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あの夏を、忘れない…。 壮絶な夏の戦い。


東京の夏は暑い。いや、日本中暑いのだろう。しかし、俺はついこの間まで、八ヶ岳山麓、標高1000メートル付近の避暑地に住んでいたので、都内のこの暑さと、何より「湿度」には参るね。

そもそも、俺は北海道生まれだ。冬場は雪が積もり、毎日の雪かきがとにかく嫌で「もう2度と雪が降り積もる地域には住みたくない!」と思っているが、夏はとても良い。北海道の夏は涼しいだけでなく、梅雨がないし、湿気が低いから過ごしやすいのだ。

そして、北海道のもう一ついいところが『ヤツ』がいない、ということ。あの、すばしっこくて、しゃかしゃかと地べたを這い回り、どんな隙間にも潜り込み、放射能の海の中でも生き延びれるという、噂のアイツ…。

そう、『ゴキブリ』だ。

北海道にはゴキブリがいないので、俺は子供の頃から、テレビや漫画などで、存在は知っていたが、リアルに見たことはなかった。(最近は、チャバネゴキブリは出るようになったという噂だが、本当?)

俺が上京したのは20歳。1998年。まだ、世間知らずの勘違いボーヤだった。

北区赤羽で一人暮らしを始めた。家賃5万5千円。1階。間取りは2K。6畳と、3畳とキッチンスペース。トイレは和式。風呂は、外の部分に、プレハブのような1畳半くらいのスペースの建物を作り、ボイラー式の風呂があった。シャワーはないので、浴槽に水をため、それを沸かして、そのお湯で洗う。ちなみに、ほぼ「外」にあるので、冬場はむっちゃ寒い。

本当はワンルームで十分だったが、その物件はかなり古く、木造のアパートで、日当たりもほとんどなかった。「風呂付き物件」だが、上記のように、とにかくおかしな造りで、今思うと、5万5千円ですら“ボられて”いたのでは?と思う古アパートだ。なんも知らない田舎者が、不動産屋の巧みなトークでやられてしまったと思う。

引っ越したのが6月9日。えらい中途半端な時期の引越しだが、資金を貯めるのにそれくらいかかった。

さて、とにかく晴れの一人暮らし。憧れの東京の暮らし。ワクワクドキドキの毎日。

だが、いくつか困ったことがあった。

まずそのアパートには「網戸」がなかった。もちろん、クーラーなどない。だから、窓を開けると「蚊」や「蜂」やら、いろんな虫が容赦無く侵入してくるので、なかなか窓を開けれない。

よくあんな灼熱の場所にいれたもんだと思うが、夏場でもほとんど窓を閉め切って過ごしていた。時間があると近所のコンビニに涼みに行きながら。

しかし、窓を開けれなかった理由は、蚊ではない。そう「やつ」だ。

8月の暑い日だった。俺は初めて、その黒い物体を目にした。かなりの大物で、バイトしてた飲食店で「チャバネゴキブリ」という、小さい種類は見ていたが、その倍ほどの大きさ。

20歳の夏。俺は連日のように、未知との脅威、ゴキブリとの死闘を繰り広げた。

あの夏を、忘れない…。

ある日、ついにそいつは俺の目の前に姿を現した。7月の末くらいだったと記憶している。ようやく、生活に慣れ始めた頃で、田舎から出て、東京での刺激的な生活を楽しんでいた頃だ。

部屋にいる時、ふと目についた。壁に、素早い動きで移動する、赤黒い物体。今まで見たことのない、噂の、ゴキブリ。

東京暮らしで、覚悟をしていたとはいえ、やはり目の前で見るそれは、恐怖の象徴だった。俺はぞわぞわっと、嫌な鳥肌が立った。恨みを残した地縛霊が近くにいる時のそれよりも、はっきり言って現実世界を目に見える形で這い回るゴキブリの方が、遥かに恐ろしかった。

時は1998年。翌年の1999年に七の月に、アンゴルモアの大王が来て世界が破滅するという“ノストラダムスの予言”があったが、その赤黒く、大きく、素早く動き回るそれは、アンゴルモアの大王よりも恐ろしかった。
(ちなみに、いまだにアンゴルモアがなんだか分かってない…)

