マガジンのカバー画像

奈良大和路 NARA YAMATOJI MAGAZINE

173
奈良大和路に関して記した文章のマガジンです。奈良を撮った写真は、マガジン「PHOTO YAMATOJI」にまとめています。奈良県域の周辺部も歴史的に関連があれば含めて記してありま…
運営しているクリエイター

#東大寺

中勘助 なか・かんすけ (1885年 [明治18年] -1965年 [昭和40年]) の誕生日 (5月22日) 小説家・詩人 / 東大寺南大門と長屋王鎮魂説

中勘助 なか・かんすけ (1885年 [明治18年] -1965年 [昭和40年]) の誕生日 (5月22日) 小説家・詩人 / 東大寺南大門と長屋王鎮魂説


中勘助 なか・かんすけ (1885年 [明治18年] 5月22日-1965年 [昭和40年] 5月3日) 小説家・詩人・随筆家。

🔍 青空文庫 中勘助の作品

🔍 青空文庫 和辻哲郎「古寺巡礼」(1946年改訂版 [初版は1919年])

七章、二十一章に出てくる、奈良帝室博物館 (現・奈良国立博物館) にほぼ毎朝行き、東大寺に宿泊し、當麻寺の塔の風鐸をどう思います、と聞くN君が

もっとみる
「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった  (リライト増補版)

「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった (リライト増補版)

東大寺二月堂で3月1日から毎年行われる「修二会」( しゅにえ。通称「お水取り」)。

5日と12日 (※1) に東大寺に縁のある人々の名を記した「過去帳」を読み上げ、その中の「青衣の女人」( しょうえのにょにん ) が謎の存在として、マスコミやネットなどでよく話題になります。

「神名帳」の読み上げの後、数分ほど間を置いて午後10時頃から「過去帳」の読み上げが始まりました。

と言っても、「これか

もっとみる
東大寺二月堂修二会 (お水取り) 本行入り / 参籠所の毘沙門天と鬼子母神

東大寺二月堂修二会 (お水取り) 本行入り / 参籠所の毘沙門天と鬼子母神

東大寺二月堂修二会 (お水取り) の3月1日からの本行を勤める練行衆たちが、
2月28日に前行を行なっていた戒壇院別火坊から二月堂参籠所へと移動しました。

🔍 東大寺僧侶、森本公穣さんのTweet.

ツイート写真の左外のあたりが練行衆たちの宿所となる参籠所。写真右の建物 (練行衆の食堂 じきどう) と一棟 (室町時代 重文) で、間をアーケード状の細殿 (ほそどの) と呼ばれる通路 (画面

もっとみる
東大寺修二会 (お水取り) 試別火始まる (2月20日)

東大寺修二会 (お水取り) 試別火始まる (2月20日)

東大寺修二会 (お水取り) の前行、試別火 (ころべっか) が東大寺戒壇院の別火坊 (べっかぼう) で始まる (2月20日)。

🔍 森本公穣さん (東大寺僧侶) のTweet.

東大寺僧形八幡神坐像 (快慶作) 国宝指定日  (1957年2月19日)

東大寺僧形八幡神坐像 (快慶作) 国宝指定日 (1957年2月19日)

僧形八幡神坐像 (鎌倉時代 快慶作 木造彩色 東大寺勧進所八幡殿) 国宝指定日 (1957年2月19日)

東大寺大仏の鋳造時に大仏の守護神として宇佐八幡から勧請された
東大寺鎮守の八幡宮 (現・手向山八幡神社。東大寺の南東部に西面して立つ。)
の神体 (創建当初の神像は平安末の兵火で消失。) でしたが、
1868年 (明治元年) の神仏分離令により東大寺に移されました。
毎年10月5日の転

もっとみる
東大寺修正会

東大寺修正会

🔍 東大寺のお坊さん 森本公穣さんのTweet (8日)

📝 笠餅の写真、初めて見ました。

(10日記事公開)

東大寺大仏開眼供養(752年5月26日[天平勝宝4年4月9日])

東大寺大仏開眼供養(752年5月26日[天平勝宝4年4月9日])

東大寺大仏 (盧舎那仏像) 開眼供養(752年5月26日[天平勝宝4年4月9日])

