見出し画像

(非)日常

現在日時:2020年4月某日
東京の山奥にひっそりと建つ、比較的綺麗な病院の4階がそのときのわたしの世界のすべてだった。

小中学生の子どもたちが入院する児童精神科病棟ではスマホが使えず、テレビも限られた時間しか見られないため外の情報がほとんど入ってこない。
外ではコロナウイルス?という感染症が流行っていて、外ではすれ違う人全員がマスクを着けているらしい。

この病院の4階以外の世界で起こること全てに当事者意識が持てず、誰も何も変わらないままカレンダーの日付だけが進んでいくことに焦りを感じながらも、もしかすると時間は何も進んでいなくて、目が覚めれば入院する前日に戻っていて、季節はまだ春になっていなくて、毎日朝起きて、普通に学校に行っているのではないかと、そんな理想の「日常」を、想像することがある。
もちろん現実はそんなことはなくて、わたしがここに閉じ込められ空白なまま終わった4ヶ月も、あと何ヶ月続くのかわからない生活をしている間にも、時間はただしく進んでいって、いつか本当にただしい世界に戻ったときに、その空白を埋めることは容易ではないことを、14歳のわたしは理解していた。
それでもそういうことを考えてしまう時間が日に日に増えていること、1週間に1回それを考えていたのが3日に1回になり、やがて毎朝起きた時には常にそのことを感じながら目覚めることに、わたしはうまく言葉にできない感情を抱えていた。

入院生活も4ヶ月目に突入し病棟内ではそこそこ古参だけど権力はそれほど無いどころか、同い年には舐められているため年下の女の子たちと裏紙にコピックで絵を描いて過ごす。
そんな日々を、もう何日繰り返しただろうか?
たくさんの服や本が散乱した病室の机の隅から、白い国語辞典を取り出す。
ペラペラと辞書をめくればすぐに「日常」という二字熟語についての記載は見つかった。

【日常】つねひごろ ふだん

わたしは「日常」という単語に対して、どこにでもあるような変わり映えのない当たり前の日々——例えば毎朝7時に起きて朝食を食べて学校に行くといったような、どこの家庭でもあるようなありきたりな平和な日々、みたいな感じのイメージを持っていた。
しかしこの白い国語辞典の記載を信じるならば、日常という二字熟語は、当人にとって「つねひごろ ふだん」に当てはまる状況であれば、例えそれがどんなに狂った状況であろうと使っていいらしい。
だから今わたしが置かれているような、腰にたくさんの鍵をジャラジャラ付けた看護師がお母さんの代わりに毎朝起こしにきたり、昨日まで元気で一緒に遊んでいた友達が急に暴れて身体拘束されたりしようが、それがわたしにとっての「つねひごろ ふだん」であれば、この日々は「日常」と言えるらしい。
だからこれは、わたしの日常の物語。

8:00

配膳車に乗った病院食が毎朝8時に病棟に届くので、それに合わせて起床する。
ちなみに夕食は18時に食べるので、12時間以上食事の間隔が空いていることになる。
早く起きても空腹を耐えなければならないし特段やることもないという理由から、わたしは入院して2ヶ月経たずに朝起きれなくなっていた。
この日も看護師に促され渋々起床し、既に周囲が朝食を食べ始めている中空いているテーブルに向かって食事を食べる。
朝食は食パン2枚と牛乳を基本に日替わりで卵焼きやサラダなどの副菜が付くが、わたしは食パンと牛乳があまり好きではないため200gの米飯とリンゴジュースを選択していた。
月1回学校の給食で出るようなジュースが毎朝出てくるため初めのうちは嬉しかったが、1週間もするとリンゴジュースにも飽きて朝食時に飲まず居室に持ち込み日中に飲んだり、日中に飲むのも飽きてそのまま机の隅に放置を繰り返して一時期はリンゴジュースを10本以上溜め込んだこともあった。(後日看護師が発見し無事没収処分された)

9:00

平日の病棟では、午前中に所謂作業療法的なものを実施している。
曜日によって学習、工作、スポーツなど内容が毎回変化するシステムだった。
普段は看護師から1日5枚までしか貰えない折り紙が作業療法中はなんと無制限で貰えるため、枚数のかかる30枚ユニットなんかはこの時間に折っていた。
しかし入院が長期化するとこういった作業療法なんかも同じ内容の繰り返しだったりで飽きてしまうため、その日は工作レクの行われているホールからは離れた病室エリアで長期入院患者を集めてトランプで大富豪をしていた。
わたしは入院まで不登校でネット依存とトランプに縁のない生活をしていたので、ポーカーやブラックジャック、大富豪などの定番ゲームはすべて閉鎖病棟で覚えた。
中でも病棟内では大富豪がずっとブームで、看護師に内緒でこっそりお菓子を賭けて遊ぶとかなり盛り上がる。
でも大富豪にはローカルルールが結構あって、わたしの知っている閉鎖病棟独自ルールの大富豪はこちらの世界ではほとんど通用しないことを退院した後になって知った。

