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立ち上がれ、日本人!神話と共に“世界維新”を始めよう!

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自粛、閉鎖、戒厳、封鎖…。

世界中が、閉じられていきます。空港封鎖。都市は閑散。エンタメ業界、飲食産業から始まり、どんどんと不安と経済的不安は積もり、ストレスを感じる人も多いだろう。

都市部でも、いつロックダウン(封鎖)になるかわからない状況だ。現に、多くの世界中の都市でロックダウンしている。

これは、人類始まって以来の出来事だということは、多くの人が感じているだろう。先行きが、見えない。闇…。見えないから、怖い。

そう、闇は、怖いと感じる。なぜなら我々は、未来予測ができないと、不安になるという思考形態をもっているから。

闇とは、光が刺さない状態のことだが、我々は、いや、日本人は、この状態を「知っていた」と、誤解を生む可能性を知りつつ、そう言わせてもらおう。我々は、こうなることを知っていたのだ。神話の世界に、そのヒントがある。

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その前にまず、『日本は世界の雛形論』という言葉を聞いたことがあるだろうか?これは“都市伝説”や、“スピリチュアル”界隈では有名だが、もちろん、一般常識的には『トンデモ話』の類とされる説。それを承知で語らせていただこう。

日本地図と、世界地図は、実はフラクタル構造のように類似していることはご存知だろうか?(フラクタル図形とは、その図形の一部として、図形全体と相似な形を含むような図形)

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(画像 http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/img/hinagatanihon.jpg より)

俺も子供の頃、地球儀が好きで、四国とオーストラリア大陸、アフリカ大陸と九州の形が似ているなぁと思ったが、言われてみるとこの地図の通り、世界地図と類似している。

面白いのが、富士山のあたりが、ちょうどエベレストがあり、そのまま日本の尾根である、長野〜岐阜あたりに、世界の屋根と言われるヒマラヤ山脈、崑崙山脈。

日本一の湖である琵琶湖のあたりが、世界最大の湖であるカスピ海がある。伊勢や熊野あたりがイスラエルや、メッカなどの宗教上の重要地点。札幌がワシントンDC。東京は北京。京都はモスクワ。宮崎の高千穂峡がキリマンジャロ…etc。

話の発端は神道系新興宗教の「大本教」で語られたものであり、南アフリカ大陸は台湾、らしい…。(もともと、台湾は蒋介石率いる漢民族の襲来がなければ、文化的には沖縄に近かったらしい)しかし、上の地図の通り、確かにそう見えるし、主要な場所の位置も一致している…。

これは、偶然だろうか?

ではいったい、我々“日本人”とは何者なのだろうか?

我々が「一般常識」として習ったのは、アフリカ大陸で発生した、猿から突然変異した人間が、徐々に世界へ広がったとされる、

が、今から語ることは、その説から大きく逸脱する。なんども言うように、教育やマスメディアの報道や常識は、ほとんど真実はない。権力により、都合の良い解釈がされ、都合の用意広報がされてきた。一般的に知られる“進化論”からの人類の起源の定説は、そう遠くない未来に、完全に覆されるだろう。

だから、ダーウィンの進化論などの話は完全に忘れてくれ。

我々の祖先は「縄文人」と呼ばれる。縄模様のツボを作っていたから名付けられたが、当時はもちろん誰も「俺たちは縄文人だ!」なんて言ってない。

トンデモ話を言わせてもらうと、縄文人と呼ばれた人々は、13000年前に滅んだ、ムー大陸や、レムリア文明と呼ばれる文明の子孫であり、科学技術優先だったアトランティス文明よりも、精神性、霊的世界に通じた民族だった。

ノアの洪水で有名だが、かつてあった大洪水や大災害の後、人類はほとんど滅びたが、残ったものは、火山の煙が出る島国にやってきた。それが、我々の先祖だ。その時代は地球全体に気温が低く、氷河に包まれていたが、氷河期時代も、地熱があって日本は温暖だったとされる。

知らない人には信じられないだろうが、我々が学校で習ったような歴史(シュメール文明から、4大文明から始まった有史)とは、まったく違う事実が、すでに多数わかってきている。
考古学的な物的証拠もあり、明らかに覆されているにも関わらず、今だに古代にあった文明を、利権問題なのかわからないが、政府機関が認めていないだけだ。

ムーの子孫たちは、日本の土地で、自然の中で穏やかに暮らした。我々が「歴史の授業」で習った内容だと、大陸の文明が入るまで、縄文人たちには文字を生み出す知恵もなく、ただ不思議なデザインの土器を焼き(どうしてあんなに模様なのかはあまり議論されない…)、農耕を営む技術もなく、狩猟民族であり、槍を持って獣を追い回している原始人のような暮らしをして来た、と教わった。

何度でも言わせてもらおう。

その歴史は、本当か?

違う。縄文時代には、かなり高度な循環システムとしての自然との共生が敷かれ、人々は争いなく、精神的に発達した人々が暮らしていたのだ。文字もあったし、文明もあり、自然に根ざした街もあった。

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