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盆踊りとアイス・キャンディー

東北の旅を終え、東京へ戻って来ました。連日猛暑ですね。

だからというわけではないけれど、今日は「夏の思い出」を綴ろうと思います。

アイス。そう聞くとおそらく多くの人が「アイスクリーム」を思い浮かべるのでは?

そんなアイスクリームの中でも、木の棒の持ち手が付いた『アイス・キャンディー』なるものがあって、いわゆる「棒アイス」と呼ばれる氷菓子があります。ちなみに、木の棒は「白樺」でできていて、今ではそのほとんどが中国産の白樺なそうな…。

棒アイスの形状は、円筒状や、ガリガリ君のような板状なものがあるが、僕はアイス・キャンディーと聞くと、円筒状の、小さめのサイズを想像してしまう。

しかし、総称してそれらをすべて「アイス」と呼んでいたし、今も漠然と「アイス食べる?」とか「アイス買って来たよ」と、家族の中でもそんな会話がある。ちなみに、僕が食べるのではなく、主に息子が食べるのだけど。

今でこそ、あまりその手の冷たいお菓子は食べないけど、以前は大好きだったし、エアコンのないボロアパートに一人暮らしをしていた頃なんて、アイスはおやつであり、体を冷ますための重要なアイテムだった。

大人になると、ひとつ5、60円〜100円くらいのアイスはいくらでも買えるけど、子供の頃はアイスってそれなりに高価なお菓子だった。

当時10円で買えた「うまい棒」や「酢だこさん太郎」とか「キャベツ太郎」を買うのとはわけが違うし、「ぐるぐるゼリー」とか「モロッコヨーグル」など、今になって冷静に考えると、「てゆーかあのお菓子って、何の原材料でできていたんだろう?」

と、怪しげな駄菓子を買うのとも違う。他にも「にんじん」とか「ミニ・コーラ」とか「ビックリマンチョコ」とか…。

いや、なつかしの駄菓子の話をしたいわけじゃかった。脱線した。

つまり、幼い頃の僕らにとって、アイスはそこそこ高価なものだった、ということを言いたかったのだ。

子供の頃の「アイス」の思い出。僕にとって「盆踊り」と深く結びついている。

僕が住む街では、8月に大きな祭りがあった。二日間、たくさんの出店が港の埠頭一帯を埋め尽くし、神輿も出るし、盆踊りや、LIVEステージ、締めの花火大会など、遠くから観光客もたくさんやってくる街の一大イベントだ。

僕が住む町内は「子供会」があり、とにかくうじゃうじゃと子供がたくさんいて、子供会で「ねりこみ」と呼ばれる、盆踊りの「練り歩き」に出場することになっていた。もちろんうちの地区だけじゃなく、街のいろんな地区の子どもたちが盆踊りに参加していた。

踊りなので、当然「振り付け」がある。地域の通りに やぐらが建てられ(今思うとなかなか立派な櫓だった)、その周りをぐるぐるぐるぐる、何度も何度も踊り歩くのだ。曲目は2曲。今でもその歌と音楽は耳にこびりついている。

今の時代ならヘタすりゃ虐待で訴えられかねないが、当時はとにかく「父権」というか、大人が決めたことには子供たちは100%従わなければならないので、盆踊りは強制参加だ。

はっきり言って、よっぽど小さい頃はまだしも、小学生にもなるとその盆踊りの練習は「うざい、めんどくさい、かったるい」という感じで、まったくもって行きたいと思うことはなかった。大体が夜の7時とか8時からで、テレビのゴールデンタイムに行われるのだ。

今のようなネトフリとかアマプラもない時代。テレビは「リアルタイム」が重要であり、我が家は幸運にもビデオデッキがあったが、そんなバラエティ番組やアニメの録画には貴重なビデオテープを使わせてもらえなかった。

そんな中で、1時間くらい、地元のおばあちゃんや、町内会のおじさんたちが指導する中、ひたすら踊り続けるのだから、不満タラタラで、好きでやってる子供はいなかったと思う。

