう少し真っ当な生き物に生まれ変わらせてください、、」と。

静かに目を閉じて、心の動きを見つめる。そうして、小さな啜り泣きの声を聴く。
外の雨音と溶け合って、夜はなお一層、更けていく。

おしまい。

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