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天文の美しさに囚われたひとびと。
長い歴史の天文学。どこよりもずっと進んでいたアラブでは、天体観測器が作られ、それが欧州へと渡ります。
1334年に建立されたフィレンツェのジョットの鐘楼。塔の高さ、塔の色の美しさに目を奪われて、見落としがちな装飾レリーフ。その一枚に表わされているのが、この天文学。
壁の部分に星座が薄く彫られている。
なんという細かい仕事。
当時の天文学と占星術は、切ってもきれぬ仲。種まきも収穫も、すべて天を眺め、星の動きをもとに、時を計り、時期を知り、人々の生活が成り立っていたのです。
"天文学&占星術"から、"天文学&科学"へ
「知」を掘り下げ、「知」の幅を広げ、海原の彼方に新天地を求めたルネッサンス時代から繋がるのは、バロック時代。
建築も、絵画も、彫刻も、新しい時流にのり、新しいスタイルが生まれたバロック。この時代に「科学」という新しい世界が産声をあげます。
イタリア語の「科学」は「scienza(シエンツァ)」と呼び、ラテン語の「知る」「知識」という意味がベースになっています。この時代を生きた、イタリアを代表する研究者がガリレオ・ガリレイ。
自らの望遠鏡を作っては、天体を観測し、さまざまな計測器を作っては、物理を研究した、近代科学の父。月のクレーターや、木星の惑星を発見しては、未知の世界へと踏み込んでいくガリレオ。そこに巻き込まれ、誘われていった、研究者や芸術家達。
ガリレオ・ガリレイ
新しい時代の幕を開けた1600年代は、科学者だけでなく、遠近法を用いた画家、プロポーションを重んじる彫刻家、技術と美を併せ持つ建造物を作る建築家も、科学に夢中になります。
どこに関係あるのかというと、数字。適当に「こんなもんかな」と感覚で表現していた時代は遠い昔。完璧で美しい表現技法には、数字を知ることが不可欠要素だったんです。
この時代を、良く表現している1枚の絵。タイトルは「芸術と科学」。
Anonimo fiammingo
Interno di una collezione di arte e scienza, 1622-27
テーブルの上には、地球儀を中心に、計測器が散乱し、「デッサン」が擬人化された女性が、膝の上で横たわっています。椅子に座っているのは、イタリア出身であり、エンジニア、数学学者、日時計研究者の顔を持つ、ムツゥイオ・オッディと言われています。
実験アカデミー「アカデミア・デル・チメント」
数々の実験を行っては、検証をし、仮説の正しさを証明する研究所が設立されたのは、フィレンツェが欧州初。メディチ家の命のもと、アカデミア・デル・チメントという名前の実験アカデミーが発足されます。1657年のこと。
温度計の研究に使われたガラス道具。すべてオーダーメイド。
極細で伸びているのは、ガラス製。
100度まで測れる温度計です。
失敗するかもしれないし、
とりあえず動けばいい、
使えればいい、
実験さえできればいい。
そんな考えは皆無だったのであろうか。昔は、いまよりも時間の流れがゆったりだったから、作るにも余裕があったのだろうか。
「作るからには、美しく」という気概が伝わってくる、作品と呼べるような、実験道具の数々です。
望遠鏡とマーブル装飾
ガリレオ式望遠鏡が発明されると、望遠率を高めるために、様々な長さや、太さの望遠鏡が製作されるようになります。
色とりどりの美しいマーブル紙が、筒の部分に巻かれていて、まさかの組み合わせにびっくり。
望遠鏡を伸ばすたびに、とん、とん、とん、っと、カラフルなマーブル紙が顔を見せる仕掛け。
なんて粋なのかしら。着物の半襟とか、風がなびいて一瞬だけ見える長襦袢の色や柄の、日本のちら見文化みたい。とても素敵で、しばらく、見惚れていました。
貴族の科学コレクション
裕福な貴族も大いなる興味を示し、自分たち専用の計器を作らせたり、各国から集めたり、それらをコレクションするのも、当然の流れ。
贅を尽くした美しい計測器を披露し、招待された客人は、感嘆の声をあげて、賛辞を呈したことは、想像するに難くなく。
ローマ法王が作らせたもの
ローマでは、フィレンツェ生まれのローマ法王ウルバヌス8世が在位していた時代。ガリレイが、地動説を唱えて、異端審問にかけられときの法王様です。
