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日本AIによる特有の進化圧

人が絵を描くということはこれからどうなっていくのだろうか。

AIの画像生成をいくらか触ってきて思うAI画像生成のいいところは、おおむね欲しい画像が作れるところと、情報量を盛り盛りにできること。今のところはこの2点。

AIが生成した画像には「絵から伝わる作り手の苦労や工夫」といった物語性が無いと思っていましたが、やってみるとそんなことはなかったです。「そういう画像になるよね」とか「そこはどうやったのだろう」といったことは画像から読み取れるのです。

さて、人の描く絵はこれからどうなるのか。
言語化できない領分を受け持つようになるのかも?と考えます。言葉にできるならAIにやらせた方が早いのですから、人間はそれ以外の領域で絵を描くのでしょう。言葉にできない、それを表現する言葉がない、具体的な言葉で説明することができない、そういうものは人間に描かせた方が早そうです。

あとは、倫理上や規則上において作成することがはばかられるもの。平たく言ってしまえばエロ画像です。いまのところ、AI画像生成で作ったとされるエロ画像があるようですが、これはそのうちできなくなるでしょう。欧米企業は自分たちの「清潔さ」を捨てられないからです。だから、欧米では、エロ画像は人が作成するものでありつづけるでしょう。

日本は、エロ画像をAIでつくってもよし、人が描いてもよし、となるのでは?日本の文化における「清潔さ」は、欧米とは異なりますから。そうなると、エロ画像における進化圧は日本の方が高くなることが予想されます。日本ではエロ画像の分野でも「AIにできないことはなんだろう」ということを考えなくてはならないからです。

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