10:00

平日は週に5コマほど、午前か午後のどこかの時間に個別で「授業」と呼ばれる院内学級に行くことがある。
中学生は国数英の3教科だけどテストもあり、受験に使える内申も付く。
当時は国立高専を受験したくて割と真面目に勉強していて、院内学級では習わない理科社会も家から教科書とワークを取り寄せて独学していたので、あのまま受験時まで入院していたらどうなっていたのか今でも少し想像してしまう。

12:00

12時になると配膳車に乗った病院食が届く。
わたしは病院のご飯を美味しいと思って食べていたのだが、ある日入院してきた金髪の男子小学生が別の男子小学生に「ここの飯美味しいとか今まで本当に美味しい物食べたことないのか?」みたいな喧嘩を売っていたので舌が肥えると色々大変だなあと思って見ていた。
また、長期入院していると大体3週間くらいで病院食のメニューが一通り1週していることに気付いてくる。
そろそろ食べたいと思っていたメニューが毎週日曜日にホールに張り出される献立表に記載されているとちょっと嬉しい。

13:00

ご飯を食べ終わるとこの時間は大抵暇なので、授業や入浴などの特別な予定がなければ部屋で昼寝をするか患者同士で遊ぶかの二択となる。
この日は何故かわたしのことを「先輩!」と呼んでくる1つ年下の男子と将棋をした。確か長期戦の末負けたと記憶している。
後日談だが、この日から1年ほど経った日に外来でその子らしき子を見たことがある。
背が伸びていて声変わりしていて、学校帰りなのか制服を着ていた。
わたしのことなんて多分憶えてないから声はかけなかったけど、ちゃんと退院して学校に行っていてすごいと思った。

14:00

平日は大抵14時から午後の作業療法がある。
この日はスポーツレクがあり、病棟の入り口である鍵のかかった扉の外に出て少し歩いた先にある体育館で運動する予定だった。
入院したばかりの頃は毎回参加していたが、段々と真面目に参加する意味を見出せなくなっていてこの日も参加しなかった。
作業療法に参加しない場合は病室に戻り1人で過ごさなければいけないので、(つまり午前中の工作をサボって大富豪をするのは本当は違法)大抵は病室に戻り昼寝をすれば過ぎ去る時間だった。

15:30

15時半から17時半まではナースステーションで預かられている3DSや病院にあるボロボロのWiiを使ってゲームをすることができる。
小学生時代ゲームを1日30分しかやらせてもらえなかったわたしは病院で1日2時間もゲームができることに驚いたが、中学生になった今更オフラインでどうぶつの森を2時間やっても何も面白くなかったため結局この時間もゲームをしない患者を集めて絵を描いたり病室に引きこもって小説を読んだりしていた。
この時間の間に日勤の看護師と夜勤の看護師が入れ替わり、子どもたち1人ひとりに挨拶に来ていた。
仕事を終え家に帰る看護師を病棟の入り口の鍵のかかる扉越しに見送りながら、この狭い世界の外に出られることを羨ましく思っていた。

17:00

医者の許可がある人は限られた時間院内の売店に行くことができ、そこでお菓子や文房具を購入することができるため、入院していてもお金はあればあるだけ嬉しかった。
ボールペンで日記を書く際に間違えた箇所を消すための修正テープが欲しかったけどお金が無かったわたしは一時期、お金のある患者に1発100円で殴られる「殴られ屋」で生計を立てていた事がある。
全盛期は1日で10発殴られて1000円稼いだこともあり、売店でおやつカルパスを箱ごと買っていた。
17時代のエピソードとしてはこれくらいしか特出したものがない…

18:00

18時になると夕食が運ばれてくる。
わたしは朝と昼は米飯を食べているが、病院食でうどんを選択できると聞いてからは夜はうどんを食べていた。しかしうどんの場合、唯一夜についてくる味噌汁が麺汁になるため飲めないのが残念。
また、夕食を食べる前のタイミングで隔離や自室安静指示(さまざまな理由で病室で1人で過ごすこと 隔離の場合は外から鍵がかけられ物理的に閉じ込められる)のため看護師に連れられ消えていく子が数人おり、夕食時は昼食と比べると少し寂しい空気だった。

19:00

病室のあるエリアは男子と女子で分けていて、19時を過ぎるとそれぞれのエリアの中心にある扉が閉められ、男女で交流することができなくなる。
理由はわからないが大人の事情(患者同士の性行為防止とか?)があるらしい。
全盛期は病棟内でカップルが3組発生していて、恋人持ちが男女間の扉の前に集まって隙間でお互いのエリアを覗きながら会話していた。

