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砂の荒野で、visionに出会う


砂の荒野で、visionに出会う

もう1週間前のことだけど、鳥取砂丘へ初めて行った。

正直、まだ混乱しているというか、新しい自分に馴染んでおらず、こうして文章を書くのは1週間ぶりだ。

SNSなどもずっと開いてもいなかったが、僕がこんなにも文章を書かなかったのは、ここ10年一度もない。

文章によって表現したいことはなにもなくなったし、誰かに対して伝えるべくものがまったく湧いてこなかった。こんなこと初めての経験だ。

とにかく、うまく書けるかわからないけど、ここ最近、僕の身に起きたことと、今の気持ちを綴っておこうと思う。

まず、7月3日に、僕は新大阪の荷物預かり所でギターを預け、特急コウノトリに乗って、兵庫県の北部へ移動した。それからレンタカーを借りて、山陰方面へ。

僕は全国津々浦々、旅をするのが大好きだけど、鳥取県は唯一、足を踏み入れたことのない県だった。

その旅の前の10日間くらいの間に、個人的に、実にいろんなことがあった。それをきっかけに数人の人に会い、さまざまな示唆を受け、身の回りの在り方や関係性に、変化が必要だと感じていた。

ワークショップと、ライブが7月1日、2日と連続であり、心境の変化はあれこれ見据えつつも、どちらも充実し、満足行くものだった。来てくれた人の笑顔が、何より嬉しい。  

「つながるからだ、つながるこころ」 日本人としての身体を思い出すためのボデイワーク
響き、音色。大阪。

LIVEは、素敵な感想を書いていただきました。

イベントが一段落し、また次のプランに向けて、考えることは山ほどあり、アイディアはたくさんあった。気合も十分だったし、思い切り振り切ったワークを考えていた。

そんな最中に行った鳥取砂丘。何で行こうと思ったのかは、実ははっきり覚えていない。以前から行ってみたいとは思っていたけど。

その日は平日で、さほど人は多くなかった。京都など、どこの観光地もごった返しているが、交通の便の問題だろうか。しかし、僕的にはありがたい。

砂丘は風が強かった。砂の丘を越えると海岸がある。海風だ。

写真ではわかりずらいけど、砂丘から海岸は、かなりの急斜面です。歩いたら転げ落ちるほどの勾配です。

日本海の波の頭上を越えてやって来た風は、勢いよく砂丘を駆け上がり、砂を舞い上がらせる。風は砂を散らしながら上空に舞い上がり、目にはもちろん見えないが、前後左右にうねりながら拡散していくのを、腕を広げて感じていた。

僕は砂丘の上に立ち、風をただ浴びていた。風は生き物であり、エレメント(精霊)なのだと、改めて感じた。

風は僕自身の肉体をかすめながら、ぶつかりながら、包みながら、剥ぎ取りながら、僕の精神や感情や、目に見えない部分の「僕」を吹き飛ばしかねないパワーで吹き荒れていた。

風との対話を楽しんだ。水や炎、土による「浄化」と呼ばれる体感を今までに何度も味わって来たけれど、風による僕の「洗い出し」は、初めての経験だった。

海岸を見渡せる丘から降りて、人のいない方面へ歩いて行った。少し窪地になっているような場所があり、そこに座ると景色は完全に荒野だった。東西南北、砂と、砂の上にもたくましく根を張る、背丈の短い植物。

そこは、比較的風は穏やかで、僕は砂の上に膝を付き、ただただ乾いた大地を眺めていた。

「地」という存在の強さ。そこに水はなく。照りつける太陽の熱はあまりに一方的であり、風は僕の存在などないかのように素通りしていく。

先ほどから「風」とか「地」とか、それは地水火風のエレメントであり、この世界を構成する原理だと思ってもらっていい。

僕はそこで瞑想とか、そういうことをしようと思ったわけではない。しかし、普段からそういう意識を持っているので、それは自然と瞑想的な時間となり、そこは鳥取砂丘という限定された土地ではなく、地球であり、水のない乾いた大地だった。荒野だった。

僕は幻を見ていたのかもしれない。それは否定しない。人は時に自らの催眠状態によって、幻を見てしまう。

僕は、突如として“空っぽ”になった。いろんなものが、僕の周りと、僕の中で停止した。

これまでも、何度も「静寂」を体験している。一種の神秘体験による、自我の喪失や、宇宙との一体感や、それと対照的な虚無の世界も知っている。

しかし、この停止と空白は、僕の知らないものだった。

僕は自分に訪れている静けさにふと恐ろしくなり、思わず問いかけた。誰かに、問いかけずにはいられなかった。

私は何者なのか? 

