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正直に、話しているだけ。これからもずっと

ここでは、正直に、話しているだけです。先月末に調布で観た『花恋(花束みたいな恋をした)』について書きたいけど、とりあえず、今日街を歩きながら自転車で走りながら考えたことについての文章。雑な文章。

府中に引っ越してきて2週間と少し。バスで15分、自転車で20分のところにある国分寺へきてみた。思ったよりも大きかった。いい店にも出会えたし、天気も良かったし。花粉は飛んでたけど、いい休日だった。

キャッチボールができる相手に出会うのは時の運

何か特定のジャンルを「語る」ことはあまりしたくないと個人的には思っている。なんか知ったかぶっているみたい。かれこれこの13年パフュームは好きだけど、それを自白して「じゃあ、テクノポップとかが好きなんだね」とか言われると「好きだけど、そうじゃないんだよね」と心の中で思ってしまう(生きてきた約半分以前が中学生だったことに驚きを禁じ得ない)。

誠実で、妥当で、無駄のない会話のキャッチボールができた後に、パフュームがいるテクノポップの領域でも「こんなのは好き」だとか「あんなのはちょっと違うと思っている」だとか、少しこった話ができると思っている。だけどそこにたどり着くには、結構時間もかかるし労力も要る。もっと言ってしまえばそんなキャッチボールができる相手と出会うのは時の運でもある。そのカテゴリーに対して興味関心を持ってくれるかどうか。それなりに話題に対する引き出しと引き出しに適切な中身があるかどうか、がワカンナイ。

だからこそ、好きな趣味が一致し、また、話が盛り上がってその先(どの先?)へ発展するのは、ものすごく稀なことであるし、人が誕生するくらい奇跡的なことなんだと思っている。あー、「花束みたいな恋をした」についてしっかり書きたいけれど、今回は我慢。

タダ乗りのような形で利益を享受している分際でできること

で、ジャンル語りへの嫌悪について話を戻す。過去にこんなことがあった。新卒で入った会社の飲み会である部長に好きな音楽ジャンルを問われ「ジャズが好き」と(つい口を滑らせて)馬鹿正直に答えたらその質問者に「あらい君、渋いねえ」といわれた。
素直にそう言ったであろう節もあるし、同時に周りを煽り立てるようないじる感じもあった。きっと悪気はないのだと踏んでいるけれど、その後はどうも話しづらくなって、それ以降好きな●●(ジャンル)に関する質問へは必要以上に警戒するし答えにくくなった。ジャズも好きだしジャズらしいのも好きだ。ジャズっぽいけど、その主流のジャズを外れた音楽だって好きなのだ。

僕は音楽やその領域を学問として学んでいないし、特に芸を持っているわけでもない。インターネットでいう「ROM専」なのであって、作品や大衆向けコンテンツをフリーライドしているモノなのだ(言葉は悪いけれど、事実タダ乗りのような形で利益を享受)している。

好きなカテゴリーを訊かれた際に僕ができることは、それっぽい音楽ジャンルや特定のアーティストについてつよく興味を持っており、好きだと表明するほかない。訊いた相手には領域やアーティストについて知って欲しいのではなく、ただただ無難な相槌を打って欲しい。あえて言うけれど、質問するからにはその先の着地を予想して、回答者が傷を負わないように対応して欲しい。かの部長を糾弾したいわけではない。ただ、往往にして見られるこういった意見の顛末は、自分さえも無意識的に「その部長のような人間になってしまうる」ということを自覚しなければならない、ということでした。話がそれたし、長くなった。

「オルタナ」は映画館でコトが始められる前に流れる儀式的な音楽

ところで、音楽の「オルタナティブ」って何なのだ? それを考えるのに今日は半日を費やした。「オルタナみたいな」音楽を認知し始めたのは、中学1年生くらいだったか。映画館で、予告や館内注意アナウンスが始められる前に、すごくすごーく小さい音で流れていた音楽だったと記憶している。楽しみな映画をホクホクした気持ちで待ちながら訊いていて心地よいなと思った。それ以降、僕の中で「オルタナ」は映画館でことが始められる前に流される儀式的な音楽と認識していた。