彼の本名はマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニ。裕福な商家の生まれで、家紋もある家柄。家紋のエンブレムは元々はアブでした。ハエのようにブンブン飛び回り、隙あらば攻撃してくる厄介なアブを、イタリアでは、煩わしい人とか、迷惑な人なんて意味でも捉えらます。
アブではイメージが悪い。
いまから法王になるかもしれないのに。
素敵な印象でイメージが良い
蜂に変えてしまおう。
以来、バルベリーニ家の家紋は、蜂がエンブレムになっています。
出典元:Wikipedia
科学の幕開けの時代に在位したウルバヌス8世は、彼の日時計を作らせています。2006年の「ローマバロック」展示のときに再現されました。
蜂の針が、影を落として時間が分かるようになっています。「わたしの家紋である蜂が、時を知らせるのであるな。」とでも言ったのか。依頼人の喜びどころを押さえた、美しい日時計。
トスカーナ大公が作らせたもの
メディチ家大公様の天球儀に至っては、すっかり芸術作品。
正式名は「プトレマイオスのアーミラリ天球儀」。「プトレマイオス」という、なかなか頭に残らない名前は、イタリア語でシンプルに「トロメオ」と呼ばれ、2世紀に生きた学者です(以後「トロメオ」)。
トロメオの地理学(天地学)には、地図が書き残されていて、写されたものが、私たちの時代まで届いています。
トロメオの地図(の写し)は、フィレンツェに多く現存しており、これらをもとに、トスカーナ大公のメディチ家フェルディナンド1世が、天球儀を作るように、1588年に正式に依頼したものです。
当然のごとく、メディチ家の家紋。
フィレンツェには、ギリシャ語やラテン語の書物が、ギリシャやトルコからたくさん運ばれましたが、これは、1300年後期から頭角を現してきたメディチ家の老コジモの功績によるもの。先見の明があり、誰よりもいち早く、書物の価値を見出し、収集していたのです。
フィレンツェ北側に位置するサンマルコ寺院。ここに老コジモの書物が集められていました。訪れた当時のローマ法王が「わたしも作ろうではないか」と決め、作らせたのが、現在、世界一を誇るバチカン市国の図書館だと言われています。
トロメオの地図は、マヌエレ・クリソローラという学者が、コンスタンティノープリ(いまのイスタンブール)から、ギリシャ語を教えるために、フィレンツェに移り住んだときに、持ってきた2冊のうちの1冊です。
レオナルドダヴィンチも、写しの1冊を所有し、研究のための偉大な参考書として利用したそうです。
2019年のレオナルド没後500年の
記念展示のときに撮影したもの
このトロメオの地図をもとにして作られたのが、トロメオのアーミラリ天球儀。地球を中心に、赤道、黄道、子午線、緯線などを、輪で表現しています。
天動説に基づいて、地球が中心にあるものをトロメオ型。地動説に基づいて、太陽が中心にあるものをコペルニクス型。と呼ばれます。
作ったのは、天文学者であり、科学者でもあった、アントニオ・サントゥッチ。君主より命を受け、チームを結成。装飾職人、金箔職人、彫り職人、木工職人、旋盤職人、鉄職人、等が呼ばれ、5年後に、すべての素材がようやく完成。
天球儀が置かれる部屋にすべて持ち込まれ、組み立てが行われます。最初に、中心となる地球義と、支えとなる外側の球を鉄製の軸で繋ぎ、1本づつ、正確な角度で輪を加えていきます。
完成した天球儀は、あたかも、天体のように、地球を中心に、動く!
君主も、さぞご満悦だったことでしょう。
100聞は一見にしかず。ぜひ、ガリレイ博物館製作の、この動画をご覧ください!
天文と一口に言っても、天文を専門に研究する学者もいれば、天文を測量する技術を自分たちの世界に応用したり、天文の道具を美しく昇華させ芸術品を作らせたり、「こうでなければならない」という線引きも曖昧で、さまざまな可能性を求めて、真剣に、自由に、活動できた時代だったのかもしれません。
バロック時代というと、ローマを中心とした芸術に目が行きがちだけど、ガリレオが生き、近代の科学の足がかかりができ時代でもあります。
同じ時代に、なにが起きていたのか、多面的に想像すると、歴史が奥行きをもって、ぐっと面白く身近になるように感じます。
今回掲載した写真のほとんどは、フィレンツェにあるガリレオ博物館を訪れたときのものです。想像を超える道具の目白押しで、面白いです。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます!
第二部はこちらです。ローマに移動しています。
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