今でこそ、俺はけっこう「虫」全般に強くなった。一つは子供が生まれてからだろう。

息子が小さい頃、やはりセミとかカブトムシとかに興味を持つので、俺としてはパパとして頑張って、それらの虫を触って捕まえるようになった。それでだいぶ平気になったが、一番はなんと言っても7年前に八ヶ岳へ移住し、「農業」をやったからだ。

野外で農作物育てて、しかも、農薬や除草剤使わんのだから、虫がわんさかいて、虫と共存させてなんぼの自然農という農法を習っていたので、虫が怖いとか言ってられない。嫌でも耐性が付く。

しかし、当時(20歳)は、ほんとに虫が嫌いで、小学生の頃から、俺はすでに虫が苦手だったのだ。男の子が大好きなカブトムシすら触れなかったのだ。

そんな俺の目の前に、ヒメクワガタくらいの大きさの、ゴキブリ…。しかも、素早い…。

こんな時のために、殺虫剤の「キンチョール」スプレーがあった。俺の武器はそれだけだ。ちなみに新聞紙でぶっ叩くという荒技はできない。なぜなら、潰れて内臓をぶちまけたそやつの無残な死骸の処理などできそうもなかったからだ。

俺はスプレー片手に、そいつと対峙した。至近距離でスプレーを撒く。しかし、蚊とかハエとは違う。一撃では死なない。

「ごほっげほっ!」と、俺の方がむせる。俺は口にタオルを巻き、スプレーを撒き散らしながら部屋の中でゴキブリを追い回し、

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」

と、噴射しまくり、ようやく仕留めるに至った。ヤツはひっくり返り、のたうち回り、最後は、足がくしゃっとなりうごかくなる。俺はそれを、雑誌の表紙とか、とにかく硬い紙を使ってそっとすくい上げ、俺は感情を殺し、冷酷なマシーンとなり文字通り『虫ケラ』のごとく、ヤツの遺体を外の茂みに投げ捨てた。

喉が痛かった。キンチョールを吸い込んだからだ。目もしょぼしょぼする。しかし、換気のために窓を開けれない。外には、うようよと奴の仲間がいると考えると、窓を開けられなかった…。(今思うと、よく平気だったなと思う。今なら薬剤に敏感になったから、一瞬で具合悪くなりそうだ)

しかし、それはまだ戦いの序章に過ぎなかった。

連日、奴らは現れた。

時には1日に2、3匹、奴らと死闘を繰り広げた。「ここはゴキブリに呪われた館か?」と、不動産屋のにーちゃんを激しく恨んだりしたが、もうどうにもならない。俺はここで暮らすしかないのだ。

できることはなんでもやろうと、ゴキブリホイホイや、コンバットをたくさん仕掛けた。しかし、後から知ったが、コンバットの類の薬剤は、比較的春の段階で仕掛けておかないと効果が薄く、真夏に仕掛けた頃には、奴らはすでに巣で大量発生しているとのこと。(翌年からは春のうちにセットしたら、ほとんど出なくなった)

連日、やつの仲間と思しき、赤茶色のゴキブリが部屋を徘徊していた。キンチョールにより、自らもダメージを被弾しながら、俺は戦いに勝利した。そして、俺はその度に経験値を積み、レベルアップをしていた。だんだんとヤツの『屠(ほふ)りかた』に慣れ、スプレーを噴射しながら、

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁ!!貧弱貧弱貧弱ぅぅぅ〜!」

と、無敵の力を手にした「ディオ(ジョジョの奇妙な冒険参照)」のように振る舞い、呪われた館を、自分のものにしつつあった。

しかし、赤茶色にヤツは、この館を支配するゴキブリ帝国の“中ボス”に過ぎなかったと、すぐに思い知らされた。なんと、そこにはボスキャラがいたのだ。

それが大物の「黒ゴキブリ」。どうやら、赤茶色のやつは「ワモンゴキブリ」という中型種のようだ。

8月のある日だ。今まで見たのとは比べ物にならないくらいの大きさの、黒光りした、

「え?カブトムシくらいあるんじゃないっすか?」

という大きさのやつが、壁にいたのだ。

(な…!なんだこの大きさは…!)

