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34arts|紅ミュージアム

女性の化粧に欠かせない「紅」。その歴史や文化を紹介する紅ミュージアムに行ってきました!
場所は表参道と六本木の間あたり。根津美術館や岡本太郎記念館、ヨックモックミュージアムも近いので、併せて訪問するのもオススメです。

紅ミュージアムは、化粧品事業を展開する伊勢半本店グループが運営する資料館です。昭和の少女マンガに出てくるお姫様風のキャラクターがついたアイメイクシリーズ「ヒロインメイク」を手掛けるKISSMEもグループ企業の一つ。現代風の化粧品だけでなく、現在も紅を製造販売しています。

紅とは?

紅の原料は紅花(ベニバナ)、5〜6世紀頃に中国より伝来し、平安時代から江戸時代にかけて、山形県最上地域、埼玉の上尾・桶川などで盛んに栽培されてきました。
古くから染料や食用油、生薬にも使われ、現在も紅花染の材料として栽培されています。私も山形県河北町の紅花資料館を訪れた際、予約をして紅花染体験をしてみました!

紅は、小皿や蓋付きの小さな容器などで販売されています。乾いた状態では玉虫色ですが、水を含むことで赤く発色。固形の水彩絵の具のように、水を含ませた筆で使う分だけ溶かして、唇にさしていきます。

目元に引いたり、爪紅(つまべに)といって爪先を染めたり、チークに使っても良いそう。
現代でも口紅・チーク・アイメイクとマルチに使える商品がありますが、今までになかった画期的なものではなかったのですね。驚きです。

 「紅」をつくる

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紅問屋伊勢半の想定復元模型 (復元年代:明治時代前期、縮尺:1/30)

紅問屋伊勢半は1825(文政8)年、日本橋小舟町に紅屋として創業しました。模型では、紅を製造する紅場と販売する店先、原料の仕入れから製造、販売までの行程を見ることができます。

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紅餅

紅花は発酵させた後、丸めて乾燥させた紅餅(べにもち)の状態で、産地の山形から仕入れました。餅というより海老煎餅に似ていて、確かに発酵したお茶のような匂いがします。
この紅餅を水で戻して搾り、アルカリ水溶液をかけて再び搾ると、紅液となります。

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烏梅とゾク

紅花は黄色と赤色、二つの色素を持っています。染色では、媒染剤(金属塩や灰汁、ミョウバンなど)や染める素材の組み合わせで染まる色が変わりますが、麻を使うと赤色色素のみが染まるそう。

烏梅(うばい/梅の実に灰をまぶして干したもの)からつくった酸性の液を加え、ゾク(麻の束)を染めることで赤色色素を取り出します。ゾクにアルカリ水溶液をかけて搾った濃縮紅液に酸液を加えると、赤色色素が沈澱します。

それを濾して水分を飛ばした泥状の紅を容器に塗りつけて乾かせば、紅の出来上がりです。

当時の紅猪口や販促用のノベルティ、紙の資料なども展示

展示室では、この一連の作業工程が動画で紹介されています。
器に塗った液が乾いて赤色から玉虫色になる様子は、なんとも不思議で感動しました。

魔除けの紅

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赤色は血や炎、太陽を連想させ、古来、それこそ縄文時代から魔除けの色とされてきました。
たびたび疫病の流行した江戸時代では、紅花で染めた赤いお守り袋を子どもに持たせたり、赤(朱赤)一色で神様や力の強い人物、縁起物の絵を描いた疱瘡絵(ほうそうえ)を部屋に飾ったりと、赤色の呪力に頼ってきました。
疱瘡絵については、以下でも取材しました↓

還暦で赤いちゃんちゃんこを着るのも、干支が一巡して生まれた年に戻った=生まれ直したことから、赤い産着に代わって着るのだそう。
どうりで、可愛らしい感じがすると思いました。

江戸時代の化粧文化

基本は赤・白・黒

さて、江戸時代の化粧ですが、基本は赤・白・黒の3色です。
現代では、多彩なアイシャドーにベージュ・ピンク・オレンジのリップやチークとカラフルな印象ですが、突き詰めれば赤(色物)・白・黒に落ち着きますね。

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鏡台と化粧道具類 江戸時代後期~明治時代前期

手鏡と化粧道具が詰まった漆塗りの箱が、江戸時代の化粧道具一式です。
長屋の一室に置くとなると、かさばる印象ですね。紅や白粉は陶器に入っていますし、重そうです。

現代のほうがアイテム数は多いはずですが、持ち運べるように極限まで小さくつくられているので、引き出し1〜2段で済みそうです。(個人差は多いにあります)

