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吾輩などとは決して言うまい

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猫から見たトランスレーションズ展 @21_21 DESIGN SIGHT

猫的感性では「願い」と「祈り」は同じようなものである。しかしその違いを適当に説明するなら、「願い」が比較的具体的な夢を指すのに対し、「祈り」は形而上学的な対象とか、何か社会的善のようなぼんやりしたものを想定しているように感じられる 。 小雨の降る土曜の夕方、パートニャー氏が21_21 DESIGN SIGHTで開催されているトランスレーションズ展に行くというので、私も一緒に忍び込んだ。 (本展における)「翻訳」とは トランスレーション 〜 翻訳というのは、ある言語・文化体

    • 愛すべき人々(猫目線で)

      何となく、もう少し私的な事柄を書いても良かろうと思い立った。とは言え、猫の私生活に興味のある人間などあまりいないだろうから、日頃私が世話になっている方々について書いておこう。 1. パートニャー氏 (医者) 私の生活上、最も世話になっている人をあえて選ぶとすればこの人である。一緒にメシを食った回数も最も多い。明治時代であれば「主人」などと言うのであろうが、最近の人間の世界ではポリティカルコレクトネスとかいうものが喧しいらしく、それに倣って言えば(そして猫風にいえば)、パート

      • Raoul Dufy 展 @ パナソニック汐留美術館

        絵画も良いのだが、そのテキスタイルデザインを見たあとでは絵画は何か物足りなさを感じる。絵画をひと目見たときのインパクトは、主として画面構成と色彩による。描かれた対象の造形や内容といった情報が意味を持つのはその次の段階だ。Dufyは色彩に関しては極めて鋭敏かつ創造的な感覚を持つ一方、画面構成に関してはあまり強くはない。凡庸と言っても良いだろう。このことは鑑賞者が彼の絵画を見るときには不利に働く。その色彩の輝きに圧倒される一方で、それを支えるだけの構成の強さを、そこに見出すことが

        • Tom Sachs 展 @ オペラシティアートギャラリー

          オペラシティに行ったついでに見たTom Sachs "Tea Ceremony"が衝撃的に良い。Tea Ceremonyが含む儀式性、宗教性。宇宙やテクノロジーの示す未来。現代アートの文脈における日用品の使用、世界観。この衝撃を作り出すものは何なのだろうか、と思う。過剰なほど詰め込まれた情報量がその要素であることは間違いがない。

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        猫から見たトランスレーションズ展 @21_21 DESIGN SIGHT

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        • 猫的美術鑑賞話
          3本
        • 猫的四方山話
          1本
        • 猫的美術原理話
          3本

        記事

          作家性

          現代アートが"売れる"過程において、作家性というのはプラスに働くことが多いだろう。ただ、個人的な感覚としてはそういった作家性には関心がない。感覚的に言えば何か”臭う”し、時にはその作品の解釈の可能性を狭めるものとさえ感じる。 業界的に評価されている作品がどうかというと、作家性の色濃さにはかなりばらつきがあるように見える。主観的に作家性を強く感じる日本人現代アーティストを挙げると、村上隆、奈良美智などになるだろうか。このあたりは特徴的なアイコンが繰り返し登場するので、作家性と

          アートの役割(もしあるとすれば...)

          いや、Henry J. Dargerのように、極めて個人的な表現が行き着いた先で特異な魅力を持つ、ということがあるということは重々分かっているのだ。でも、それでも多分、美術における表現は、その入口で、個人的な感覚の発露が何かすごい作品をつくると勘違いしがちであるように思う。 これが音楽ではちょっと違う。音楽では入口からルールがある。体系だった音楽理論があるし、意図的であってもなくても、音楽のルールに則っていない曲や演奏は調子っぱずれに聞こえてしまう。人と合わせて演奏すること

          アートの役割(もしあるとすれば...)