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与えられた価値


かの有名な『ハーゲンダッツ』のアイスクリームに対して、多くの日本人庶民が持っているイメージは「高級」そして「美味しい」ではないだろうか?実際、明治の「スーパーカップ」なんかに比べると、かなり割高だ。

しかし、実は本国アメリカでは、ハーゲンダッツは高級でもなんでもなく「普通のアイスクリーム」だとご存知だろうか?いや、むしろ安いくらいだ。だからアメリカの人が日本に来てハーゲンダッツの価格を見て驚くという。(日本だけでなく、韓国やフランスでも高いらしい)

確かに、原材料へのこだわりや、添加物が少ないので、ハーゲンダッツは良い商品だと思う。そして、アメリカはアイスの消費量が多いから安くできるのもわかる。しかし、それでも本国の2倍〜3・5倍以上の価格の開きがあるのは驚きだ。

どうしてそんなに値段に開きがあるのかとうと、これはハーゲンダッツ・ジャパンの“マーケティング戦略”で『高価格設定』になったらしい。

「高い=美味しい」と、高価格なだけで信頼してしまう、ブランド好きでステータスに弱い日本人の特質を狙った戦略であり、そしてそのマーケティングは見事に大成功だったと言える。

俺も個人事業でビジネスをやって来たので、その辺のブランディングや付加価値で価格を作っていく仕組みはよく知っている。ブランドもののバッグやアクセサリーが高額なのは、そのブランド力の付加価値によるものだ。セミナーやカウンセリングやコンサルなど、もちろん品質だ一番大事だけど、売れるためにいかに付加価値と、ブランド力をつけるかで価格は決まる。

ハーゲンダッツのように、我々が普段何気なく享受しているのもので、満足、不満足はともかく、多くのマーケティングが施され、「本来の価値」とは違う、一種の「情報(ハーゲンダッツの場合、高級感があり美味しい、という情報。もちろん事実だけどね笑)」という“ブランドイメージ”を付けられて、原価とは関係なく、高価格になってる商品はたくさんある。

ワインも、フランスのワインは他の国より割高で、これもフランスのワイン協会が一定の基準を設けて、ブランド力を保つために高く設定されているそうな。

我々が享受しているものは、その商品はもちろんだけど、その商品を売るために、“誰かが作った情報戦略とセット”で受け取っている。これはつまり、消費者は、提供者から「価値」を与えられている、ということだ。我々個人で価値を見出し、価値を見極め、価値を受け取るということは、現代社会ではかなり難しいと言える。

これは食品のような商品だけではない。無形商品や、あらゆる情報がそうだ。

例えばテレビ。

ニュース番組ならまだしも、バラエティ番組では、必ず要所要所に「テロップ」が出される。コメンテーターの面白いコメントを強調するようにして、視聴者に「ここが見所ですよ!」「これが笑いどころですよ!」と、教えてくれているのだ。

番組中に聞こえる「笑い声」なんかもそうだ。コント番組なんかでは、実際ウケていなくても、プロデューサーの判断で「笑い声」を後から挿入させて、面白さを演出している。さらにプロデューサーの意向に沿わない場所で笑いが起きたらカットされると聞いた事がある。笑いのセンスやポイントも、彼らの意図に沿ったもので統一されて、視聴者は教育を受ける。そして、そのセンスとポイントのものをまた提供される。

もちろん、効果音や、見合った音楽などの「演出」ってある。音楽のない映画やドラマは寂しい。しかし、上記の例では演出の範囲を超えていると思うのは俺だけか?我々は、自分で笑いたい時に笑えず、「ここで笑え」という場所で笑わないといけないのか?

書籍もそうだ。文芸作品ではないが、情報書、実用書に関しては強調した部分に「太字」を入れるのが絶対だ。

実は、ここだけの個人的な話なのだが……

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