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365日早朝内観ワークを振り返って

一年間続けた朝の内観ワークが今日で一区切りついた。
長いようでいて、終わってみればあっという間の365日間だった。
精神エネルギーを大量に消費する、まさに荒業とも形容できる負荷のかかるワークだったけど、一年間やり切れて感慨深い。

主催者によれば「せっかく身についた習慣なので」明日からも引き続き実施するそうだけども(笑)、一応の区切りということで、ここで改めてこの一年の振り返りをしておきたい。内観ワークを内観するメタワーク。

まずはこの一年間ワークの場を提供し続けてくださった主催者の方に心から感謝したい。
2020年11月からただの一日も休むことなく、まさに異常フルコミットで駆け抜けた凄まじい365日だった。こんな狂気の沙汰を思いつき、実際にやってのけることができる人物を、私は他に知らない。

そして家族にも感謝せねばなるまい。
早朝の最も忙しい時間帯に一人部屋に籠る私の行為は、どう考えても非協力的で、異常そのものであったが、それについて非難めいたことは一度も言われなかった。
「少しは手伝ってよ」の一言くらい文句を言われてもよさそうなものだけど、ただただ黙って容認・放任してくれた。よくできた家族である。

ごくわずかだったと思うが、仕事の都合で参加できない日もあった。通勤電車の中で聞き流したりと、全日程でワークに集中できたわけではなかったけど、この一年間にもたらされた成果は劇的とも言えるレベルだったのではないかと個人的に感じている。

毎朝の内観に使ったノートは7冊にのぼり(一時デジタルに移行したりしたので、もっと真面目にやっていればこの2〜3倍になっただろう)、そこで練られた思索は、仕事のアウトプットとしていかんなく発揮された。

曲がりなりにも人材コンサルタントとして、クライアントである人事部門や企業のリーダーに提言・アドバイスしたり、研修やウェビナーのコンセプトを練って実行したり、コラムやブログを執筆したり、後輩の支援に役立てたりと、様々な成果となって現れた。

やはり内観と呼吸の鍛錬を通じてコンセプトメイキングの能力を磨き、無形資産のストックを少しずつ蓄積していったのが大きかった。

自分らしい状態をより長く保つという意味でも効果があったと思う。
モヤモヤとした気持ちを抱えていても、内観を通じて探究と思索に集中しだすと、硬くなった心が自然と融解してスッキリとし、内面の充実感と自分本来の姿を取り戻すことができた。

人との深い対話の場に居合わせることで、尊いご縁(緑縁)を感じて魂が震えるような神聖な気持ちになることも度々あった。人が自身の内面の奥底に抱えた深い深い悲しみや怒り、愛や憎しみを、肚を割って話し出す瞬間はとても鮮烈で、私にはそうすることも、そんな相手と向き合う勇気さえまだないのだと痛感したが、肚を割る、その真髄を学ぶ機会が得られたのは、私の人生にとっての一大事と言えた。

「井の中の蛙大海を知らず、されど人の深さを知る」

残念ながら日が経つに従って、参加者の数はむしろ目減りしていったけど、この異常な取り組みを、最後まで脱落することなくやり切ることができたのは一つの誇りにもなった。

結局のところ、どんな環境に身を置くかということに尽きると思う。
特に私は人から感化されやすい体質なので、身を置く環境や接する人の質が自分の人生に与える影響度合いが大きい。なのでこの良質かつ異常な環境に身を置き続けることがとても大事だと感じている。

主催者の活動を端から見ていて、たとえ参加者が少なくても、自ら環境を作り人の成長を支援した人が実はいちばん成長するということを痛感した。時には私一人しか参加してないのではないかと心配になる日もあったが、主催者がそんなことには頓着せず、いつも通りパワフルに、楽しそうに内観に打ち込む姿に勇気づけられた。

今後は自分自身のコミットメントを高めるためにも、自らの手で「人が育つ場」をいかに創り出すかをテーマにしていけたらと感じている。一皮向ける体験ができそうだ、という感覚はあるものの、内向的な自分としてはハードルが高く、心の中にはまだまだ抵抗感が残っている。

無理をせず、まずは身近なところで1on1や内省・勉強会の場作りから検討してみたい。

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