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返事はない。
父さんは無言でただ俺を見つめ返した。
何か言ってくれればいいのに、あの日みたいに感情を見せてくれればいいのに。

「もうここともおさらばか」

部屋の真ん中に立って周囲を見回す。
見慣れた絵、角が欠けたいつものテーブル、ここはいつも父さんの席だった。
テーブルの上の一輪挿しはもうずっと坊主のまま、父さんも僕もついに一度も買っては来なかったな。
テレビはあるだけでほとんど観た記憶がない、頭に埃が溜まってら。
小さい頃お祭りで泣きわめいてまでねだったクマのぬいぐるみは、抱きしめすぎて綿が偏ってしまい、もうまっすぐ座れずに窓枠の脇に寄りかかっている。
その向こう、窓からの景色なんてもう見飽きてしまったのに、なぜか何度も視線が止まってしまった。
なぜか懐いたハウセキレイはこれからどうするだろう、今来てくれるならちゃんと説明するのに…ってそんなの聞いてくれるわけもないか。




意識しないでいるといつまでもこうしてぼーっと立ち尽くしたまま夕方になってしまいそうだ。
もう出なければ。
踵を返して廊下に向かう。
キョロキョロと見回しながら歩を進める。
玄関ってこんなに広かったんだな、ほのかな笑いがこみ上げた。
ここで昔、帰ってくる父さん相手にお店屋さんごっこなんてしたことがあったっけ。
履き慣れたスニーカーは足を滑らせるとスルッと履けてしまうはずなのだけど、今日はどうしても踵を踏んでしまい、使い慣れない靴ベラを手に取る。
お前とも最後だな。

立ち上がると俺はもう一度振り返った。
カーテンから漏れてくる朝の光が舞い上がる埃をキラキラと輝かせている。
今はまだほとんど車も走っていない時間で、部屋はいつもより静かに感じる。
きっともう1時間もしたら喧騒な街が戻ってくるだろう。
その前に行かなければ。


俺が小さかった頃よりテクノロジーはかなり大きく発達した。
宇宙旅行へも文系の私立大学の学費くらいのお金があれば行けるようにもなった。
月までにかかる時間も30時間ほどのスピードで、今となればアポロ11号なんてボルトから見た小学生のかけっこくらいなものだろう。
でもそれは月までの話でその先へ人類は行くことができない。
正確には”安全に人を向かわせる保証がない”。
それに地球からの観測だけでもうかなりの宇宙の謎を解明しており、ある意味生身の人間が現地で調査を行うという経済的リスクや人命的リスクを負う活動はもう時代遅れになりつつある。
月にももう無数の足跡がつき、そこに研究者としてのロマンもない。




それでも俺は行かなくちゃならない。
これはロマンなんていうものではない、もしかしたら今まで口にし続けたことによって意地になってるだけなのかもしれない。
でもやっぱり行きたいんだ。
この翼で、この体でそこに向かいたい。

大昔にボイジャーという惑星探査機が何百億㎞も宇宙の中を進んでいった。
多分今も、電池が切れたまままだまっすぐに泳ぎ続けている。
そうやって宇宙を旅する方法は理論的に可能だ。
生命維持をする方法もちゃんとある。
肉体さえもってくれればどこまででも行ける。
でもボイジャーたちがそうだったように、多分これは片道切符だ。
戻ってくることは奇跡が起こらない限り叶わない。
この先に知的生命体がいてエネルギーを補給ができるという、そんなことができない限り叶わない。



でも俺は知ってる。
多分、地球上の誰も知ることのない声を知ってる。
方向はこっち、長年かけて出来上がった宇宙空間の地図を広げる。
その航路のほとんどに輝く星などない、真っ黒な空間だ。
きっと孤独だと思う、辛く寂しい旅になると思う。
身体的にも精神的にも危険だということだって、もう耳が痛くなるくらいに聞かされた。
カミーユ・ビダンのように心が耐えられなくなってしまうかもしれない。


でも俺は約束したんだ。
”必ず””絶対”会いに行くと。


俺は扉を開いた。
錆び付いた金具が悲鳴をあげる。
空は晴れ、風もない。
絶好の出航日和。

今会いに行くよ。
待っていて。

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