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「アイス・ラテ」は“コーヒー”ではない!(前半・無料) 精神世界や宗教も「薄めて、混ぜて、飲みやすくて」ナンボの商売(後半)

「アイス・ラテ」は“コーヒー”ではない!(前半・無料)


「僕はね、コーヒーは毎日飲むよ。コーヒー飲まないと仕事にならないよ」

昔働いていた職場の先輩で、自称“コーヒー好き”がいたのだけど、その人はいつも、冬でも「アイス・カフェラテ」しか飲んでいる姿を見たことがなかった。しかもガムシロップは必ず投入。

まあ、明らかにダサいヤツだったので「コーヒー好きの方がかっこいい」という価値観があったのだろう。だから「コーヒー好き」を自称していたと思われるが、とにかくしょぼい先輩だった。

“俺”は若い頃から、とにかく大人の男へ憧れていた(今日は一人称は「俺」でいくぜ!)。

10代、中高生の頃、俺が思っていた「大人の男」の象徴として、
「酒」
「タバコ」
「コーヒー」
が“三種の神器”だったんだけど、コーヒーは当然『ブラック』だ。だが高校生の頃は砂糖やガムシロップを入れないと飲めたもんではなく、それでも無理してブラックで飲んでいたし、酒の味もわからずに、きつい酒を流し込んでいた。

19、20歳の頃に働いていた店のコーヒーが、軽いテイストのコーヒーで、そこですっかりブラックで飲む習慣がついた。そして実際に美味しいと思うようになった。そこから俺のコーヒーライフが始まった。

その後、東京でいろんな飲食店で働き、ウイスキー、焼酎、日本酒。お客さんに丁寧に説明できるくらい「味のわかる男」になっていった。

そんな頃だ。例の「アイス・ラテ男」に会ったのは。

よく、コーヒーを近くのセルフカフェでテイクアウトして、仕込みをしていたんだが、「おい、コーヒー買ってきてくれ」とその先輩や店長に言われ、下っぱだった俺が買いに行くことは多かったが、彼はいつも、

「俺、アイスラテね」

コーヒー好き、と言ってたのを聞いたことがあったので、初めの頃は(今日はラテの気分なのかな?)くらいに思っていたが、結局彼はずっとアイスラテしか注文しなかった…(シロップは必須!)。

先輩だから言えなかったけど、俺はいつもこう言いたかった。

「おい!お前の飲んでるもんは、コーヒーじゃねえ!コーヒー牛乳だ!」

ちなみに、俺の下に後輩のバイトが入って下っ端ではなくなったが、

「よし、休憩だ。コーヒー買ってきてくれ。俺はアイスラテな!」

という感じだった。

ある時、後輩の女の子のバイトに、「俺はコーヒー好きだからね」とか「コーヒーを飲まないと仕事にならない」とかなんとか得意げに話していたのを見て、

(はぁ〜???)

となったわけさ。

このnoteで、

「僕は音楽なしでは生きていけないんです」と言った男の一番好きな音楽が「奥田民生です!」

と言ってたのと同様に、「コーヒーなしじゃ仕事にならない」と豪語する男がコーヒー牛乳(アイス・ラテ、シロップ入り)を毎日飲んでいる姿は、滑稽にしか思えなかった…。

(ちなみに、上のnoteで「奥田民生」のことを書いたら、何やらロックフェスで泥酔して、それで何かと物議を醸し出してたので、妙なシンクロを感じた…)

もちろん、今の俺なら寛容な心を持ってこう言える。

「おけおけ!!アイスラテもコーヒーだよね。コーヒー入ってればコーヒーだ。好きなもん飲むのは自由!何を言うかは自由だ!」

と、その人の考え方や価値観を尊重する。

(ちなみにその10年後くらいに、俺はドトールコーヒーでバイトするんだけど、そこではびっくりするくらい「コーヒーが飲めない学生」バイトばかりで、それでもなぜかみんな、従業員は無料で飲める「ラテとアイスラテ」をいつも飲んでいて、「僕、コーヒー飲めないけど、ラテは好きなんです〜」、と素直に言える若者がいて、とても素晴らしいと思った。うん。やっぱラテとコーヒーは違うよな…)

だが、当時20歳前後の、金髪ロン毛でピアスジャラジャラのロックンローラーの俺には、

(ふっ…。あわれな男よ…)

と、アイスラテ男を見下していた。まあ、未熟な若者だったのです。

でもね、実際のところ、どうよ?

君はどう思う?

アイスラテは『コーヒー』なのか??

