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『イクメンの罠』を読みました

 『イクメンの罠』(榎本博明・著 新潮文庫)を読みました。
 「イクメン」という言葉が定着して久しい(言葉自体は下火な気がします)ですが、男性の積極的な子育て参加が盛んに訴えられ、実際にそういった風潮が作り上げられてきた中で、その背景や問題点を読み解く…といった内容の本です。

 おおまかな構成としては、イクメンのブーム・義務化への疑問、父性と母性について、小学生の暴力増加と父親の役割の関連について、昔の日本の子育て、父親の関わりから現在までの変遷、「イクメン」から「父親」になるための心構え…といった流れになっています。


 本書の内容の理解を深めるにあたって特に重要なのは、ユング心理学における「父性」と「母性」の話です。第2章で詳しく紹介されていますが、ざっくりと書くと以下のようになります。

 「母性」は無条件の愛で、子を優しく保護し受容する一方、親から離れないように束縛し、自立を阻む性質を持っている。
 「父性」は条件付きの愛で、義務や能力などの条件をクリアした場合に与えられ、子に社会性を持たせ自立を促す一方、厳しすぎると心を破壊する恐れのある性質を持っている。

 父性と母性は、男だから父性、女だから母性…という話ではなく、誰もがその両方を備えています。概念としては対立するものですから、両方が同時に増えたり強くなったりということはなく、どちらかが強くなればどちらかが弱くなるといった性質です。夫婦それぞれの性格や、子の特性、年齢によって、このバランスを調整するのが望ましいとされます。

 本書の大きなテーマ、およそ3歳を過ぎたら”イクメン”から”父親”になる…これはつまり母性から父性への切り替えを意味します。今はこれがうまくいっていないのではないかということが問題提起されています。

 生まれてくる子どもの発達で言うと、まず最初に必要なのが母性、その後に遅れて必要になってくるのが父性です。
 肉体的な負担を負う妻をサポートしつつ育児をする”イクメン”に最初に求められるものは、母親と同様に子に無条件の愛を注ぐ「母性」であり、なるべき像は「母性的な父親」なのです。
 そのきっかけ作りとも言える「イクメン現象」ですが、「同じ家に母親が2人いる」状態を作り出しかねず、これは父親としての覚醒を促すというより役割の被る夫婦間の摩擦を生むといった負の面もあると書かれています。

 子どもはその成長に伴い、しつけ、ルール、マナーなど社会性を身に着けるため、徐々に父性的な厳しさを突きつけることが必要な場面が出てきます。しかし、そう振舞える親は昔に比べて減っており、ときに父性と虐待とを同一視してしまい、それが小学生の暴力事件(衝動を抑えるように育てられていない)や、モンスターペアレンツ、過保護・過干渉によって自立出来ない成人(友達親子)の増加につながっているのではないかという著者の見解が示されています。


 第4章では、昔の日本社会での父親と子どもの関わりや海外との比較が書かれています。国が豊かになると共にサラリーマンと専業主婦という形の家庭が増えてきましたが、昭和の高度成長期の頃までは今ほどサラリーマンが多くなく、自営業が多かったため生活の中で自然に子どもと関わる父親が多かったといいます。さらに時代を遡って江戸時代では、息子は男親が、娘は女親が主となってそれぞれの教育を担当していたといいます。

 江戸時代の育児指南書には「最近の親は子に甘すぎる」という旨のことが書かれていたそうです。いつの時代も似たことなのか…と思わされますが、当時、日本を訪れた西洋人が子どもの様子や親子関係を見て驚いたという記録が残っているのだそうです。曰く、その頃の西洋では子どもは鞭や体罰などの折檻で強くしつけていたのに対し、日本は「言って聞かせる教育」をしていたことに感心したとのことです。実際には体罰の類が全く無かったわけではないのでしょうが、西洋の国々と比較して穏やかな関係を築けていたのだろうと想像できます。

 このような記録から導かれているのが、元来の国民的気質として、日本人は諸外国よりも母性が強いのではないかという考えです。親は共に子どもに甘くなってしまいがちであると。そして元々弱い父性を補うのが世間の目、恥の文化であったといいます。この読み解き方は面白いなと思いました。

 日本は何かにつけて西欧諸国に対して「遅れている」などと言われており育児や教育も例外ではありませんが、昔から厳しく、今も小中学生が留年して置いていかれるような厳しい父性の働く外国の自己責任社会を背景にした「ほめて育てる」「ありのままの個人主義」を、その上澄みだけ拾って直輸入するのは危険だと著者は書いています。私も賛同するところです。こういった肯定と受容は母性的な態度だと言えますが、もし日本人が母性優勢な気質を備えているのだとしたら、この掛け合わせはバランスを欠いたものだと言えます。隣の芝は青く見えるものです。


 私は教育に関して「ああすればこうなるだろう(ああしないからこうならない)」という話は眉唾、話半分に見ているので、この本に書かれている内容でも疑わしいなとかそれはどうかなと思った点はありました。しかし大きなテーマとして据えられている「父性の不在」は常々感じているところです。というより「母性」が強すぎると言ったら良いのか。そしてそれは現在ますます進んでいると思うのです。
 家庭に限らず、学校や社会全体を包む空気としてそう感じます。かつて自分が育ってきた環境ひいては時代についても当てはまります。これはおそらく私が絵の題材にしている「ペット」とも繋がってくる話なのでしょう。

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