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“評価”による社会システム(前半・無料)  たとえ淡い光でも(後半)

“評価”による社会システム

こんなTweetをしました。

人はどうしても、社会からの評価や、他者からの評価が気になるもんです。つまり、「自分自身の満足感」よりも、「人(個人、多数)からどう思われるか」に、自身の行動規範を作ってしまいがち。

我々は「形」を求めます。目に見えて、肌で感じて、はっきりと理解できるものを得て初めて「自分はそれを得た!」と、満足します。

しかし、この世界はたとえ社会的評価や、大勢の賞賛がなくても、優れたもの、優れた人、優れた作品などが多数あります。「ほんもの」は、有名無名に関わらず、確かにあるのです。

だけどこういうことを言うと、現状で“持ってる人”たち。つまり、「勝ち組」と言われる人の多くはこう言います。

「それは負け犬の言い訳だ」
「努力が足りないからだ」
「やってから言えよ」

確かに、彼らの言い分ももっともです。僕もそういう、いわゆる「勝ち組」的な人たちと直に触れ合ってきて、直接意見を聞きながら、彼らの言い分はもっともだと思いました。

なぜなら、明らかに怠惰な意識によるツメの甘さの結果、パフォーマンスされる商品や作品のクオリティが低いのに、評価がない理由を「社会のせい」「他者のせい」にしている人が多いからです。しかしこれに対して、

「努力が足りないからだ」

と、多くの成功者は言います。だから世間が認めないのだと。彼らは「良いものを出せば必ず“結果”に出る!」と言い切ります。そして、そんな自己啓発じみた書籍を書いたり、講演会を行い「夢は叶う!」と伝えます。

確かに僕も「クオリティ」や「スキル」に関しては、才能はもちろんですが、さらにそこから努力やそれに費やした情熱が、往々に比例すると思います。

でも、商業的成功は、また別の能力だと思います。

あらゆる業種、業界においても、資本主義経済的には成功していなくても、純粋に“作品”や“能力”だけなら、優れたものがあり、逆に、まったくクオリティやスキルに関係なく、評価を得ている人やモノって、「勝ち組」の人は認めないかもしれないけど、あるんですよ。

もちろん僕がこの社会的に、資本主義経済的には成功と呼べるほどの商業的実績は大した持っていないので、成功している勝ち組の人たちからは、この意見も「負け組の言い訳」と一笑、一蹴されるかもしれませんが、僕自身のことだけではなく、もっと評価されて然るべきものってあるなぁって思うし、過去にもあったと思います。

歴史がそれを証明していますが、過去の我々の知ってる歴史って、あくまでも「勝者の歴史」であり、それは主に「暴力的・力学的」な強さに基づいたものが多く、政治力や、近年だと認知力、広告力が、歴史を作っています。

だから、今我々の知ってる歴史が嘘だらけなのです。ちょっと調べれば、大半の歴史が「為政者による都合の良い嘘」だと知ります。

確かに、優れた作品や、優れた人物、偉大な人物の偉業も残ってもいます。すべてを否定するわけではないですし、僕もその偉業や優れた作品に感動し、感化されました。

しかし、歴史から葬り去られた偉人や、愛に溢れた芸術作品でも、消されてしまったものも多くのあるのです。

中世から近年、才能やクオリティだけでは足りず、なんらかの「パトロン」を得た人が社会的に成功を抑めてきたと思います。

僕はアメリカの音楽が大好きで、多く影響を受けましたが、戦後のメディアでメインストリームになるのは、何らかの「勢力」の後押しあってこそです。その闇に触れて、それを暴露しようとすると、ジョン・レノンや、マイケル・ジャクソンのようになってしまいます。(つまり殺されるってことです)

僕らが普段当たり前に使っている、あらゆる「商品」の大半もそうです。

飲んでいるジュース、食べるもの、薬、自動車…。

大きな会社が製造、販売、流通に携わっていますが、どうしてその企業は、大企業たる「大きな組織」に発展できたのでしょう?例えば、大きな自動車会社になるには、大規模な自動車工場を設営し、それを広告し、それを販売しますが、実際に売れるまでは一円も利益はない。でも、そこにたどり着く前に莫大な資金がかかる。

だから「株式」という仕組みがあり、多くの人から「出資」を募り、それを元手に事業を起こし、そこで利益を得て、出資者に配当をします。

もちろん、現場で我々が知ってる大きな企業、それらはすべて「株式会社」です。

つまり、誰かが出資して成り立っている。だから「会社は株主のもの」って理論になるんです。

しかし、出資は個人投資家だけで大企業をささえるわけではなく、大企業の投資のほとんどが「機関投資家」が行っています。

機関投資家とは、顧客から預かった資金を株式や債券等で運用・管理する大口投資家のことです。例えば、信託銀行、年金基金、信用金庫、共済組合、農協、政府系金融機関などが挙げられます。一般的な投資家と機関投資家の大きな違いは資金力です。個人投資家は自己資金で投資を行いますが、機関投資家は多くの顧客から集めた資金を運用するため、市場でも強い影響力があります。

世界中、日本にしろ、少し調べれば誰でもわかりますが、実は多くの企業の投資のほとんどを、ある特定の団体がやっています。ユダヤ系、と言われますが、ユダヤ人というより、ユダヤ資本を使った、絶対に名前の知られない血族です。ロスチャイルドとかロックフェラーのように、名前が出ているのはただの矢面に立たされているだけです。

まあ、その辺の話は置いておきますが、株式会社の仕組みが、今の世界の経済発展を作って来ました。

しかし「会社は株主のもの」なので、世界中のほとんどの大手企業がある機関投資家(国際金融家、ディープステート)や、その団体、血族、勢力の持ち物です。

当然、そこには「メディア」「報道」の企業も入っているので、報道は彼らの都合の良い情報しか流せません。YoutubeやGoogleだってそうです。

ここ100年ほど、世界は彼らに認められ、彼らに何らかの利益をもたらすことに貢献しないと、世界的に広がることができないシステムでした。それは製薬会社にしろ、音楽や芸能のメディアにしろ、トヨタ自動車にしろ、ソニーにしろ、ほとんどがコントロール下にあるのです。

ただ、インターネットによって、その仕組みは変わってきていますが、それすら彼らの手の中なのかどうかは、ちょっと微妙です。

でも多分、今はすべてをコントロールできてはいないと思います。その血族を超えたエネルギーが働いていると思います。

と、ここまではちょっと大袈裟な話に飛んでしまいましたが、後半は今の評価社会から、今後の未来、そして、我々はどうすべきかについての見解を述べたいと思います。

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