僕はいくつかのカフェで働いたこともあるし、基本的にコーヒーは大好きで、この頃はシングル・オリジンの浅煎りコーヒーをあちこちから取り寄せて、最近も毎日家で飲む。
(一昨年、カフェイン飲めない時期があり、その時期はデカフェだったなぁ。数年ごとに、カフェインが受け付けなく時期がある…)

もちろん、美味しいラテは、本当に美味しい。ソイ・ラテとか、オーツ・ラテも好きだ。そしてそれらもコーヒーは入ってるので、「コーヒー」と呼ばれるさまざまなジャンルのうちの一つだろう。

しかし、ラテ“しか”飲まないで「コーヒーが好きなんです」というのは、もしその人が本気でそう思ってるのだとしたら、それは木を見て森を見ずであり、例えるなら「コーヒー大陸」という広大な大陸の一部の氷山だけを眺めて、「ここがコーヒー大陸かぁ」と思うようなものではないだろうか?

いや、コーヒー大陸と言われてもようわからんから、別の例えを出すとしよう。

そうだな…。超高級食パンを買って、そこにたっぷりとトマトソースとオニオンスライスとチーズを乗せてバジル乗せた『ピザ・トースト』にして、「この食パンは美味いよね!」と言ってるようなもの…(あれ、この例えもなんか違うか…?)。

つまり、コーヒーを知らずして、コーヒーを知ってると思い込んでいる。

これはウイスキーにも言える。

俺は今はウイスキーは飲まないが、一時期はかなり好きだった。

アイリッシュのシングルモルトとか、バーボンとか、あれこれ飲んでいた。ダイニング・バーで働いてた頃、営業終了後にやりたい放題の店だったので、毎日いろんな酒を飲んで味をしめたのだ。

当然、大人の男の象徴の「お酒」である「ウイスキー」は『オン・ザ・ロック』か『ストレート』だと思っていたので、俺は常にそういう飲み方をしていた。

しかし、ウイスキーは酒類としては度数も高く、クセが強い。飲めない人がいるのはわかる。コーヒーだって子供には飲めないように、ウイスキーなんて、酒が飲める大人だって受け付けない人はたくさんいる。

そもそも、ウイスキーというのは欧米人のものだ。欧米人の強い粘膜や内臓、アルコールへの耐性があってこその蒸留酒。

だから日本人は「水割り」をするし、「炭酸割り」などをしてウイスキーを楽しむようになった。

そして今、というかここ10年くらいだろうか、炭酸割りの「ハイボール」がブームだ。

基本的に「ブラックニッカ」とか「角ハイボール」「ジンビームハイボール」などの、安価なウイスキーが多いが(下手すりゃウイスキーもどきもある)、ちょっといい居酒屋なんかでは「白州ハイボール」とか「山崎ハイボール」のように、国産のシングルモルトの高級ウイスキーの炭酸割りを置いている店もある。

確かに、高級ウイスキーのハイボールと、安価なウイスキーのハイボールでは、味は違うし、高級な方が美味しい。でも、

「僕はウイスキーが大好きなんですよ。え?白州は美味しいですよ?すっきりして後味がさわやかです」

みたいなことを言っていたらどうだろう?

何も知らない人はそれで「へぇーウイスキー飲む人なんだ〜、味がわかる人なんだ〜」となるかもしれないけど、残念ながら、その人はアイス・ラテ男同様、ハイボール男であり、ウイスキーのなんたるかを知らないに等しいのでは?

例えるなら、ウイスキーという雄大な山脈の、たった一つの丘に登って、ウイスキー山脈を知ったつもりになっているようなものだ(求められてもいないのに、あえて例えてみたくなるのはなぜだろう…)。

だけどね、それを責める気はない。いかんせんウイスキーは『濃い』のだ。『キツイ』し『辛い』のだ。ブラックコーヒーも、『苦い』のだ。受け付けない人には、どうしても無理なもんってある。

ただ、その『中』に、その『奥』に、甘味があり、芳醇な香りや味わい、旨味があり、優しさや清々しさがあるんだが、その「濃さ」を通過しないとわからない境地だ。

この世界には、そういうものがたくさんある。

例えるのなら(しつこいっ!)、深く潜水するのと同じだ。浅瀬で潜るのならすぐにできるが、深海へ潜るのなら、それなりの準備や装備、順応、そしてリスクを引き受ける覚悟が必要だ。

物事の「深み」を知るって、浅瀬の水遊びとは違うのだ。

で、お酒やコーヒーは趣向品だし、人それぞれの『体質』もあるから、別に無理をして飲む必要はない。

ただ、コーヒーとウイスキーを例えに出したのは、人生の一つの比喩であり、後半では、ここから「精神的」なテーマに移していこう。

精神世界も「薄めて、混ぜて」、飲みやすくてナンボの商売(後半)


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