小説・成熟までの呟き 47歳・1

題名:「47歳・1」
 2037年5月10日、美穂は47歳になった。その頃、大尾島の対岸である高梅市で、食育に関するセミナーが行われることになり、美穂と夫の康太はオリーブ生産者として携わるために現地へ向かった。その場では親友の結衣とその夫が市在住の洋菓子担当者として現れていた。美穂達は、結衣の夫について着なることを聞いてみた。美穂が、「なんで洋菓子を作ろうと思ったのですか?」と質問して、話は始まった。結衣の夫の名前は、修治という。首都圏出身で、周りは都会だったためか、幼い頃からいろいろな洋菓子に触れる機会があり、次第に自分も甘いものを作りたいと思うようになったという。製菓学校を卒業後、首都圏にある洋菓子店に就職した。社員が30人ぐらいいて、入社した当初は賑わっていた。しかし5年後、業績不振で社員は一斉に解雇された。「社会に出てからずっとやってきた仕事だったので、ある程度の誇りは持っていた。だから解雇されたこと自体が信じられなかった。1番信用していた人に裏切られたんだ・・。人生をやめたいとすら思った時もあった。そんな悶々としていた時、テレビで過去の映画を紹介する番組の中で僕が昔見た映画が出ていたんだ。その映画は高校生の恋愛の物語で、当時はドキドキしていた。その舞台はとても豊かな自然である海だったんだ。それで気になって調べてみたら、舞台はここ高梅市だったんだ。」修治は、首都圏から飛行機で高梅空港に向かった。その空港は映画にも登場していた。空港からバスに乗り北へ向かうと、市街地に到着した。中心部には船が多く行き交う港があり、赤いガラス張りの灯台が目立つ存在だった。到着した翌日、修治はバスで映画が撮影された場所へ行くために、東へ向かった。その場所は元々違う町だったのだが、合併により高梅市に編集された。着くと、市街地とは違った静かな雰囲気だった。海は穏やかな動きをしていて、修治が何度か見た首都圏の海の動きとは大きく異なっていた。散策していると、多様な柑橘類の木や、釣りを楽しむ人々の姿を見た。少し歩くと、牛がいた。修治が浴びた太陽の光は、優しかった。修治の気持ちは明るくなっていった。「僕、ここで暮らしたいなあ。」と思うようになった。しかし自分がどのようにして生きていけばいいのかはわからなかった。後日調べてみると、高梅市が県外からの移住者に対して新たな事業を始めることを資金面で後押しする取り組みを知った。誰かに雇われて切り捨てられたと思っていた修治は、一念発起して洋菓子店を開くことを決めた。高梅市の豊かな自然に育まれた食料を活かせれば、きっと前にいた所よりも質の面で優れた洋菓子が作れると思ったのである。こうして単身で高梅市に渡った修治だが、洋菓子店を開業した当初は自分はよそ者だからという意識や、他の同業者と何が違うのかがわからず悩んでいた。「だから店頭に「首都圏出身」なんて記載していたんだ。それが一種のブランドになって気になってきてくれるお客さんはいたんだけど・・。今思えばおかしなことを書いていたなあ。」と言った。すると妻の結衣は、「でもそのおかげで私は修治の店に入ってみたくなって、出会ったんだよ。だから修治のしていたことは、私達にとっては不可欠なことだったんだよ。」と言った。修治は「ありがとう。でも結衣と一緒になってから、どのような洋菓子が多く食べられるかということなのかを話してくれていろいろなお客さんに来てもらえるようになったんだ。すると、自分のしてきたことに自信が持てるようになっていった。そして、やっと心の底から高梅市に移住してよかったと思えるようになったんだ。」と言った。結衣はお嬢様育ちのため、幼い頃から修治以上に洋菓子に親しんでいた。話を聞き、美穂と康太は納得した。セミナーでは、修治は子供に野菜を食べてもらうきっかけにするために、野菜を使ったケーキを提案した。ホイップクリームを使わなくても、野菜の素材だけで甘さを感じられるケーキを作れるという。「甘い野菜ができるということは、それほど高梅市の自然環境が良いっていうことです。皆さんも高梅市で育まれる自然の恵みに感謝しながら食事をしてください。」と述べた。美穂にとっては、充実した時間になった。

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