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生い立ち ~今年30歳までの歴史~

第1章:生誕から幼稚園時代

 夏至の晴れた日に生まれました。少々身体の弱い所は有ったようですが、重篤な食物アレルギーはありませんでした。きっと、当時居た愛犬があの世に行ってしまった時、一緒に持っていってくれたのでしょう。
 難儀はむしろ此処から。
 妹が生まれる前後に、親戚の手前を重んじる父方の祖父母に半ば無理矢理引き取られたら、自閉症フラグ(自虐行為(実際にやられた行為の再現)と夜泣き)を立てて帰ってきました。
 母は御近所の、子どもという生き物に真に理解ある保育園の先生方(当時)と共に、植物を使ってわたしと社会を繋ぎ留めました。
 そういう訳で、植物(野菜・花・ハーブ)が好きです。寧ろ人間よりも隣人と思うので、植物に関しては少々過激な所があります。

第2章:小学校〜高校時代

 正直、学校時代の記憶は曖昧です。
某ほむらちゃんではありませんが「輝きと、“記録”だけが残っている」。
 勉強は計算を必要とする分野以外は好きで、同級生に教えられる程度に出来ていた事。相変わらず集団に馴染めなかった…処か、極一部を除いて、絶対可憐チルドレンのエスパーと普通の人々の様な、絶対的な溝があった事。運動音痴も相まって、体育はガチで苦痛だった事。クラス規模のいじめに遭ってなお学校に行こうとして、親に3日間だけ止められた事。あんまりいじめる様な事を言うので、一度だけ人を引っ叩いて泣いた、なーんて事が有った事。友達達が家に来て、それぞれに遊んで、母が揚げてくれたフライドポテトを食べて帰った事。中学?まで一緒だった友達が居た事。

あるとにとって、義務教育+高校とはサバイバル、緊急事態宣言でした。
沢山の記録から読み取れるのは、以下の通り。
みんなと仲良くなりたい(けど仲良くなれてない)ので…今noteやエブリスタに上げている、一次創作ワールドの土台が出来ました。
夢は植物博士!を言い出したのは小学生から。
●集団行動は苦手(同年代と共感出来た集団は楽読だけです)。
●給食や吹奏楽などの音楽は好き。フルートは今はもう吹けない。
●共感能力に対して絶対的な欠陥がある(気がする)。

第3章:人生転換の切欠

 人生が変わる切欠に、東日本大震災を上げる人をよく見ます。
こういう時、共感できないというのは悩ましいですね…わたしの場合は、
高3~浪人時代(2008年頃)が転機でした。
 高校三年生の時、受験でざわつくクラスが気持ち悪くて、昼休みは保健室に避難していました。そこで出会った江原啓之さんの御本と、保健室の先生から頂いたパット・パルマーさんの御本は、大変参考になりました。

第4章:浪人時代

 当時は遺伝子組換えで青バラ作りたかったのと、現地に行って氣に入った方を選んだ結果、受験は京都府立大学一択でした。
 しかし、大学は、現役合格ではありません。
推薦入試を受けたら夢で「時機(明朝体)」と言われた日にはどうしようもありません。後に、大学の授業に付いてけなくて困ってる“現役合格な人達”に勉強を教えていた事を考えると…お察し下さい。
 それは運命だったのです!(ダダダダーン)
 人生、寄り道も大事です。
建物のオーナーが趣味?でやっている喫茶店、買い付けに外国まで行く天然石屋さん、名も知れぬ誰かが作ったハンドクラフト達…浪人時代とは、学業のレベルアップだけでなく、自分のしたい事をやっている人達に初めて出会った1年でした。

第5章:大学生時代

 勉強は真面目ながらも程々に、ローズサークル森なかまという植物系サークルに参加。特に前者では、部員の中で最もバラという植物に詳しい副部長でした。
 また、当時ネット界に台頭してきていた(と思う)アメーバブログ・Facebookをやってみて、知り合った社会人に会いに行った事もありました。こうして出来上がった情報網は、今でもニュースの裏側を知るのに役立っています(FBアカウントは友達公開onlyです)。
 そして3回生の研究室配属決定にて、一番最初のメンター、恩師たる大学教授に出会いました。恩師は農薬・果樹・菌根菌の専門家です。
 ここまで読んでくれた皆様には是非、栽培や微生物に興味がなくても先生の御本を読んで欲しいです。栽培も微生物も、これからを生き延びる上でkeypointだからです。これは更なる学びへの糸口。輸入stopからの食糧難フラグで苦労したくなければ是非とも読んで頂きたく思います。
 恩師は厳しいけれど優しい御方で、これからは若者が活躍すべきという恩師の思想により、学会に3回程出して頂いた事があります。また、第7章でもお世話になり、今も連絡を取り合っています。
 それで英語の論文を訳したり、スライドを作った経験があるのでした。

第6章:職業訓練時代

 恩師の後ろ姿から農業に興味を持ったわたしは、農業を学べる所を探し、職業訓練として半年間奈良県で暮らしました実際に今迄得た知識を使い、動ける様になったのは此処からです。ただ、農業をするには体力と計画力が無かったので、農業は諦めました。
 ここでは農業体験だけでなく、独り暮らし・風水を経験しました。風水は賛否両論ありますが、国際風水氣学協会は風水に関する正しい情報と、風水だけでなく土地や未来などをトータルに見る為のツールを伝える貴重なグループだと思います。まぁ、どうしてもお金はかかりますがね…

第7章:社会人時代①

 大学&職業訓練の経験を買ってくれた社長の提案で、愛知県豊橋市の本社に社会人&単身赴任デビューしました。
 しかし、社会の縮図たる学校が既にあの様なクソッタレな世界です。会社にはもっと難題が転がっていました。仔細述べませんが…折しも、親が介護で共倒れになりそうだったので、2年9ヶ月で土台を作って帰ってきました。
 此処では、植物工場に用いる有機液肥について研究していました。しかし、恩師の居る所では出来て、私の居る会社では出来ないという不思議な事態に遭遇します。その理由は此処でようやっと分かりました。
 一方、大変お世話になったパートのおじさん、某世界平和活動団体楽読での経験から自分とは?と報連相の重要さを考える良い機会になりました。

第8章:社会人時代②

 知人の縁から、パソナの派遣社員をしてみました。仕事内容は某有名企業の種を袋詰めする仕事ですが…コレが大変!ノーミスクリアが全く出来なかった上に股関節・アレルギーを患わせてしまい3ヶ月で辞めてきてしまいました。同じ植物系でもガチで合わない仕事ってあるんやね…
 また、これまた別の知人からの御縁で、飲食業×アルバイトに挑戦しました。洗い物・掃除・ホテルの部屋メイキング・配膳を楽しくさせて頂きました。苦労した事は、生ビールを専用メカで注ぐ事です。私はお酒を飲まないので程よい泡加減が分からず、レバーがすごく敏感?で上手く切り替えられなかったのです。出来る様になった時の感動はひとしおでした。

最終章:これからのあると

 大学事務の仕事を得ましたが、コロナ騒動もあり、契約満期で解除となりました。また、最近得た仕事も事業が白紙となり試用期間で契約解除となりました…
 この時代背景と、社長の一推しもあり、個人事業主として動く事を決意しました。何ぶん初めてなのでフラフラしておりますが、楽しんで構築していこうと思います。

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します!

※研究者生活は大学+大学院修士+会社員=約5年です。
※210912更新

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