🔍 東大寺公式ページ「東大寺の歴史」

🔍 霊山寺公式ページ 「縁起と沿革」「16. 菩提僊那供養塔」

📝 インドの僧侶菩提僊那 (ぼだいせんな) が東大寺大仏の開眼導師を務めました。
菩提僊那供養塔がある霊山寺の名は、インドの釈迦所縁の霊鷲山 (りょうじゅせん) に地形が似ていると菩提僊那が聖武

もっとみる
東大寺お水取り

東大寺お水取り

1日から東大寺二月堂で修二会 (お水取り) の「本行」が行われます。

この修二会の元々の目的は、吉備皇女・長屋王一族の鎮魂であろうと、私は考えてますが、

既にネットでも同じ意見がいくつか有りますね。

「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった

「お水取り」で「青衣の女人」はやはり大きい存在だった

東大寺二月堂で1日から行われている「修二会」( しゅにえ。通称「お水取り」) の5日目から今帰って来ました。
殆ど偶然に乗り継げて最後に乗れた電車が終電でした。

修二会の5日と12日 (※1) に東大寺に縁のある人々の名を記した「過去帳」を読み上げ、その中の「青衣の女人」( しょうえのにょにん ) が謎の存在として、マスコミやネットなどでよく話題になります。

「神名帳」の読み上げの後、数分ほど

もっとみる
東大寺修二会 (お水取り) 小観音後入 (生駒山への向き変え・扉無き厨子)

東大寺修二会 (お水取り) 小観音後入 (生駒山への向き変え・扉無き厨子)

📖 なぜ「小観音」は、一旦内陣から出されるのか?

🍁

東大寺二月堂修二会(通称 お水取り) の
7日 (8日未明) 「小観音後入」を参観してきました。

実は、その前段階の7日午後6時15分頃からの「小観音出御」を観るために6時頃に二月堂の前に着いたのですが、
既に7日は午後5時から二月堂へ登る石段が、午後7時からの「お松明」のため通行規制され、
「小観音出御」の際に演奏されている笙や太鼓

もっとみる
誰も見てない「お水取り」

誰も見てない「お水取り」

毎年3月恒例の東大寺二月堂修二会、通称お水取り、

去年2018年は13日未明と、14日から15日にかけての行法を見学してきました。

13日未明の1時過ぎ頃には、
二月堂から西におりたところの「閼伽井屋」〔あかいや〕という建物の中にある、
(「閼伽」は、サンスクリット語のアルギャ〔水、価値あるもの〕が語源との説有り。 )
「若狭井」と呼ばれる非公開の閼伽井から、二月堂本尊の十一面観音への御供

もっとみる
法隆寺西円堂修二会 (2月1日〜2月3日)  / 法隆寺・薬師寺・東大寺修二会の「松明」と「鬼」の関係

法隆寺西円堂修二会 (2月1日〜2月3日) / 法隆寺・薬師寺・東大寺修二会の「松明」と「鬼」の関係

法隆寺西円堂 (さいえんどう) 修二会 (しゅにえ 2月1日〜2月3日)

結願日の3日は西円堂 (国宝) で追儺式 (ついなしき。鬼追い式 [おにおいしき]) が行われ、
3人の鬼が西円堂の外側を時計回りに歩きながら、火のついた松明を投げます。
19年に参観し、写真も撮ってきました。

〔📷 ↑ 法隆寺西円堂修二会追儺式。画面右端から二人目のオレンジ色の衣装が毘沙門天役。法隆寺のこの毘沙門天

もっとみる
東大寺修二会終わる

東大寺修二会終わる

3月1日から本行が行われていた東大寺修二会は
3月14日に「本行」を終え、
日程上の「満行」(まんぎょう。※1) となり、主な日程を終了しました。

実際の時間上は、(去年参観した時は) 日付が15日に変わった0時過ぎに
「達陀 (だったん) の行法」(※2) が行われましたが、
それも日程上は14日のプログラムのエンディングになるのでしょう。

15日にも関連の行事がいくつか有るので、
全体とし

もっとみる
東大寺修二会 (お水取り) 満行 (3月15日)

東大寺修二会 (お水取り) 満行 (3月15日)

東大寺修二会 (通称 お水取り) 満行 (3月15日)

📖 本ブログマガジン「お水取り」(無料)

📖 本ブログ記事 (マガジンにも収録)