多分、今の時代にそんなことをしら確実にアウト案件だろう。街ぐるみで嫌がる子供たちに強制労働の虐待!などとヤフーニュースに取り上げられてもおかしくない。

もちろん、かったるさ満載で夜の櫓に集まるのは僕だけじゃなく、集まった同級生、先輩たち、後輩たち、みんな明らかに「はぁ〜、早くおわんねぇかな」と口々に言い合いながら、やる気なさそうに盆踊りを踊る。北海道の夜とはいえ、夏なので暑い日にはずっと動いているのでやはり暑い。気だるさ倍増だ。

だけど、唯一の楽しみがあった。それが「アイス」だ。終わった後はアイスキャンディーが振る舞われる。その時間はみんな歓声を上げて群がった。夏の夜の労働後のアイスのなんたる美味しさか。

多分、まとめ買いで安かったものなのだろうけど、そこで振る舞われるアイスキャンディーは、駄菓子屋で売っているものではなく、見たことのないメーカーのミルクアイスだったが、誰もそこに不満を持つものはいなかった。とても濃厚で、美味しいアイスだった。

この棒アイスが円筒状のもので、僕の中でこの印象が強いのか「アイス」とか「アイスキャンディー」と聞くと、夏の夜に盆踊りの後に食べていたこの円筒状の棒アイスを思い出す。

人間って現金なもので、嫌々ながらもみんなで踊ってるうちにそんな気持ちもどうでもよくなってくる。ひょっとしたらそれが「踊り」というものの成せるワザなのかもしれないけど、「行ってみると楽しかった」ということって案外あるものだ。

だから夢中で踊って、練習後に振る舞われるアイスが美味しくて、始まる前にはあれだけ不満タラタラで早く帰りたがってたはずが、結局みんなアイスを食べながら盛り上がり、そのまま遅くまで遊び騒いで「うるさいぞ!何時だと思ってんだ!早く帰れ!」とおじさんたちに叱られるのだ。

アメとムチの見事な使い分けと、まんまとそれにしてやられる田舎のアホガキだったけど、今ではそれは僕の中でとてもいい思い出だ。

今の時代は、昔よりその辺はずっと子どもたちは自由だし、そういう圧倒的な男性的な、父家長性的な強制力というのはあまりない時代だ。田舎にはそういう不調は残ってるとはいえ、昔のような強引な強制力ってないと思う。

僕は確かに当時は不満もあったけれど、それによって失ったものよりも、多くの豊かさを得たという気持ちがある。

もしも、あの強制力がなく、自由参加だったら確実に僕が家でテレビを見て、盆踊りに参加しなかったら、そうなると当然祭りにも参加しなかった。それはそれで「楽」だったとは思うけど、多分味気ない夏になっていたような気もする。

うだうだ文句タレながらも、夜に近所の子どもたちとアイスを食べた夏。櫓の提灯の灯り。太鼓の音。毎年、祭りが終わった後はホッとする反面、何か物足りなさがあった。

「好きなことをして生きよう」
「嫌なことはしないで楽しいことだけやろう」

というメッセージが氾濫していて、そういう生き方が推奨される。もちろん僕もそう思う。

だけど果たして人間の世界は、本当に「好きなこと“だけ”」やって生きていけるのだろうか? 僕も好きなことをやって生きているけど、その中でも嫌なことや面倒なことはたくさんあるし、こういう状態になる以前は、散々嫌なことや我慢をしてきたという過去もある。その中で磨かれたものがある。

古き良き時代というか、かつての地域社会の「強制力」「同調圧力」があり、嫌々やらさられ、時に「意味なくね?」と思えるような雑事の数々。だけどその中でも、楽しみを見つけたり、遊び心を見つけ、マイナスな状態でもプラスを見つけるって、それは人としてとても必要な力なのではないだろうか? ネガティブな状態に、ポジティブなものを見つけ行動を起こせるって、とても重要な思考習慣だ。

だから「子供たちには強制的に共同体に参加させろ」なんて言うつもりはもちろんない。あくまでも「僕はあれでよかった」という話だ。

社会人でも、嫌なことってあるだろうし、家庭内でも我慢や面倒なことはたくさんあるだろう。それを否定するより、その中で「できることをする」という心がけは、とても大切だと思うのだ。

おわり

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