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この絵を見るために。初海外一人旅。

アブドゥル・アジズ作《惹かれあう心》@ネカ美術館

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図1 アブドゥル・アジズ作 《惹かれあう心》

 この絵(図1)を見にネカ美術館に行くためにバリ島に行った2013年、19歳の春、人生初海外一人旅。バリ島と言えばビーチリゾートをイメージするかもしれませんが、それはバリ島南部の一部のエリア。滞在したのは市街地のクタと芸術の村ウブド、またその以北。バリ・ヒンドゥー最大の祭りガルンガン・クニンガンを挟む日程で、祭りの翌日には若者が50人~100人程の群れをいくつも成して島中をバイクで暴走していました。

日本には無いタイプの芸術性を求めて情報収集していたある日目に留まったのが、この絵。バリ島のガイドブックを見ているときでした。それまで目にしたことのある美術は主に日本・西洋のもので、東南アジアの美術を意識的に鑑賞したことはおそらくありませんでした。この絵にはバリ島の何かが宿っているような気がして、その何かは現地に行けばわかるような気がしていました。

 ドイツ人画家が持ち込んだ油絵とその技法により西洋化されたバリ絵画ですが、この絵の作者アブドゥル・アジズの作品(図2~5)にはどれもバリ・ヒンドゥーの精神やバリ人としてのしたたかさを感じ、閉館を1時間以上過ぎてもそのまま鑑賞させてもらっていました。

図25
図2 アブドゥル・アジズ作

 アブドゥル・アジズの作品は、数あるバリ絵画の中でも現代絵画様式に位置付けられます。ドイツ人画家ウォルター・シュピースを始めとする西洋人画家たちの影響を受けバリ絵画様式が様々な変遷を経て今日たどり着いている様式です。

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図3 アブドゥル・アジズ作

 様式は西洋的になりつつも、描かれている人物を通して伝わってくるのは人物の美しさというよりもバリ島民の精神性の高さであることや、バリ・ヒンドゥーを中心に回っているバリの生活習慣などを主たるモチーフとした表現である点に、彼の作品のしたたかな美しさがあります。

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図4 アブドゥル・アジズ作

 それは、余白が残っているのではなく明らかに意味のある空気感を漂わせるために描かれた余白であること、最もその空気感が伝わる構図で枠内に納めていること、人物の自然な表情や陰影、画面上の強弱を描き分ける巧みさなど、彼の確かな技術力に裏打ちされたものでもあります。

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図5 アブドゥル・アジズ作


バリ絵画に見る、海外美術の魅力

 今日主流となっている現代アートに見られる、個人特有のコンセプトに基づく表現ではなく、国や地域において時代ごとに共通して見られる様式。その時代その文化圏において特定の意味のある表現。この一定の特徴を持った美術を見るときが、海外でそれぞれの国や地域の核となる部分に出会える瞬間でもあると感じています。

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図6 カマサンスタイルの一例


 西洋絵画の影響を受ける前のバリ島には、カマサンスタイル(図6)という伝統的な絵画様式が根付いていました。
 バリ島の南東クルンクン県にあるカマサン村。バリ島最後の王朝クルンクン王国、その王宮や寺院の装飾画として発達しました。現在でも受け継がれている古都のカマサン村にちなんでカマサンスタイルと言われていますが、別名ワヤンスタイルとも言われます。

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図7 影絵芝居ワヤン


 ワヤン(図7)とはユネスコの無形文化遺産にも登録されているインドネシアの伝統芸能、影絵芝居を指します。ワヤンでは、インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』を始めとするヒンドゥー教の物語などをテーマに演じられます。このワヤンをモチーフとして描かれたのがカマサンスタイルです。

このカマサンスタイルに次ぐ伝統的なバリ絵画の様式にバトゥアンスタイル(図8)があります。カマサンスタイル同様、こちらもバリ島のバトゥアン村で花開き、受け継がれている表現様式です。ワヤンのような形態を残しつつ西洋の遠近法的視点を随所に取り入れ画面上に隙間なく描き尽くすのがバトゥアンスタイルの特徴。

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図8 バトゥアンスタイルの一例

カマサンスタイル、バトゥアンスタイルともに何も知らずに見たときはただ未知の領域、宗教色を強めに帯びた海外独特の表現だと受け止めていました。
しかし、ワヤンがモチーフとなっているとわかってから再度鑑賞すると、不思議と美しく見えてくるのです。ワヤンで用いられる人形が、画面上で生命を吹き込まれて躍動しているように見えます。