僕は学生になりレッド·ホット·チリペッパーを聴いた時に後頭部あたりがビリビリとした。『デスノート』の『ダニー・カリフォルニア』は「デスノート!!」って感じがして明確に違うと言えるけれど、『バイ・ザ・ウェイ』とか『スカー・ティッシュ』とか『スノー』を聴いた時、あの時これが流れていたんじゃないか、とさえ思ったものだった。といってもその映画館やあるいは配給会社特有のしかけだったかもしれなかった。それ以来出会えていないし、なんならその映画館は僕が生まれた山形県にあり、検証なんかもできない。

オルタナとは、定義がしづらいなと思っていた。
アップル・ミュージック(以降、AMと書く)で僕はパーソナルなプレイリストをR&B、ジャズ、クラシック、シティポップ、アップテンポ(クラブミュージック多め)と分けているのだけど、「オルタナ」はヒップホップでもないし、アップテンポなクラブミュージックって領域には分類できない。じゃあなんなのか、とおおよそはしかたなしに、シティポップかR&Bへ、よそっていた。

だけどビリー・アイリッシュの「バッド・ガイ(bud gay)」がAMにおいて「オルタナのオススメプレイリスト」にしぜんに入っていて納得した。ああ、そっか。って。このなんとも言えない感じ。これがオルタナなのか、って。と、ここであえて「オルタナとは?」とウエブで調べてみた。ぼんやりする概念やことばは、辞書的定義を調べてみたほうがいいよね。

【オルタナティブ・ミュージック (alternative music)】
 ーーーーとは、現在の商業的な音楽や流行音楽とは一線を引き、時代の流れに捕われない普遍的なものを追い求める精神や、前衛的でアンダーグラウンドな精神を持つ音楽シーンのことである。しばしばロックの一ジャンルとして思われがちであるが、厳密にはジャンルではない。
 オルタナティブ・ミュージックとは、ポップ・ミュージックの対義語として使用できるが、時代の流れやある種のメディアなどによって過剰に取り沙汰され、メインストリーム、いわゆる、ポップ・ミュージックになってしまうこともある。
 その場合、オルタナティブ・ミュージックではないと言える。このどちらか一方が上がっているとき、どちらかは下がっていて、それらが常に入れ替わりながら続いていく関係というのは、美術の概念でいう「現代美術」と「前衛美術」の関係に非常に類似している点がある。

「この曲さ〜、他にはない世界観を作ろうとしてるよね〜」

うーん。薄々わかっていたけど、まぁまぁ腑に落ちた。大学の時に社会学の端っこをかじっていたのだけど、その時もよく「オルタナティブ、オルタナティブ」とことばが交わされていた。

そこではある制度などが作られた社会とは別で、たとえば「作られなかった世界線」を考え、そこで「どんなことが起こり得たかなどを想像すること」であった。「代替案」とも訳されますよね。パラレルワールドとはちょっと意味合いが違うけど、もっと身近に感じるたとえは、えーと・・・。「私とあなた、もし出会っていなければこの子供もいなかった・・・」というかんじ? 出会いがなければ、そこに子供はない。ちがうかな。

学問の領域では、過去・現実の事実はありながらも、それとは別に「ありえたかもしれない社会を想像しよう」といった。社会学的想像力( sociological imagenation ) 無くして、自分ではない他者の関係性をみることはできないから、とプロフェッサーはよく口にした。

話を音楽に戻すとオルタナとは、ジャンルではない。「この曲さ〜、他にはない世界観を作ろうとしてるよね〜」と言ったふわっとしているものだと読み取れるのだった。ジャンルってそんな感じでいいじゃない。だって音楽家は、格闘家がきっちりと決められた階級の体重に体を絞るように、⚫︎⚫︎のジャンルの音楽を作ろう!ってならないですよね。

ちょっとスッキリしたので、オルタナティブのプレイリストを作って、いそいそと曲を突っ込んでいる。便利な世の中になった。いや〜、なっている。


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