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みっちゃんの「赤」 

みっちゃん、というあだ名の人は男女問わず多い。

僕もこれまでの人生に「みっちゃん」と呼ばれる人間には、親しくなった人たちだけでも、数人はいる。しかも、僕が出会ったみっちゃん達は、なんらかの色濃い記憶を残していった人が多い。

つまり、僕は「みっちゃん」に縁がある、ということだ。

僕が小学生2年生の頃。友達で「みっちゃん」という女の子がいた。今日はその子の話をしよう。

ちなみにこのみっちゃんの名前は「ミチコ」。名字は忘れた。

僕らは比較的親しかった、と思う。親しいといっても、ケンカ相手のような仲の良さだった。

当時、こんなふざけた唄があった。

「みっちゃん、みっちみっち、うんこたれっる〜♫」

このフレーズは僕の小学校だけだったのか、もう少し広い範囲で流行っていたのか、もしくは全国的な認知度のものなのかは定かではないけど、僕と、もう一人の「内田」という同級生を中心に、男子たちで声を合わせて歌って、みっちゃんをからかったものだ。

しかし、彼女は気の弱い女の子ではなく、そんな男子の悪態に対して「このやろ〜!」と、立ち向かい、平手とはいえバシバシと僕らを叩いてやり返すような気の強い女の子だった。それがまた僕も楽しかったのか、ことあるごとにみっちゃんを、今で言う「いじり」をして遊んだ。

みっちゃんは肩くらいの髪の長さで、いつも頭頂部を結び、おでこを出していた。後から思うと、けっこう可愛い顔をしていたと思う。

僕は当時、他にメインに好きな女の子がいたが、ひそかにみっちゃんのことも「まあまあ可愛い」とすら思ってもいた。でも、口では「ブス!」とか言っていた。そしてみっちゃんが怒る。掃除中なんかは、ホウキを持って追いかけ回される。そのやり取りが面白くて、僕や内田や、悪ガキ数名でまた悪態をつく。

毎日のようにそんなことが繰り返されて、みっちゃんはそれを嫌がっていたようで、何かと彼女から僕らの方へやってきて「何してんの〜?」とか「見て見て〜」と話しかけてくる。だからきっと彼女も僕とのそんなやりとりを楽しんでいたのではないかな?と、今でも思うし、当時から思っていた。

なぜならみっちゃんは他に友達がいなかったわけではないのだ。彼女はいつも明るくて、女の子の中でも人気があり、女の子同士でもよく遊んでいた。でも、豪快で活発な性格もあって、僕ら男の子と遊ぶことも多かったのだ。一緒に鬼ごっことか、かけっこをした。

みっちゃんについてよく覚えているもの。「赤」だ。彼女はいつも赤い服を着ていて、さくらんぼのような髪飾りをしていたのを覚えている。

赤いスカート。雨なら赤い長靴。冬には赤いコート。

直接聞いたことはないけど、多分赤が好きだったのだろうと思う。そして、みっちゃんは赤がよく似合った。

僕は他に好きな女の子がいた、とさっきも書いたけど、いつも遊んでいるみっちゃんのことが明らかに異性として気になっていた。みっちゃんをからかって遊んでいたのも、自覚はしていなかったけど、この頃の男の子によくある「好きの裏返し」みたいなものだったと思う。

いや、自覚はあったのだ。ただ、いつも憎まれ口を叩くみっちゃんに対して、そういう淡い気持ちを持ってることを認めたくなかっただけだったのかもしれない。

でも、みっちゃんと一緒にいると、僕は元気になれた。みっちゃんは表情や感情豊かで、いつも笑っているか、怒っているのどちらかだったけど、それがキラキラして見えた。ちなみに怒らせるのは主に僕の役割なのだけど。

しかし、ある日みっちゃんは突然、本当に突然、前触れもなく「転校」してしまうことになった。

聞かされたのは多分前日か、前々日だった。しかし、当時8歳の僕には、転校してしまうということは、リアルに想像できなかった。それまでの幼稚園とか小学生1、2年生で、新たにやって来る子はいたけど、そこを出て行く子を見たことがなかった。まして「家庭の事情」とか、きっと複雑なことがあったのだろうけど、そんなことも想像できない。

いなくなる、と聞いて、本当はみっちゃんに色々と聞きたかった「なんで?」とか、「どこに行くの?」とか「もう会えないのか?」とか。

でも、僕にそれを尋ねることはできなかった。

女子たちが「さびしい」とか「離れたくない」とか言って、みっちゃんを囲んで騒いでいるのを横目で見ながら、いつもみっちゃんに悪態をついている僕は、そんなことは聞けなかったのだ。

そして、みっちゃん転校、の話題に持ちきりで、その日は僕らとみっちゃんが遊ぶことはなかった。

そして、すぐにその日はやってきた。二学期の終わりだったと思う。雪が降っていた。

みっちゃんのお母さんを初めて見た。若いお母さんだった。あまにみっちゃんに似てないとと思った。顔もさることながら、お母さんは大人しそうな、ほっそりとした人で、元気一杯のみっちゃんとは正反対のタイプに見えた。

みっちゃんの挨拶の後、担任の先生が、みっちゃんのお母さんからもらったお菓子を、クラスメイトに配ってくれた。僕は呆然としながら、その一連の様子を眺めていた。

その後みっちゃんはみんなに囲まれて、泣いてる女の子もいた。僕は遠目でその様子を眺めながら、複雑な気持ちを抱えていたことは言うまでもない。

「おい、ミチコにさよなら言わないでいいのかよ?」

何人かの男子が僕に言った。僕がみっちゃんと仲が良かったことはみんな知ってる。

「はあ?知らね」

と、僕はつっぱねて、別の遊びをしようとした。

校庭で見送りになった。女の子たちはまたみっちゃんを取り囲み、別れの挨拶を交わす。「元気でね!」「また遊ぼうね!」みっちゃんのお母さんが、少し離れた場所で待っていた。

本当は、最後に何か言いたかった。なんでもいい。「みっちゃんみちみち」でもいい。最後に、言葉をかけて、言葉をかけられて、何かを残したかった。

僕は勇気を持って、みっちゃんを取り囲み、別れの挨拶をしている輪に入ろうかと思ったが、

「お前、ミチコのこと好きだったんじゃねえの?」

と、誰かに言われたことで、「んなわけねーだろ!おい、内田、行こうぜ!」と言って、友達の内田を連れてその場から離れようとした。

みっちゃんが、こちらを見ている。僕と目が合う。

僕はさっと目を逸らした。泣きそうだった。何に対して泣きそうになっていたのか、自分でもよくわからなかった。

そしてみっちゃんは別れを惜しまれながら、お母さんの方へ行った。何度も振り返りながら。雪が降り積もった校庭に、みっちゃんの「赤」がとても目立つ。

それが、みっちゃんを見た最後だった。

どうしてあの時、頑なになっていたのだろう…。何のプライドがあったのだろう。何を守りたかったのだろう。一番伝えたかったことを、伝えられなかった。

最後にみっちゃんが僕を見ていた時の顔。今まで見たことのない顔だった。いつも強気で、笑ってるか怒っているかの、どちらかの顔しか見せない彼女が最後に見せた寂しそうな顔。泣き出しそうな顔。赤いリボンと、赤いスカート。赤い髪飾り。真っ白な雪と、赤いコート、赤い靴。

終わり

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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