 上述したアブドゥル・アジズの《惹かれあう心》は、余白を残すカマサンスタイルがモチーフをワヤン人形から人物に変え立体的に描かれたものであるようにも感じます。

バリ美術の根底にあるバリ・ヒンドゥー

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図9 祭礼の準備風景

 国民の大半がイスラム教徒であるインドネシアにおいて、バリ島ではヒンドゥー教が主に信仰されています。バリ・ヒンドゥーと言われるバリ島独特のヒンドゥー教は、インドで端を発した信仰がインドネシア本島を経由して徐々に形を変えて伝わったものが、バリ島土着の信仰と結びついたものです。

 バリ島では、バリ・ヒンドゥーを中心に据えた生活が送られていて、お供え物なども美しく華やかなものが多く見られます(図9)。例えば、バリ・ヒンドゥー最大の祭りの1つガルンガン・クニンガンの際に家々の前に供えられるペンジョール(図10)。ガルンガンとは祖先の霊が返ってくるとされる日で、その霊の宿木となるのがペンジョールです。竹竿にヤシの葉や花で飾り付けていて、その飾りの華やかさや竹の高さなどで信仰心の厚さを示しています。

図32
図10 道路の両脇に建ち並ぶ竹飾り「ペンジョール」

 ガルンガン前日までには必ず設置されるため、数日前からの準備期間を含めガルンガン期間中はどの道もペンジョールのトンネルの中を通ることになります。
 クニンガンの日には祖先の霊がペンジョールから離れ、元の場所へと戻っていきます。

図35
図11 石像の前に積まれているお供え物「チャナン」

 ガルンガン・クニンガン中によく見られるお供え物に、チャナン(図11~13)もあります。チャナンとは椰子の葉やバナナの葉でつくった小さな器に摘みたての花々を綺麗に盛り付けたもので、各所にお供えしています。これらは行事の有無に関わらず日々供えられているもので、バリ島の至る所で目にします。

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図12 海辺にお供えされているチャナン

 王宮や寺院の装飾として発達したヒンドゥー教の世界観や神々を主なモチーフとしたバリ絵画然り、これらのお供え物も目に見えない世界と繋がっているバリ島民の日々の信仰の一部を彩る装飾として発達しています。これらは、バリ・ヒンドゥーを中心に据えた生活を送るバリ島民にとっては生活空間の一部であり、同時にそれらは、視点を変えると美術ともなります。

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図13 聖獣ガルーダの石像に供えられるチャナン


旅しながら美術を見るということ

 バリ・ヒンドゥーの美術を見ること、当時の私にとってそれは新たな美術分野の発見でもありました。ヒンドゥーの物語に沿って生み出され、王朝と栄華を共にし、以来現在に至るまでその地に受け継がれ生活の端々を彩り続けたバリの美術。現地の文脈から切り取られ、美術館・博物館に移された展示品ではなく、そこにあることに意味がある美術です。

 ネカ美術館にあるアブドゥル・アジズの《惹かれあう心》を見るためにバリ島に行った19歳の春。現地でこの作品を見たという鑑賞体験は確実に心揺さぶるものではありましたが、それ以上に現地の生活に根付いた美意識や美的価値への気づきが海外の美術文化への好奇心を一層高いものへと昇華させました。
 額縁の中で完結している美術だけが美術ではなく、その国や地域の在り方や考え方によって必要に迫られ生み出される美が現地にはあります。それは創り出されるに至った歴史的・宗教的・文化的背景などとセットでの美であって、そういった文脈は代替可能なものではありません。文脈を踏まえて見てこそ美しくそこに立ち現れる美もあるのです。

 芸術文化の美しさに感動できたら、人はその国に敬意を払えると思います。旅しながら美術を見ることと、その大切さ。この初海外一人旅で得た気づきが、当研究室の原点です。


参考文献

1.Garrett Kam、『ネカ美術館~バリによって霊感を与えられた絵画~』、ネカ美術館 、2005
2.ルー・ K ・スリヤニ 、「バリ文化への挑戦」『社会科学ジャーナ 43 』、1999
3.岩井正浩・磯貝佳菜子・伊東涼香・伊原未紗・岡田普恵・栗山覚・高松彩夏・原麻子・日吉直行・増木あゆみ・三原匠子・村上しほり・吉田美聖・山田さよ子、 「バリ島「ガルンガン」 花巻市「花巻祭り」」『神戸大学大学院人間発達環境研究科研究紀要 2( 1 』、 2008


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