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赤はポイントメイク。紅で唇や目元を染めます。
白はベースメイク。粉状の白粉を水で溶き、顔や首、襟足、胸元に塗っていきます。歌舞伎役者や舞妓さんと同じですね。
黒は眉やお歯黒。眉は真菰(まこも/稲科の植物)の墨や油煙、墨汁を筆で塗ります。お歯黒は酢酸に鉄を溶かした鉄漿水(かねみず)と五倍子粉(ふしこ)を交互に塗ることで、歯を黒く染めていました。まずそう。

江戸時代では、女性のステージ別に黒の化粧方法が変わります。結婚をしたらお歯黒を始め、出産を機に眉を剃り落としていました。
浮世絵にも、当時の化粧の様子やステージ別の化粧の表現を見ることができます。

オーラルケア&スキンケア

化粧だけでなく、オーラルケアやスキンケアも欠かせません。現代の私たち同様、江戸時代の女性たちも、歯磨きをしたり化粧水をつけたりしていました。

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柳や黒文字(和菓子をいただくときの楊枝に使う)を木槌で叩いてつくった房楊枝(ふさようじ)と、砂を精製したみがき砂を使って歯磨きをします。
よくすすがないとジャリジャリしそうですね。

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スキンケアでは、ぬか袋(米ぬかを入れた木綿の袋)で顔や体を磨くほか、なんと、化粧油・化粧水も使っていました!

蘭引(らんびき)という陶製の器具(写真右上)の下層で湯を沸かして水蒸気を発生させ、中層にノイバラなどを入れて蒸し、上層で冷やされた水蒸気が液体となって細い口から出てきます。それに香料などを混ぜて使っていたそうです。

ヘチマ水は茎を切って出た水を濾過してつくりますがですが、こちらはだいぶ手が混んでいますね。江戸時代にバラ水があったとは!

理想の顔になりたい

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『都風俗化粧伝』

現代の私たちはテレビや雑誌で流行の化粧を研究し、リップやアイシャドーの色、肌の質感、眉の形などを決めていきます。では、江戸時代の女性たちは何を参考に化粧をしていたのでしょうか?

出版文化も盛んだった江戸時代。指南本『都風俗化粧伝』(江戸時代後期)では、化粧の仕方やお手入れの仕方が挿絵付きで紹介されています。

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タッチパネルで一部を現代語訳で読むことができる

ただ顔のパーツに合わせて塗るのではなく、鼻を高く見せるメイク、ツリ目(ネコ目?)・タレ目メイクといった、現代にも美意識にも通じるテクニックもありました。
江戸時代の人も「もう少し鼻筋が通っていれば」「理想の目の形に近づけたい」と思って、整形メイクをしていたのですね。

化粧の近代化

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明治時代になると、洋服や髪型の西洋化とともに、化粧も変化していきました。
外国人から見ると、とくに黒の化粧は不可解で不気味だったようで、「既婚女性はわざと醜く見せて貞操を守っている」などと解釈されました。
こうして、お歯黒や眉を剃る化粧文化は次第に廃れていきました。

化粧品の変遷

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明治30年〜大正15年の化粧品
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近代以降、化粧品やスキンケアにも外国からの技術や知識が流入されました。
陶器に入っていた化粧品は、ガラスや陶器の瓶、金属の蓋物で販売されるようになり、新聞や雑誌に華やかなビジュアルイメージを伴った広告も打たれるようになりました。
大正時代には国産のリップスティック型口紅も登場します。

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昭和20年〜の化粧品
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昭和になると、ガラス容器からプラスチック容器に移行します。戦時中は働きに出る女性も増えたため、時短できる化粧品や持ち運びしやすいサイズの化粧品も登場しました。

この間、憧れの銀幕スターに近づけるメイクが流行する、血色の良い肌や日焼けした肌が良いとされるなど、化粧品の進化とともに流行もコロコロ変わり、スパンも短くなっていきます。

マスクの下に紅を引いて

たくさんの工程を経てつくられる紅。魔除けの色でもあり生命力を与える赤色は、人の姿だけでなく、心をも美しく彩ります。
時代によって美意識は変わっていきますが、化粧をして魅力的になりたい、自分に自信を持ちたい、という気持ちは変わりません。

現在はマスク生活で口元は見えませんが、人に見せるのではなく、自分が見て自信が湧き、気持ちが華やぐように、メイクしてみませんか?

アンケート回答でいただいた試供品


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