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10books|岡本浩一『80億人の「侘び寂び」教養講座』(淡交社、2023年)

「侘び寂び」は感覚的なものか?

日本らしさを表現するワードの代表格「ワビサビ」。抹茶をいただいたり日本庭園や枯山水をみたり、何かの折に「ワビサビだなぁ」と感じたことがあるかと思います。では「ワビサビ」とは何でしょうか? 

本書は、茶道具を例にした侘び寂びクイズから始まります。選択肢が3〜4つあり、侘びている順に並べるというものです。
(読書会のメンバーに「侘びている順ってものすごくパワーワードだよね」と言われました)

私は、地味だったり素材がそのままだったり歪んでいるものが「ワビサビ」なのではと思いましたが、唐津や信楽の茶入れ(茶色でボコボコしている)より黒棗(くろなつめ、黒漆塗りでツルツル)のほうが侘びている、というのは意外でした。
この侘びているか・いないかというのにはある程度の基準があるようで、それには中国から茶の文化が入ってきて日本で茶の湯に発展していった歴史が深く関わっています。

「侘び」と「寂び」の違い

後半は、「侘び寂び」の概念が日本文学(和歌)からきていること、「侘び」と「寂び」の違い、茶碗にみる茶の湯の変遷、海外での侘び寂びの需要について書かれています。

筆者は「侘び」と「寂び」について、以下のように定義しています。

「寂び」……(歌論などで)外見は殺風景なようで、内に蓄えられた孤独で静かな心境
「侘び」……寂びた心境がほのかに外側に出た具体的なさま

岡本浩一『80億人の「侘び寂び」教養講座』p.73

そして、侘び寂びとは相反する「成金趣味・学歴主義」を具体例として、その違いを説明しています。(その方が説明しやすいからとのこと)
相反しない例で言うならば、枯れススキを見てみてしんみりとした気持ちになったとき、枯れススキが「侘び」たもの、しんみりが「寂び」た心境と捉えられます。

なるほど「ワビサビ」ではなく「侘び」&「寂び」なのか、と明確にわかったような気がしますね!

精神修行としての茶の湯

筆者の本業は社会心理学の教授で、茶名(芸名のようなもの)をもつほどの茶の湯の心得のある人物です。それもあり、本書では「侘び寂び」の概念について、主に茶の湯を例に話を進めています。

私も勉強中なのですが、茶道には日本文化がうまいことパッケージングされているようで、工芸や庭園について調べていくと、どうしても茶道につながっていき、ローマみたいだなと感じている今日この頃です。

なぜ「侘び寂び」が尊ばれるのか。単純に「いいよね」というほかに、心を鎮める作用の重要性があるのではないかと書かれていました。

黄金の茶室をつくった豊臣秀吉や悪役のイメージの強い松永久秀など、戦国武将たちは茶の湯をたしなみ、名物と呼ばれる茶道具を珍重しました。
下剋上のまかり通る戦乱の世においては、戦の最中はもちろん平常時にも、良好な主従関係を保ちつつ、謀反を起こされないためにも過剰に驕ることのないように努め、内政に気を配り、敵方の出方を伺い……。つまり、自滅を避け寝首を掻かれないよう、常に気を張っていなければなりませんでした。

いざという時に冷静な判断ができるよう、普段張り詰めている緊張を緩めるために「侘び寂び」が必要だったのでしょう。
(茶の湯に限定して言えば、そうした精神修行のほか、ヨーロッパのサロンのように社交の場としての役割も担っていました)

パナソニックの創業者・松下幸之助や三溪園で有名な横浜の実業家・原三溪といった企業のトップが茶道を習うのも、同様の理由と言えるでしょう。

ざっくり感想

何かをみて「ワビサビだなぁ」と思う受動的な態度よりは、「侘び寂び」を見出して内省する能動的な態度が大事なのかなと思います。

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