見出し画像

「vision」を生きる。君は何を“視る”のか?

vision。

たった一つの法則。

どうしてこの世界はこんなにも不公平で不平等なのか?
生まれながらに富む人、美しい人、才ある人。
または、それらと反対のものを持つ人。

悪いことをするとバチが当たると言われ育ったが、どうやらそんなことがないとある程度大きくなればわかる。

一日一善、良いことして、頑張って努力すれば報われると聞くが、こちらも決してそんなことは言い切れないと気づく。

この世界に神がいるのならば、どうして世界には戦争や飢餓や貧困があり、病の苦しみ、老いる苦しみ、別離の苦しみ。思い通りにならない、願った通りに叶わない。

人はどうして苦しむのか? 

僕自身、母親の病気、家の借金などのトラブルの中、自身も病気をしたり、親友の自殺、そんな10代から20代前半を過ごし、そして叶わぬ夢を追いながら、どうやったら人は幸せになれるのか?を探求してきました。

色んなことをやったと思います。学んだと思いますし、時間や労力、お金も投資しました。もちろんその中で確実に、探求を深め、何度かブレイクスルーが起き、神秘的な体験も起き、僕自身は身軽になり、精神はクリアになり、実際に現実が10年前の自分には想像もできないような豊かな暮らしを実現させています。

それでも自分自身も一人の探求者であり学習者として、探求を続けていました。瞑想やボディーとの対話、自然との過ごし方、スピリチュアルな精神性、感受力の高め方などを伝えながら。

僕の伝える「芯」のようなものって「瞑想」くらいなもので、実はあまりこれと言った特徴はなかったし、それでいいと思ってました。

しかし、最近僕自身に大きな降参(サレンダー)するきっかけがあり、今まで学んできた点と点が、一つの線に結ばれました。そして、自分が何を伝えるべきかが見えました。

それはとてもシンプルなものでした。とても単純なことです。人が「幸せ」になるため。人が豊かな人生を送るため。そして「愛」のある生を体験するため。

それが「vision(ビジョン)」です。

これは探求クラブ内の掲示板で書いた文章ですが抜粋してシェアします。

「vision」 つまり、 「見る」ってことです。
何を見るか?が、我々自身を、我々の人生を創るのだと、 インスピレーションを受け取りました。
僕が今までやってきたこと、
瞑想、
エネルギーワーク、
ボディーワーク、
スピリチュアルや神秘学、
山や自然での感覚の研鑽、
神社仏閣などの聖地巡礼、
タオ(道)の学び、
ホ・オポノポノ、
祈り、
音楽、芸術、
歴史や陰謀などの情報、
自身の壮絶な体験、 神秘体験…
それらがすべて一つの線で結ばれました。
これからは、すべてのワークが「vision」に向けたものになると思います。

visionと書くと「映像」的なニュアンスはありますが、映像や視覚だけではなく、もっとトータル的なものを包括した「vision」のことを語っています。

ちなみに僕たちはすでにvisionを生きています。あなたが今体験している全ては、あなたのvisionです。

もしもvisionなんて意識したことなく、あっても曖昧なvisionしか見えてないのだとしたら、そこには社会的、時代的、環境的、因果的なvisionが反映され、知らず内にそれが体験されています。

外部の影響をメインにした、自分の人生を自己創造している状態です。

しかし、我々は外部の創った人生ではなく、内面から発する望みで、人生をクリエイト(創造)できるのだと確信を持って言えます。

あなたの人生は、あなたのもの。
あなたの人生は、あなたに創造される。

さまざまなスピリチュアルのティーチャーたちが、たとえば「引き寄せ法則」しかりで、似たようなことを述べています。だから、別段僕の言う単純な真理は、珍しいことではありません。

しかし単純が故に、取り扱い方によって、解釈はいくらでも稚拙にもなれるし、エゴイズムに塗れたものにも変わります。visionは翳り、曇り、外部の影響によって染められます。そうならないように、純粋なvisionを見る。それによって、我々は自分の人生を選べるようになる。

ただし、ここでみんな思うでしょう。

「どうすればいいんですか?」
「やり方を教えてください」
「わかりやすく教えてください」

僕に教えられるものはいくらでも教えますが、残念ながらこれは「テキスト化」した瞬間に、「形式」に成り下がった時点でズレていくものがあります。visionは形式や、不特定多数への「方法」になると、翳りが生じます。また「わかりやすさ」が時に大きな間違いを生み出すことを、たくさん見てきました。

だから個々との『対話』によって生まれ、個人が受け取るものです。

対話というものは、情報伝達でも要求でもないです。「伝え合う」ことです。

それは「リアルタイム」に起こることであり、その「出会いと交流」から、そこでしか成されない言葉から、言葉の奥にあるものが胸の奥に入っていくことです。

だから、これからのvisionのワークショップやセミナー、セッションなど、「visionは〇〇の方法で、その答えは▲▲です」とか「visionとは〇〇を学ぶところです」と、広告PRとしては、明確なものを何も示せません。

ちょうど、久々にYoutubeでも、宮崎駿監督最新作の「君たちはどう生きるか」を観て、新しい時代の息吹を感じた、というお話ししました。

形式をあらかじめ伝えてしまうことにより、受け取る人の可能性は減ってしまいます。僕は出会う人の可能性を信じています。

といっても、visionを伝えるにあたり、いくつかキーワードはあります。

「自己受容」
「0(ゼロ)」
「祈り」
「最善へ」
「完全なる自己」
「完全なる世界(神の世界)」
「聖母マリア」
「キリスト意識」
「自らが創造主」

visionに向けて、いくつかの基礎的な知識としては、我々の「成り立ち」や、「段階」などの座学的な講座は行います。

あとはその時その時に、出会った人、集った人たちでしか出てこないものを取り出して、対話したり、ワークをして実践して、visionを見つけるための道を一緒に探したいと思っています。

本気で豊かな人生を送りたいと思う方。

本気で自分の人生に幸福を見つけたい方。

本気で自分の人生に取り組みたい方。

一緒に、創造的な人生を「視る」ことで、完全なる自己として、自分の人生を生きませんか?

ピンと来た方、ぜひ直接足を運んでください。一期一会の出会いをお待ちしております。

8月20日(日)東京 14時〜

8月27日(日)大阪 14時〜


サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。