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ポテチ

「夫が、身体に悪いジャンクなお菓子を食べたがっていて…」

「そんな体に悪いものは食べさせたら病気になるよ!」

「でも、どうしても“ポテトチップス”が食べたいって…、でも、私は絶対そんなの食べさせたくないし…。それでこの前も夫とケンカになって…」

「じゃあね、手作りのポテトチップス作りなよ。すごく簡単だから!旦那にはそれを食わせなよ!市販のポテトチップスなんてどんな粗悪な油使ってるかわかったもんじゃないし、添加物も多いからね!絶対手作りの方が美味しいから!作り方はね…………」

***

上の会話は、8年くらい前に、とある「自然食」とか「食養生」のセミナーイベントに行った際の、質疑応答のワンシーンだ。講師は辛口の、現代食へ対してかなり強い批判を持っている年配の女性。

上の質疑応答で分かる通り、質問者の女性は、夫婦間で「食」に対する意識が違い、いわゆる価値観や方向性の「すれ違い」が起きているわけだ。

奥さんは食品添加物に敏感になり、家族の健康のために、そういうものは一切取らせたくない。当然自分も絶対摂らないだろう。しかし旦那さんはそんな事気にしないタイプで、奥さんの作る食事などに不満を持っている。

マクロビオティックとか、オーガニック生活を始めるとよくある話であり、なんなら“スピリチュアル”とか自己啓発の「意識高い系」でも、夫婦間でのこの手のすれ違いは多い。

往々にして、オーガニックとかやってる側は、色んな知識を勉強してるから、気にしない人達をジャッジし、見下す傾向があり、意識高い系を気取ってるが、実はとても意識が粗っぽかったりする。

冒頭の会話で分かる通り、このセミナーの講師もこのタイプであるし、いかんせんこの講師は、まったくもって人の気持ちが分かっていないのだと思った。

俺にとって、このセミナーに行ったのはとてもよかった。何故なら、それまではやや「盲信」気味だったマクロビオティックやオーガニックの知識や価値観に、大きな疑問を持つきっかけになったからだ。

もちろん、ジャンクフードが身体に良くないというのは事実なのだろう。粗悪で酸化した油は活性酸素を生み出すし、添加物や過剰な糖分で、内臓はダメージを受け、脳にも損傷が起こる。

しかし「ちょっとくらい平気」というのもまた事実である。ただ、その「ちょっと」は、人の「体質」「健康状態」によって量は違うので、平均値とか、そういう数値的なものはあまり信用できない。

また、体質的なものよりもやっかいなのが“精神的”なもの。
それらの弊害を気にする過敏な人にとっては、ちょっとでも猛毒になるし、「たまに食べるのは元気が出る!」くらいに思ってる人は、下手したらホントに身体に良い可能性もある。それほど、意識の違いで、体験する現実は大きく変わる。

オレもそうだったからよく分かるのだけれど、その手のオーガニック崇拝者は、意識の違いなどをほとんど考慮に入れず、悪い面ばかりにフォーカスしてしまう。

ただ、それはそれで仕方ない。オレもそうだったから、そういう「段階」ってあるのだと思うし、それほど徹底してこそ分かる世界もある。

でも、その価値観や考え方を「押し付ける」のが、ポテトチップスの害なんかの数百倍やっかいなのだ。

オーガニックやマクロビも、宗教のようななものになる。それが「正義感」として、本人は良かれと思って、身近な人にその価値観を押し付けてしまうのだ。特に子供のような弱い存在に対して、強要すらしてしまう。

善意の押し付けほど、怖いものはない。原理主義者のようなもので、神を信じないものはすべて「悪」として、その悪を正すためなら、相手の気持ちなんぞお構いなしになってしまう。

それが上記のセミナーの講師の女性のように、「相手の立場に立って」という視点の欠如になる。

セミナーの質問者の夫の「ポテトチップスが食べたい」というのは、別に“美味しいポテトチップス”が食べたいのではなくて、カルビーとかコイケヤの、市販の普通の「ポテチ」が食べたいのだ。

我が家は夫婦で比較的その辺の、「食」への価値観を共有していたとはいえ、やはりこういうのは女の人の方が敏感なのだろう。だから妻の方が厳格で、ガッチりとオーガニックをやろうとしていたので、その辺の衝突はあった。
オレは「たまにはちょっとくらい大丈夫だよ」と思っていたのに、それすら許されず、しかも「完全な正論」を持ち出されると、ぐうの音も出ず、そしてそれがまるでこちらの人間性や感性を否定されたような気持ちになってしまうのだ。

これは食や生活習慣から、宗教観、スピリチュアルメソッドなんかも、すべて通ずる。人は自分の信じるものを正しいと思い込み、それに反する事は間違いと思う。ジャッジして、裁き、否定する。

では、冒頭の質問者の女性はどうすれば良いのか?
オレならこう答える。

「好きにさせてあげなよ」と。

夫はあなたの所有物ではないし、あらゆる人の選択は尊重しよう。すべては個人の責任だ。現にたかがポテトチップスで、夫婦喧嘩まで起きているのだ。価値観の押し付けがなければ、そんな戦争は起きない。これは宗教戦争も同じだ。善意と正しさの押し付けが悲劇を生む。

そしてそもそも、どちらの知識が正しいか間違っているかなんて、「1+1=2」のような算数じゃないんだから、わかりっこない。

ただ、強いて“間違い”として指摘するのなら、その偏屈な考え方と、それを他者に押し付ける事こそが、もっとも人として問題ではなかろうか?

あなたは好きな事を、信念に従いやればいい。それは素晴らしい事だ。
しかし、人は人それぞれの価値観や選択権があり、信念や信条がある。それを尊重する事こそ、あなたの信じる信念を守るよりも大切な事だったりする。

オレは基本的にはジャンクフードは「好み」としてそんなに食べないが、食べる時は普通に食べる。美味しく、楽しく。毒でも薬でもなく、自分の心地良い選択として。

他者との違いを受け入れ、寛容になり、尊重できる世界。それこそが、オーガニックよりも遥かに平和で優しい世界です。

この質問者の女性のような人が、今もし目の前に現れたら、こう伝えるかもしれない。

「あなたの目的はなにか?ポテチを食べさせないことか?添加物を排除する事か?」
「夫の健康を守るため?なんで守りたい?それは幸せになってほしいからだし、愛する人の幸せは、つまりあなたの幸せにつながる」
「つまりあなたの本当の心からの願いは“幸せになる”事だよね?だったら、幸せになる道は、ポテチを批判する前にケンカしない事、相手をコントロールしない事から始めてはどうだろう?」

これをポテチからスピリチュアルとかオンラインサロンとかお金とか仕事とか、なんでも言い換えても同じ。本当の心からの願い、目的、志のために生きよう。

ちなみに、オレはポテチは何と言っても「のりしお」が好きで、カルビーよりコイケヤ派です(笑)


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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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