戦慄。全身に鳥肌が立った。未体験の敵。やつの戦闘力は、俺が界王拳10倍を使っても勝てるかどうかわからない…。

(なっ!俺が、震えている…?)

野生動物は、自分よりも強い相手を本能的に察知するという。まさしく、その時の俺は、自分よりも「生物的」な強者に対峙し、人としての弱さを知った。彼らは、恐竜の時代から同じ姿で生き延びている。姿や構造が変わらないというのは「進化」していないからだ。なぜ、ゴキブリは進化しないのか?それは「する必要がない」からだ。なぜなら彼らは、すでに最強だった…。そんな、数億年の地球の歴史を背負った怪物と、たかが生まれて20年の俺に、太刀打ちができるのだろうか?

しかし、…やるしかない。俺は、なんのために故郷を捨てて東京へやって来たのか!!そう言い聞かせ奮起し、前で出ようとする。

しかし膝が、動かない。一歩を踏み出すことができない。恐怖で体が固まっていた。

(ちくしょう!前に出ろ!出やがれ!俺の足!)

と、自分で自分の足を思い切り叩き、勇気を持ってそいつに近づく、そして、キンチョールスプレーの銃口を向ける。狙いを定めて、

(ファイヤー!)

白い霧状の毒ガスが放射される。やつはすぐにカサコソと天井の方へ回り込む。

(逃すか!)

俺は天井に向けて、やつの姿を追いながらスプレーを撒き散らす。今回は、予め口にタオルを巻いていたが、それでも殺虫剤の臭いでむせ返る。

反対側の壁に、黒ゴキブリは回り込んだ。俺はスプレーを構え、やつをじりじりと追い詰めた。しかしその時だ。

(……!)

ヤツの背中に翼が生えた。どうやら、さっきまでの姿は、仮の姿。フリーザやザーボン、サイヤ人と同じ“変身型タイプ”だったのだ!おそらく、あまりに強力なエネルギーを消費するので、通常はエネルギーをセーブしているのだろう。

だがヤツは俺が手強いと知ると、ついに本性を現した。やつの戦闘力が膨れ上がり、俺のスカウターが壊れた。もはや、戦闘力は未知数…。

何をするのかと思えば、ヤツはなんと羽を広げ、真っ直ぐにこちらに向かって飛んできたのだ!しかも、顔面に向かって。

(うおっ!!)

俺は必死にそれを避けた。すれすれだった。もし、あと1センチでも横にいたら、ヤツの翼の真空波によって、俺の頬は切り裂かれていただろう。

ちなみに俺は自慢じゃないが、中学高校と、体育の『体力測定』では、柔軟性、瞬発力、持久力など、あらゆる点において平均より劣っていたが、なぜか『敏捷性』だけがずば抜けて高かった。なぜなら、俺は“反復横跳び”だけは、他の運動部の連中よりも早かったのだ!中学の頃などは、常に学年一位の速度を誇っていた。
(だが足が速いとかならモテるが、反復横跳びの速さではまるで女子からモテない!なんて地味なんだ!)

そんな超人的な反射神経と俊敏性を誇る俺が、自分の肉体の限界を超える『界王拳20倍』を使っていたからこそ、やつの急襲を受けずに済んだが、常人ならば確実に即死だっただろう。それほど、ヤツの攻撃は一撃必殺の威力を放っていた。

ヤツは俺の横をかすめて、反対側の壁に止まった。そして、休むまもなく、第二波の攻撃。再び、俺の顔面目掛けて飛んでくるではないか!しかも、かなり速度だ!

