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人は如何にして体制翼賛へとなるか:客観と主観の葛藤、そして、主観主導で歪んでいく、認知 - 加藤直樹「ウクライナ侵略を考える」を読み解きながら(6)

割引あり

 もうすぐ7月も終わりますが、シリーズの続きを書き始めましょう。

 さて、加藤直樹『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』(あけび書房)を読み解くことで、日本の言論、とりわけ左派が如何にして無責任になり劣化してるか。ということを漁っていくシリーズ、章が深まるにつれてどんどんと個人的にはいやーな気持ちになっていくような、なんというか、こんな軽い物事の見方をしてて良いのだろうか?と言う風に、加藤くんだけではなく加藤くんと同じ様な考えや世界観で動いてる左右の人達全般に対しての嘆きや怒りというものが湧き溢れてくるわけですが、始めてしまったのだから、続けましょう。

前回はこちら:

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第6章『ロシア擁護論は「2014年」をどう語っているのか①』を貫徹している、歴史修正主義とチェリーピッキング。

 今回は、6章を取り扱います。『ロシア擁護論は「2014年」をどう語っているのか①②』と、続き物になっていて、実際の所、長々と書いてるのですが、正直得る物が少ないなという風に思えたので7章まで一気に書いてしまおうと思ったら、案外長くなってしまったので、7章は、次回に

 2014年に起きた、「マイダン革命」または「マイダン・クーデター」と呼ばれてるウクライナの政変…ここでは間を取って「マイダン政変」と呼ぶことにしますが…と、その前後に起こっていたことを加藤くんなりに説明しようとしてるのですが。

 彼が設定してる「親露派」(※どの位実在してるのか怪しい感じがある…それこそ、都知事選で蒸し返された「ネット右翼とリベラル」の姿を描いた、もう十年以上昔に描かれたイラストの如く…というものが、あくまでロシアに寄り添っていて「反米をこじらせてる」という大前提で、彼らを「論破」する事が目的で話が組み立てられちゃってるので、多くのところに綻びが出てるんですよね。


※7月30日時点では、「8月5日以降にニコニコのサービスが復旧する」とのことで、見れませんが…

http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im1168125

2014年に起きたのが

第1は「マイダン革命」である。(中略)第2はその直後のクリミア併合である。(中略)第3は「ドンバス戦争」である。
(以下略)

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』 p.163,加藤直樹,あけび書房,2024

 このイヴェントの組み合わせ自体は間違ってないと思うんです。ただ、その後に、

つまり宇山智彦が言うところの「論理的なつながりや釣り合いを欠いた話でありながら、ウクライナや欧米の非を言い立ててロシアの責任を相対化させる議論」によって行われていることが非常に多く、それがウクライナの状況をめぐる議論を混乱させている。

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』 p.163-164,加藤直樹,あけび書房,2024

として総括した上で話に入ってる。と言うのが、非常にまずいなと思うんです。

「相対化」と言う、色々台無しにしてしまう、魔法の言葉。

 ここでキーワードになるのが「相対化」と言う言葉で、これが入るや否や、歴史的事実とか科学的事実に基づく話・考察・検証。と言う、本来やらねばならない「論理的な行動」というものが無意味にされてしまいがちなんですよ。

 これは、自称反差別運動が陥った過ちとも言うべき話で、一部の(暴力沙汰やパワハラを繰り返し起こして労働争議に発展してるような学者なども関わってるような)人々が、自説に対する批判や広い視野から見た場合に自説と相反する結論になってしまうようなケースに対して、「それは政治的に正しくない、悪だ」とデカイ声で叫んで、あたかも相対化自体が悪事であるかのように喚き散らしたことの延長線上に、2014年から始まる(本当はウソ。21世紀に入ってずーっと続いてるんですが)ウクライナでの数々の諍いやロシアと欧米・ネオコンとの争いを位置づけることに、自然となっちゃってるんですよ。

 そしてもっと注意しないといけないのは、マイダン政変で起きたことの事実というものが、情報の津波とも言えるいろいろによってかき消されつつあり、書き換えすらされつつあると言う状況が既に起きていて、その中で、ロシアとウクライナと、そして西側・ネオコンとの争い自体を客観的に見ようとする事、それ自体が「ロシアを免罪する悪い企み、もしくはロシアの陰謀にハメられた哀れな人の行い」として印象操作されちゃうという働きを、こういう物の見方、言い方がやっちゃってるということなんですよね。

2項「松里公孝『ウクライナ動乱』で書かれていないこと」(p.164-)では、

 松里はウクライナ研究の第一人者だ。長年の現地での調査に基づく研究が記述の背後にあり、そこから学ぶことは多い。ただし、松里はウクライナ・ナショナリズムに対して極めて批判的で、当然、マイダン革命(原文ママ)に至るその展開にも、もっぱら錯誤と挫折の連続を見出している。一つひとつの出来事に対する彼の評価については、そういう立場からのものと理解して読むべきだろう。

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』 p.165,加藤直樹,あけび書房,2024


とまで言っちゃってるわけですよ。なんか、見たことある光景ですよね。

この道は、いつか来た道…。

 だれそれはミソジニストだから、一見正しいことを言ってても間違いなんだ。って、自分たちの不正な行為や泥棒政治を批判する人たちのことを悪い人だとか認知が歪んでる人だから。って決めつけて仲間内に対して印象操作して、自分たちが悪いことをやらかしてるのをなかったように必死になってやってる人たちと同じ様な、言っちゃなんですが、キャンセルカルチャーって奴でよくある「犬笛」みたいなこと書いちゃってるんですよ。松里先生に対して、多分自覚なしに犬笛を吹いてる。

