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「カサンドラ症候群」2023―前編―

ちょっと、この言葉について考える時期が来ている気がします。
「カサンドラ症候群」という言葉に出会った私の経緯と、この言葉の今までの私の印象、私から見えている「現時点での界隈」について、まとめます。
《結論は出ないので、後編に続きます》


私がこの言葉に辿り着いた経緯

結婚する前は、「ちょっと変わってるけど優しくて真面目で寡黙な人」という印象だった夫。その「ちょっと変わってる」という部分こそ魅力的に感じて結婚したのでした。

結婚後、一緒に暮らすようになってからは「ちょっと変わってる」の部分で困難を感じることが多くなりました。大事な話し合いをしているのにトンチンカンな受け答えをされたり、私が傷つくようなことを平気でされたり、「言った/言わない」の問題があまりにも多かったり、一緒にドラマを見ていてあるシーンで私が泣いている隣で夫は笑っていたり、日頃からどうしても心が通じ合っている感覚が得られない。私がおかしいのだと思いました。

そのうち、なぜかふと家事をしていて涙が出てくるようになったり、仕事中なのにぼーっとしてしまったり、頭痛は慢性的になり毎日何回も頭痛薬を飲んでいました。夫とのコミュニケーションが怖くなり、夫の帰宅時間には動悸がするようになりました。モラハラを受けているわけでもないし、夫は優しいし、時々ちょっとすれ違うけど、暴言も暴力もないし不倫もギャンブルもしない本当にいい旦那さん。なのになぜ私はつらいのだろう。自分で調べたり、友人に相談したり、病院へ行ったり、何をしても解決しませんでした。

結婚して2年が経った頃、幼い息子(私の連れ子/5歳)に「発達障害」の診断がつきました。保育園から「発達がゆっくりかも」と指摘があり、療育施設へ連れて行って医師の診断を受けました。「ASD/自閉症スペクトラム」と「ADHD/注意欠如多動性障害」です。

なるほど、だからうちの子はこんなにも言葉の発達がゆっくりだったのか。だからスキップもできないし、ジャンプもできないのか。だから転んでも笑ってるし、注射も泣かないのか。エレベーターへの異常な興味の強さ、トンネルを通りたがるこだわり、ミニカーも綺麗に並べて遊んでいたよね。そっかそっか。なるほど!いろんな場面がすっきり繋がり、私はこの子の困り感に対処ができるよう「発達障害」というものについての勉強を始めました。本を読んだり、講演会に通ったり、資格を取得したり。そんなことをしていくうちに、少しずつくっきり見えてきたことがあります。

「夫も、これでは。」

ちょっと変わってるけど本当に優しくていい人で、不器用だしどんくさいしおっちょこちょいだし時々空気読めない発言をするけど、悪気がないことはしっかりわかる。あなた、もしかして、生まれつきの脳の特性により生きづらさを抱えながら生きてきた「発達障害」では?それも、一般企業に勤めてしっかり社会で生きている、かなり頑張り屋さんの部類では?

その後、夫に心療内科を受診してもらい、やはり「ASD」と「ADHD」の診断がつきました

となると、私のなんだかつらい部分についても説明がつきました。夫に対しても、私ができる部分はサポートすればいい。夫が苦手な部分は私が補おう。逆に得意な分野は夫にお願いしちゃおう。発達障害のパートナーを持つ人に何ができるのか。どうしたらこのつらさが軽減できるのか。色々調べていくうちに辿り着いたのが、「カサンドラ症候群」という言葉でした。

辿り着いたことによるメリット

この言葉で検索をすると、同じように悩んでいる人がたくさん見つかりました。「ネット上で顔の見えない人と話をする」というのは私にとって初めての経験でしたが、勇気を出して【Twitterのスペース】に入室してみました。そこはとてもとても居心地がよく、日々のつらさを共感しあい、笑い飛ばしたり、そんな中でのうれしかった出来事を共有したり。愚痴り場になる時もありましたが、私には、なんだかんだ言いながらも夫婦生活をうまくやろうと模索する中での愛のある愚痴に聞こえました。ずーっと夫の話をしているわけではなく、それぞれの子育ての話、趣味の話、いろんな話をしました。その時間は私にとってすごく温かくて大切な場所でした。

「旦那デスノート」という言葉は昔からありましたが、それとは全く違う。しねとか憎いとかそんなことは全然思っていない。ただ「こういうのしんどいよねぇ笑」「あー私もそういう時あるー!」と話す交流の場であり、息抜きをすることで家庭では笑顔で過ごせたりしたものでした。