20:00

就寝前薬がある人は20時に服薬がある。
その後はホールでテレビを見たりトランプで遊んだり、病室で読書や勉強など静かに過ごすこともあった。
わたしは音楽プレイヤーでラジオを聴くことにハマり、土曜日か日曜日にやっていたVtuberにじさんじのリゼ・ヘレエスタちゃんと鈴原るるちゃんのラジオを毎週楽しみに聴いていた。
インターネットを使えていた頃もVtuberは殆ど見ておらずリゼ様とるるちゃんがどんなアバターで配信しているのかなんて知らないが、インターネットの世界を懐かしみながらまだ見たことのない2人の姿を想像して絵を描いた。雰囲気だけ似ていた。

21:00

病棟の夜は早く、21時に消灯する。
これ以上起きていても楽しいことなどないし、早く寝てカレンダーの日付を明日に進めたかったので消灯後はすぐに寝ていた。テンションとしては寝逃げに近い。
明日になったところで生活は続いていき、それに意味などないのだけど。

??:??

これが、そのときのわたしの日常。
8時に起きてから21時に眠るまでの流れを3000文字くらいの文字を並べて書いたけど、21時に眠ったわたしは次の瞬間には8時に戻っていて、再び21時まで同じことを繰り返して眠ってもまた8時に戻る。
これが2020年の春なら、わたしはそれからあと4ヶ月も同じ生活を繰り返すことになるが、この時のわたしはそれを知らない。
もし当時の、ただ繰り返されるだけの生活をしている14歳のわたしがこの生活が終わる日を知れたら、寝る前に残りの日数を数えて希望を持つだろうか。
それとも、少なくともあと100日は続く「日常」に絶望するだろうか。
———

思い出しながら書いていたら鬱になってきたし、視線をパソコンから一度逸らせばわたしはあの病室にいて、今はまだ2020年の春で、時間なんてあれから1秒も進んでいないのではないか。
そんな恐怖まで感じてしまう。
結局最後は病院から1000km以上離れた場所に失踪して脱走したことで"日常"を強制的に終わらせて本当の世界に戻ってきた訳だけど、それはまた別の話として書けたらいいな。

退院した後から今日までで2年以上の時が流れる間にもそろそこに色々あったけど、繰り返される変わらない日々の苦しみとか、当たり前の世界から自分だけが取り残されている感覚とかをあの時以上に感じたことはなかった。
でも終わりのわからない、永遠という名の苦しみをわたしはよく知っているから、昨日と言われても違和感の無いような1日とか、進路が決まらず先が見えない日々が数日続くだけでも不安に駆られて狂いそうになってしまう。
別に特にあの頃を思い出さなくても、体が勝手に脊髄反射のように、日々が日常化することを拒絶している。
いつ終わるのかわからない生活が続くと、それが永遠に続き逃げられないと錯覚するようになった。
嫌なことがあっても続けていれば慣れて楽になるはずなのに、続ける努力をせずに「日常」を強制的に終わらせるようになった。
1年で3回も仕事を辞めて転々としている原因の1つが、あの数ヶ月の間に繰り返された日常化した非日常に対する恐怖の中にあるのだと、最近また1つの「日常」を終わらせたわたしはやっと気づいた。
この現象に名前をつけるなら、日常アレルギーとでも呼んでやろうか。
きっとステロイドや抗生物質では治らない、でも治さないといけない病なのだろう。

———

現在日時:2020年4月某日
病室の窓から散りかけた桜の木を見ながら、「14歳からの哲学入門」を読んでいた。ポプテピピックのキャラクターが表紙に描かれており、入院前に買ったものの読まずに積んでいたものだ。
外の風を感じることのできないわたしにも風の強さを伝えるかのように宙に舞うピンク色の花びらを見て、大好きな桜に直接触れることのできない世界で暮らしている現実を改めて突きつけられて少し悲しくなりながら手元にある本に視線を戻した。

哲学者ニーチェに関する記述を読み進めていると、「永劫回帰」という思想があった。

「永劫」は、無限に続く長い年月。 「回帰」は、一周して元のところへかえること。

まるで今のわたしの生活じゃないかと、病室の中でわたしは笑った。
もしもわたしが病院から出られて今の「日常」が終わったとしても、また新しい「日常」が始まり、どんなに毎日違う生活をしようと、寝て起きれば朝が来るとか、そういう基本的なところはずっと変わらずに続いていくことに気づいた。
入院生活が始まってからずっと、病棟内と外の世界では常識も価値観も全てが違って、段々と外の世界から自分がズレていくのが怖かった。
でも「永劫回帰」のように、自分がどんなに世界から遠く離れてしまっても、決して変わらない部分があることを知ってからは、少しだけ不安が軽くなった気がした。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

524,761件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?