クリミア併合に関してロシア軍の関与が2行しかない。と松里論文への不満を叫ぶのだが…。

 クリミア併合に関して、ロシア軍の関与が二行しか書かれてない。と、加藤くんは批判してる(p.165)訳ですが、実際の所、元からロシア海軍の黒海艦隊の本拠地があるセバストポリを抱えてるクリミア半島は、2042年までロシアによる「借り上げ」が続けられる。と2010年に合意が実はされてたのですが、マイダン政変によって政権の座に就いた親米的な政権によってこれがひっくり返されて、セバストポリの黒海艦隊司令部などの重要施設をウクライナ政府が強引に手に入れようとする動きが出てきて、それに対してロシア軍が集結してきていた。と言う部分は、すっぽり抜けてるんですよね。

 クリミア半島に関してのマイダン政変直後の事実・経緯は、この2018年に書かれた、服部倫卓・一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 所長による解説が中立的で良い説明だと思いますので、一部というか一章まるまる(になってごめんなさい…)引用しておきます。

そして問題は、2014年の政変の過程で、過激かつ暴力的な右派勢力が台頭し、彼らの民族主義的な主張がウクライナの時代精神のようになってしまったことです。一般的に国民国家というものは、シビック(市民的)、エスニック(民族的)という2つの類型に大別されます。1991年に、多くのロシア系住民も含め、ウクライナ住民の圧倒的多数がウクライナ独立に賛成したのは、まさに前者が重視された結果でした。つまり、民族や言語にかかわりなく、皆がウクライナという場で権利を享受し幸福を希求できるというコンセンサスがあったはずです。

ところが、ウクライナ独立後の四半世紀の間に、言語政策や歴史認識などでエスノナショナリズムが強まっていき、ロシア系住民は肩身の狭い思いをするようになりました。そして、2014年2月の政変で、エスノナショナリズムが最終的に勝利したような格好になってしまったわけです。クリミアの人々にしてみれば、まったくあずかり知らないところで、ウクライナのありようが勝手に決められてしまい、自分たちが二級市民に転落したような感覚を抱いたことでしょう。クリミアの人々が「ウクライナ」に見切りをつけた瞬間でした。

ここで、ウクライナとクリミアの情勢を注視していたロシアが動きます。2014年2月27日、クリミア自治共和国では、議会が武装集団によって取り囲まれる騒然とした状況の中で、親ロシア派のアクショーノフが自治共和国の新首相に任命されました(このあたりは、完全にキエフの政変のしっぺ返しです)。それとほぼ時を同じくして、ロシア軍と見られる集団がクリミアに展開。3月1日にプーチン・ロシア大統領は、ロシア系住民の保護を理由に、ウクライナへのロシア軍投入の承認を上院に求め、上院はこれを全会一致で承認。さらに、3月6日にクリミア議会はロシア連邦に加入する方針を決定し、クリミアの国家的帰属を問う住民投票を3月16日に実施することを決めました。

「クリミア併合とは何だったのか? 驚天動地の事件を再考する」服部倫卓,2018年9月11日, GLOBE, 朝日新聞社

 この部分や、クリミア半島がロシア軍にとって極めて重要なセヴァストポリという軍港を抱えてる土地である上に2042年までロシアが借り上げるという取り決めを一方的にウクライナが破りだした。と言う基礎的な知識がない状態で、加藤くんは「物事の善悪」を決めつけようとしてる。
 もう少しストレートに言い換えるならば、「基礎的知識があるのにそれを隠して、読者に基礎的知識を与えないように”配慮”して、”相対化”だから”親露派”だからと、宇山先生に対してせよ何にせよ印象操作を行い、歴史修正主義に走ってる」。

一度歴史修正主義前提で突っ走りだしたのだから、最早退路は断たれたとでも思ったのだろうか?

 ここまで見事に、歴史修正主義前提で突っ走りだしたのですから、正直な所、個別に批判する必要がないくらいに歴史修正に歴史修正を重ねるような状態で、この後進んでいくわけです。

 クリミア半島についてにせよドネツク・ルガンスクなどドンバス地方についてでせよ、当時・それもまだ10年前ですらない「ちょっとだけ昔」に報道された事実、当時から開戦直前までに幾つも作られたドキュメンタリー、現地を歩いたりなどして集めた物事に基づいた研究や言論、そういう物が全て「ロシアの罪をなかったことにするための”相対化”」であり、歴史の「真実」は全く違うんだ!とアレコレ長々と書いてる訳ですね。

↓は、ドンバス地方で独立派として戦った人達と数年間同行した上で制作されたドキュメンタリー映画「Призраки. Солдаты забытой войны(自動翻訳だと、”亡霊。忘れ去られた戦争の兵士”となる)」です。ロシア語ですが、字幕の翻訳文の出来が良いので読みながら、ぜひ。

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 後今回は参考図書として、北野幸伯(よしのり)「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義VS多極主義」(2007, 草思社)を使って、加藤直樹くんのこの本と比較することでの「落差」を論じてみていますので、興味のある方は探してお読み下さい…。

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