私には何ができるのか?

砂と風が、即座に答えた。

お前は何者でもなく、お前は何もできない。

今までやってきたこと。これからやろうとしていたもの。すべてが「本来のわたし」に生まれ備わったものから逸脱した、いわば社会知や、生存のために身につけた道具のようだった。

自分がずっと「わたし」と思っていたものは、すべて幻想のようなものであり、一過性であり、僕の魂の発露としては、ほんの末端にしか過ぎないと知った。

歌も。文章も。哲学や思想、スピリチュアリティ、瞑想、霊感や、繊細な感度など、ここ7、8年、僕がやっている活動で使ってるスキルのすべてが、僕に備わっていたものではなく、僕が必死に身につけたものだった。

それは鎧であり、武器であり、着飾るための仮面。

そのあまりに清々しいまでの事実に、僕は完全に打ちのめされた。絶望すらした。僕は「あなたは何者でもありません」と、誘導瞑想をしているが、まさしく僕自身が、何者でもなかった…。

では、そこには何があったのか? 

僕がここにいた。何者でもなく、ただ、ここにいた。何もできず、何もしようとせず、何も持っていないが、確かに、僕がいた。

剥き出しの大地に、剥き出しの、何もない自分がいた。

その事実を否定したがってる自分がいた。なぜなら自分の過去も、これからの予定していた未来も否定されたような気分だった。

しかしそれは贖えない事実として、ただ純然と、一点の曇りなく、自分がいて、世界があった。そして、自分と世界は一つであった。

サレンダー(降参)。

人生で何度かあったけど、今まで一番大きな大きなサレンダーだった。

しばらくして、熱中症予防とかなんとか、そんなアナウンスが放送されたのを聞いた。スピーカーは遠かったけど、十分耳に届いた。そしてそれが僕を現実に戻した。ここは荒野ではなく、鳥取砂丘という観光地だった。

しかし、現実に戻った僕はやはり空っぽだった。何者でもなかった。空白と、すべての武具を脱ぎ落としてしまった、裸の自分。

何が起きたのかを理解するのに時間がかかった。そこから移動し、だいぶ予定が変わってしまい、行こうと思っていた場所はあまり回れなかったが、もう十分だった。

21時から、探求クラブのオンラインの瞑想会だったが、うまく言葉が出なかったし、自分で話していて自分ではないようだった。

終わってからも、ずっと空白の中にいた。

僕はやがて眠り、早朝目が覚める。やはり僕は空っぽだった。しかし、それは悪い気分ではなかった。一晩かけて、その事実を受け入れたような気がした。眠るという行為は、自分の意思を超えたことが起きる。

昨日の感覚を確かめたく、僕はホテルを早々にチェックアウトして、再び鳥取砂丘へ行った。朝8時ちょうどくらいで、案の定人はほとんどいなかった。

砂丘の外れから、海岸に降りた。見渡す限り誰もいなかったので、僕は思い切って素っ裸になって海に飛び込み泳いだ。

水。水。水。水が運ぶ力。波に揺られ、空っぽの自分は風船のように漂う。

僕は何も持っていなかった。何も身につけずに、水と太陽と、風と大地があった。

何も持っていない。何もできない。なんという身軽さだろう。何もすべきことはなかった。

海から上がり、タオルも用意してなかったが、よく晴れていたので体はすぐに乾いた。そして、服を着て砂丘に戻った。砂丘の中心地には、数人の人影が見えた。もう少し海からでる時間が遅かったら、素っ裸で海で戯れるやばい姿を目撃されたかもしれない。

