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学ばなくたっていい。宇宙はそこにいてくれた。

古い平屋、木造一戸建て。
今そこには大きな道が通ってしまってもう建ってはいませんが、長野県のとある町にあったそんな家が僕の最初に暮らした家でした。
小学校に上がるくらいまで住んで、そのあとはすぐ近くの違う家に引っ越してしまったので5年という季節を過ごしました。
記憶として残っているのは2、3年くらいですかね。

玄関が広いんです。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出てくる自動車修理工場の「鈴木オート」の玄関というとわかりやすいと思います。
扉を入るとコンクリートの床が広がっていて、左側に居間へ踏み入れる三和土が横に長く伸びています。
靴置き場というより、その他工具やら古雑誌やら色々なものを置くスペースとしても使っていて、まだ小さかった僕はそこを三輪車で走り回っていました。

玄関扉は窓が大きい引き戸になっていて、カーテンを引かないと中が丸見え。
逆に言うと、玄関にいると扉を開けなくとも外の様子が全てわかります。
目の前を国道が横切っていて、昼はそこを走るクレーン車やトラックなどの大きな乗り物に目を輝かせ、夜は少し見上げた頃に広がる星空に夢中になっていました。


今でもなぜか鮮明な記憶として残っているんですが、僕は裏が白のチラシと鉛筆を持って夜中に起きだして、そこに星空をスケッチするということをやっていました。
場所はもちろんその広い玄関。
まだ小学校に上がる前の4、5歳。
普段からたくさん絵を描いているわけではないのでへたっぴです。
星や宇宙に関して知識があるわけももちろんなく、多分具体的に興味があったというわけではなかったと思います。

それでもなぜか星空をスケッチしていました。
どれが何の星だとか、どの星と星を繋ぐとなんていう星座になるかとかそんなことは全く考えずに、ただチラシの裏に星たちがある場所を黒く塗っていました。
明るい大きな星はグリグリと厚く塗って、星に重なるように輝いている星は勝手に「邪魔星」と名前をつけて(この名前をつけたのはなぜかすごくよく覚えてます)。

あの頃もし具体的に天文学について興味を持ち始めていたとしたら、今僕は違う道に進んでいたかもしれません。

でもそれともう一つあるのは、もしあの時興味があるからと無理やりに教材を親から与えられたりでもしていたら、今こうして宇宙に想いを馳せていることもなかったのかもしれない、ということです。


興味を持ったことについて僕は深くまでたくさんのことを知りたい。
でもそれが一方的に人から与えられるものになってしまったり、学ぶことが”必要”なものになってしまったりしたら、学びたい欲求は義務感になって、玩具は仕事道具になって、楽しさが苦痛になってしまうこともあります。
実際今こうして毎日歌や絵や文章を学びながら暮らしていますが、全て楽しいとはいきません。
攻略が難しくて辛くなる時もあれば、自分の無知さと向かい合って悲しくなることもあります。


だから”ただ楽しく”ということは僕は最強だと思います。
苦痛という逆風を感じることなくその道を進んでいける。
その道の”プロ”になりたいということなら我慢することも必要ですが、我慢することで得られることがあるということでなければ、それは当然ない方がいい。
純粋な楽しさだけを濃く味わえるということはプロの世界であってもすごい才能です。
考えてみたら僕の周りのプロフェッショナルたちは1人残らずそういう人たちかもしれません。


あの時の僕はただそこにある星がこの手に欲しかった。
または絵に描きたかった。
あの手の届かない真っ暗なところに何があるのか知りたかった。
具体的にどれに興味があったかということも今となってはわからないし、当時も漠然としていたのかもしれません。
でも多分、それでよかったんです。

今こうして宇宙に興味があるのも、それを曲や絵にするということが好きなのも、
ただ楽しい”まま宇宙への興味を持ち続けてこられたおかげ
そんな僕の姿を見ていただろう両親が変に手を出さず僕の好きにさせてくれたおかげなんだと思います。


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