「はいやっ!!」

俺はまた必死にその猛攻を避ける。叩き落とすことはできない。もし触れようものなら、その瞬間に、俺の手はヤツの体にコーティングされた毒素によって、腕が焼けただれただろう。だから避けるしかできなかった。

また、反対側の壁に…。完全に、俺を嘲笑っていた…。

口のタオルは外れていた。部屋にむせ返るキンチョールの臭いに、俺の方が先にやられていた。

汗だくだ。時間は深夜12時を過ぎていたが、8月だ。窓を閉め切っている。部屋中、転げ回るように避けているので、ギターが倒れ、コップをひっくり返していた。

また、またの攻撃が来た。速度がだんだん上がっている。俺がスピードを上げると、ヤツはさらにその上を行ってくる。

(ちいっ!バケモノめ!!)

その攻撃もなんとか避けた…つもりだったが、今度はヤツ動きが途中で起動を変えて来たのだ!。俺が避ける方向に、奴も合わせ来た。

おそらく、俺の動きを読んでいたのだろう。俺が右に避けるの知って、右に起動を変えたのだ。

俺はその新たな技に、たまらず床に倒れ込み、畳の上を転げ回った。それでなんとか直撃を避けた。

しかし、気を抜く暇などない。すぐに身を起こす。瞬き一つの間に、命を失いかねない極度の緊張感。「死」が、目の前にある。そこは最も死に近い場所だった。俺はブルース・リーの遺作となった「死亡遊戯」という映画を思い出した…。

壁を見る。しかし、やつの姿は見えなかった。だが、その直後に俺は、絶叫することになる。

俺は、夏場のあまりの暑さで、一人暮らしなので、家ではパンツ一丁で過ごしていた。そう、地肌剥き出し、生肌、生足だ。まだ20歳の、つるりとしたお肌。

そんな俺の太ももに、おぞましい感触が…!

それは「かさかさ」ではない、「がさごそ」と、まるで“たわし”の全部の毛が意思を持って動き回ってるようなような感触だ。

そして、視線を落とすと、やつが俺の白い太腿の上を這っていたのだ…。

「びぎゃー!!!!!⭐︎△●*■△○!!!」

俺は叫び声やら奇声を上げて、持っていたスプレー缶でヤツを振り払いながら、部屋を転げた。しかし、ヤツはすぐに飛び立ち、また壁に止まる。

涙が出る寸前だった。しかし、泣いてる暇はない。涙で視力を奪われては、ヤツの猛攻を避けることができない。そう、ここは修羅の国だ。俺はまだ、名乗ることすら許されていない修羅なのだ。

(こいつを倒すまで…!)

ヤツは、壁を不気味に這いながら、こちらの様子を伺っている。すざましい殺気を放っている。その殺気と、放たれる瘴気、キンチョールの臭いで、部屋の中は魔界の入り口のような空気になっていた。

殺るか、殺られるか…。俺に残された実は、その二つだった。この黒い悪魔に、部屋を乗っ取られて、俺は名も無き修羅として抹殺されるか、この悪魔と戦い、勝利し、居場所を勝ち取るか…。

俺は、戦う。そして、勝つと決めた。

しかし逃げていては、勝てない。立ち向かうしかない。

(俺は、負け犬なんかじゃねえぇぇぇ!!)

と歯を食いしばり、気合を入れた。限界突破の界王拳を使った。

(界王様、お許しください!)

「うおぉぉぉぉ!!」

俺は全身の勇気を振り絞り、咆哮した。声を出さないと、体が動かなかった。そしてスプレーを四方に撒き散らしながらヤツに向かって行ったのだ。

そしてヤツもまた、こちら目掛けて羽を広げて向かってきた。だが、それがヤツにとって仇となった。お互いがそれぞれぶつかっていったので、結果的に「カウンターパンチ」のように、キンチョールの噴射をもろに食らわせられたのだ。

それが致命打になり、やつの動きが鈍った。ヤツはついに床に、地に足をつけたのだ!俺はそれを見逃さず、スプレーを至近距離で放ち、息の根を止めた。

ヤツはひっくり返り、足をばたつかせていたが、しばらくして息絶えた。

(か…勝った…)