僕は前日のように、砂の上に座り、誰も見えない場所で、静かな気持ちで空っぽの自分を眺めた。何も持っていない。何もできない、空っぽの自分。

そこには“完全なるわたし”が見えた。

そして“完全なるわたし”が見ているのは、「完全なる世界」だった。

それは祝福だった。聖母の視点だった。大いなるvision(ビジョン)。すべてを見守り、万物の成長を信頼し、愛を送り続ける。

すべての最善と信頼という愛。聖母はいつもそこにいた。

僕の目の前に、僕の中に、すでにすべてがあった。だから僕は何も求めていなかった。誰かに伝える必要もなかった。スマートフォンも車に置いて来たが、昨夜から一度もSNSなどを開いていない。

SNSは、僕の表現ツールで、メッセージの発露の場であり、現実的にはビジネスとしての宣伝や、人とのコミュニケーションツールだった。

しかし、僕はそこに何か表現すべきものはなかった。誰かの近況を知りたいとも思わないし、僕への評価もどうでもよかった。

完全性の中にいた。

SNSの投稿も、noteの更新も、こんなに長いこと放置したのはじめてだ。以前はやはり、どこかに恐れのようなものがあった。そして、人の評価を気にしていたのも事実であり、その評価の相互関係に、関係性を見出しててもいた。

もちろん、それはなにも悪いことではないし、そんな自分を否定はしてない。そういうものは存在する。

ただ、この後は静かなる完全性の中いて、祈りの中にいることが至福でしかなかったから、僕は何も求めていなかったし、何も必要としていなかったのだろう。

それから、滝へ行ったり、 

雨滝。

但馬国の国一宮の神社へ行ったり、

出石神社

城崎温泉の近くの玄武洞などを観光した。

玄武洞

どこも素晴らしかった。すべてが感動だった。しかし、それをSNSに投稿する気持ちは全く起きなかった。いつもならそれを誰かに伝えたくてしかたなかったのに…。

過去にSNS断ちを意識してやったことはあるけど、そういうことじゃない。必要性を感じないという、自分でも不思議な状態だった。

その日は城崎温泉に宿を取り、外湯めぐりをして、食事を楽しんだ。

その間もずっと、僕は「ビジョン」の中にいた。完全なるわたしと、完全なる世界。

(もう、やめてしまおう)

そう思えた。今までも何度も思った。でも、今まではどこかネガティブな理由だったが、今は「必要ない」という理由だった。啓蒙活動のようなことを、すべき理由が何一つ見当たらなかった。

仕事なんてなんでもいいのだ。僕はそもそも器用で、つぶしが効くタイプだし、大抵の環境で楽しむことができる楽観性は持ち合わせている。

そう思いながら過ごしつつも、聖母はそう言っていないという気がした。このビジョンは、僕一人だけのためにあるものではなく、僕はこのビジョンで、祝福し続けなければならない。永遠に残る祝福を、そこに見ていくことだ。

僕には何もできない。何も持っていない。これまで社会の中で身につけてきたものなんて、もういらない。僕には何の才能もないし(笑)。

僕に備わったものは、ただ「視る」こと。完全なる世界を視ること。

そして「声」がある。なにも特別なものではない。あなたと同じだ。あなたに固有の声があるように、僕には声がある。それだけだ。歌がうまいとか、そういうことはすべて後から身に纏ったもので、僕にはただ、声があるだけ。そして、視ることだけ。

しかし、どうやって伝えよう? ビジョンをテキスト化することも、コンテンツにすることもできない。なぜなら、それをしてしまうと、すでにビジョンではないからだ。

だから「対話」でしかないのだろう。リアルタイムで、見続けること。祝福があるところには、波が起こる。波は思考になり、言葉になる。それだけだ。

僕は何も特別ではない。何も優れていない。取り繕ったもので、そこそこ、それなりにうまくはやれるけど、そういうつもりはない。

ただ「視る」こと。祝福すること。声に出すこと。

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けっこう、長々と書いてしまったが、最後は何だか締まらないものになった。でも、こうして何かが出てくるということは、まだ何かがあるのだと、新たな風が告げています。

7月14日(金)

7月22日(土)


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