辿り着いたことによるデメリット

最初は「ASDのパートナーを持つのだから、カサンドラ症候群という状態に陥るのは仕方がないことなのだ」という点に落ち着いた時期はあり、瀕死状態だった私はすごく救われました。でも、この着地点で終わってしまうといつまでも【つらさを抱えたまま生きる】ということになってしまいます。居心地は良いし、しっくりくるのでハマりやすく、抜け出しにくい。

さらに、【カサンドラ症候群からの抜け出し方】を調べても明確な答えは出てこない。「離婚して回復した」という人と、「自分に向き合え」という人が多かった気がしますが、当時の私にはどちらにも進むことができなかった。特に「自分に向き合え」は、全く意味がわからなかったです。

この言葉は「つらかったね」という救いの言葉にはなりますが、そこからの回復方法は自分で見つけるしかないのです。その答えは、自分の中にあるからです。

この言葉の現状《2023年秋》

私は結婚して9年が経ちました。上記は数年前の私の話です。
現状どのような使われ方をしているのか、どんな問題があるのか、考えてみたいと思います。

1.言葉がひとり歩きして幅広く使われすぎている

現在、その当時よりはこの言葉が普及してきていて、テレビやネットニュースでも取り上げられるようになりました。「私はカサンドラ症候群です」という人が、ここ数年で一気に増えたような印象です。

これは、「今までこの悩みが何なのかわからずにモヤモヤしていた人が表に出てきた」だけではなさそうです。

私は「ASDさんとのなんだか通じ合わない感、言葉にならない日々の虚無感、夫のことは大好きなのにうまくいかなくてつらい」がカサンドラ症候群の主なつらさだと思っていました。

時々見かける「ADHDの夫が失敗ばかりして尻拭いに追われる私はカサンドラ」という人や「夫が暴言を吐きます。暴言浴びまくりな私はカサンドラ」という人。私の思っていた「カサンドラ症候群」というものだけではなく、ASDの特性とは無関係な部分までその言葉に結び付けられて、どんどん幅広い意味で使われるようになりました。

私はそこへ違和感を持ち始めるようになりました。

2.過激な人の言葉が凶器となる恐れ

時々、旦那デスノートのようなキツイ言葉を使うカサンドラさんもいます。

さらに、それを問題視したASD当事者の方が、そのような一部のカサンドラさんのポストをスクショで切り取って【カサンドラとは、ASDの差別をするようなひどい人たちのことだ】と拡散するようなポストも頻繁に見られるようになりました。むしろ、私はリアルタイムのキツイ言葉よりも過去の同じ内容の拡散を何度も見かけます。

「私はカサンドラ症候群です。ASDの夫に苦しめられています。消えてほしいです。」という何年も前のたった1人のたった1つのつぶやきがそういう人によって何度も何度も拡散されることによって、無関係なASDの方やその家族にはより一層その声が届きやすくなり、強く悲しく刺さると思います。

3.その言葉の発祥は海外のASD差別団体によるものだという話

そして、海外で最初にこの言葉ができた経緯を「ASD差別団体によるもの」だと主張する人もいます。私は数年前日本でこの言葉に出会い、差別の意識なんて全く持たずにこの言葉を使っていましたが、実は数十年前の発祥元を辿ると海外の「Families of Adults Afflicted with Asperger's Syndrome:アスペルガー症候群に悩む大人の家族/FAAAS」という団体が作った差別用語だという記事が出てきました。知りませんでした。

言葉は生きています。半面、「差別」の問題は根深いです。「発祥がこういうところなのだから嫌悪感が拭えない」という人がいるのは、当然のことだと思います。

4.これらの反動で「そもそもカサンドラって何?」のターン

今、この言葉の概念について、いろんな観点から見直したほうが良い時期なのかなと私は思います。私が当初から認識していた「カサンドラ症候群」の意味では、なんだか使いにくく誤解されやすいのが現状です。カサンドラさん側にもいろんな人がいます。私のように感じている人もいれば、私の意見と異なる人もたくさんいるのではないかなと思います。

あなたはこの現状をどう見るか

個人には「はい!明日からカサンドラという言葉は使用禁止です!」という力はないし、「はい!明日から意味を変えて皆さん使っていきますよ!」ということもできない。当たり前です。

周りの人がどう使うかを、制限することはできない。

でも、「私がその言葉をどう使うか」は、自分で選ぶことができます。

様々な現状を踏まえて、自分に見えていない視点からの声も聞いて、私はどう使っていくかを考えていきたいと思います。

後半へ続く・・・aromi

サポートしようかななんて思ってくれたことに感謝します✎𓈒𓂂𓏸 もしもサポートしていただけたら、 辛い思いをしているカサンドラさんの心休まる場所を作りたいな𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