かろうじての勝利だった。俺はボロボロになっていた。部屋中を確認し、やつの仲間がいないことを確認し、ようやく眠りにつくことができた…。

今のは、始めて黒ゴキブリと死闘を繰り広げた夜の話だが、その後も、8月から9月初旬まで、そのような夜が、何度も何度もあった。

とにかく、太ももに這いまわっていた感触が最強におぞましく、ゴキブリを見つけたらまずは長袖長ズボン靴下を装着し、奴との死闘を繰り返した。汗だくになり、殺虫剤を吸い込みまくっていた。

1日に2、3匹相手に戦うこともあり、深夜の3時4時だろうが、完全に息の根を止めるまで眠れなかった。上京した最初の夏は、油断もスキも見せれない日が続いていた。夏だけで、キンチョールを2本使い切った。

しかし、俺もバカではない。実は途中で『作戦』を変えて楽になった。何も、確実にキンチョールで殺さずとも良かったのだ。

俺は部屋のあちこちに、ゴキブリホイホイを仕掛けていた。合計20個くらい設置していた。そこに、やつらを追い込めばいいのだ。

黒ゴキブリは好戦的で、こちらに向かって飛んで来るので、その時はかなり生きるか死ぬかの死闘になるが、少し小型のワモンゴキブリは、向かってくることはなく、スプレーを撒くと逃げる。だから、そっちの方へ追い詰めると、ホイホイの中にひっかかってくれるのだ。黒ゴキも、弱らせてから、そちらへ追い詰めれば入ってくれる。

しかし、ある時。夏の終わり頃だ。三畳間の仕掛けてあるホイホイに、ゴキブリを追い詰めた。

(ふふふ…。すでに貴様は『死兆星』を見ていたのだ!無限地獄に落ちるが良い!)

と、スプレーを遠目に放ち、3つほど並べてあるゴキブリホイホイに敵を追い込んだ。そして、並んでいるホイホイの中の一つに入った。

しかし、なんとヤツそのままするりと反対側から出てしまったではないか!!

(な…!)

俺は目を疑った。ゴキブリホイホイに入って、そのままトンネルをくぐり抜けるかのように、何事もなく出てくるゴキブリがいるなんて?

(ま、まさか!ヤツの手足から電磁気が発生していて、地磁気と反応し合って、よく見ると浮いていたとか?)

ドラえもんが靴を履かないで、外から帰って来て、普通にのび太の家や部屋に出入りするのは、実はその仕組みで浮いているからだそうだ。

(いやいやいやいやいやいや!!んなアホな!)

俺は、床に顔をつけて、真意を確かめるべく、ゴキブリホイホイを覗き込んだ。だがそこで俺は驚愕の光景を目にした。

なんと、そのゴキブリホイホイはすでに『定員オーバー』だったのだ…。

ゴキブリホイホイは、ホイホイとしてのキャパを超えていた。電車で言うなら“朝の山手線、池袋渋谷間”だ。乗車率300%、ストレス値500%。

しかし、あなたは見たことがあるだろうか?ゴキブリホイホイの館の中に、埋め尽くされんばかりの敷き詰められたゴキブリを…。

つまり、さっき追い詰めたヤツは、かつて粘着シートに足をからめ取られ、そこで息絶えた仲間たちの死骸を踏み越えて逃げて行ったのだ。

俺はゴキブリの生命力を目の当たりにし、恐れ慄いた。自分の小ささや、無力さを知った、20歳の夏だった…。

1998年の夏。初めての一人暮らしは、そんな激闘の日々だった。しかしその後、換気扇に隙間があることを発見し、毎朝晩、そこにスプレーを撒きまくると、一気にゴキブリの数は少なくなった。どうやら、そこが原因だった。そして、寒くなったら、奴らの姿は見えなくなり、翌年は春の間からコンバットやらの対策をしたら、年に4、5匹、見かけるくらいだった。

そして、少し離れた場所に、壊れた網戸のサッシが粗大ゴミで捨てられていたので、それを拾ってうまい具合にひっかけて、破れた箇所や、周りをガムテープで覆い、網戸が付けられたのも大きかった。それで、多少、快適になった。

しかし、思えばあの夏のおかげで、俺はいろんな意味で、強く、たくましくなれたと思う。(もう2度と体験したくないけどな!)

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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