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施設の友達が大人になれずに死んだ

死について考える時間が長くなっているときの自分は、生きることから気持ちが離れているんだと思う。
頭ではそれをわかっているのに、もう更新されないあの子のSNSをリロードし続ける時間がある。

わたしは施設で出会った友達の多くを下に見ていた。
(今思えばわたしも向こうも友達とすら思っていなかったのかもしれないけど、それでも"友達"だったのだろう)
みんな語彙が少なくて、お金の計算ができなくて、感情で行動して破滅していた。
人間関係をしょっちゅうリセットするので、彼氏は週替わりだし今夜の寝落ち相手の男を捨て垢で探すし、施設管理のバイトの給料が足りなくなったら売春で足していた。
税金で生活している立場なのに、お金持ち(アイドル・歌い手・配信者etc…)にお金をあげていて意味がわからなかった。
要は頭が悪かった。みんな高校中退だったけど、逆に中学にどうやって通っていたのか義務教育をほとんど受けなかったわたしは想像できなかった。
そうなってしまうのはもちろんその子達だけの責任ではない、ということは実態を見ているからもちろん分かっているし、支援者になって今後児童福祉に関わりたいとは思えないから(苦しいので)理想論の言及もすべきではないと思っている。

前置きはこれくらいにして、そんな施設の中でも1人だけ、個人的にリスペクトを持っていた友達がいた。ここではYちゃんと呼ぶことにする。
Yちゃんは当時年上ばかりだった施設の中では珍しく学年的には1つ年下で、15歳の春を高校に入らぬまま児童相談所で迎えて施設にやってきた。
そのときのわたしは施設内で人間関係を全く作らず、毎日フルタイムのバイトと施設の往復を繰り返し休日はインターネットの人と会う生活を送っていた。
だから隣の部屋に新しく入ってきたYちゃんとは始めの自己紹介をしたきり、ほとんど関わりがなかった。

Yちゃんを含め施設内でわたしが"友達"と関わり始めたのは、バイトと施設の往復に嫌気が差し無断外泊からの閉鎖病棟入院を経て、帰る場所がないので施設に出戻った直後からだった。
(↓当時のnote)

無断外泊から児童相談所と閉鎖病棟を経由して施設に戻るまでの期間は2ヶ月も無かったはずだけど、成人年齢変更の直後だったこともあって施設内のメンバーは半分くらいが入れ替わり、同い年や年下も増えていた。
バイトもほぼバックれる形で辞めて施設内で自由もインターネットもなく退屈だったため、既にYちゃんを筆頭にグループ化していた、わたしが居なかった期間で施設に来た子たちと絡むようになっていた。

冒頭に書いたように、施設で人間関係をやるようになってからのわたしはYちゃん以外の子を下に見ていた。
その中で、側から見ればわたしだってほとんど変わらないことは置いておいても、なぜYちゃんだけをリスペクトというか特別視というか、来世はこれになりたいという理想まで持ってしまったのか、はっきりとした理由がわからない。
言葉でnoteをやっていきたい身としては言語化するべきなんだけど、言葉で表せない魅力こそが、Yちゃんの持っているカリスマ性だったのかもしれない。

そういった想いをYちゃんに抱えながら、施設での日々は過ぎていった。
仲間割れしてくっついてを週1のスパンでやったり、六畳の狭い一人部屋に深夜こっそり4人集まって寝たり、だれかが酒に酔って帰ってきたりと全く平和ではなかったし、当時は楽しいと思ったことの方が少なかったけど、それがすべてたった3ヶ月の間で起こった出来事とは思えないほど濃い時間だった。

最終的にわたしを除いたYちゃんたちグループのメンバー全員は、各々限界が来たタイミングで無断外泊をして、施設から居なくなってしまった。
ほとんどの子が警察に補導され、別の施設に行ったり実家に戻ったりして、施設に帰ってくることはなかった。
運良く補導されることがなかった子も、歌舞伎町や大阪にある繁華街の違法店で働いていたりと、一見施設にいるよりも厳しい生活をしているようだった。
生活はバラバラになってもみんなインスタのストーリーで暮らしぶりを投稿していたから、あまり離れ離れになった感覚はなかった。
その後わたしが施設を出てからもSNSでの交流は続いていたし、見下していた子たちから深夜突然電話がかかってきてメンケアなんかも日常茶飯事だった。

施設を出てからのYちゃんは、しばらくホテルや知り合いの家での居候を繰り返した後に警察に補導され、数ヶ月の児童相談所暮らしを経て東京郊外の実家に戻っていた。
基本的に1日に何度もストーリーを投稿するYちゃんだけど、その更新が突然数ヶ月途絶えることがあった。
Yちゃんは実家に戻ってからも、親と揉めただとか深夜徘徊だとかで2、3回児童相談所に入っていた。
Yちゃんのインスタが更新されなくなった時は彼女の身に何かあった時で、時間が経てば必ず戻ってくるという認識が、わたしの中でいつのまにかできていた。

Yちゃんが施設を出てから実際に会ったことは一度もなかった。
それはそもそもわたしのフットワークが重いことが問題で、Yちゃんに限った話ではなかったのだけど。
施設を出て、一緒に暮らしていた頃よりは確実に"友達"との距離感が離れていくことを感じながらも、わたしはわたしで新しい生活が忙しかったので、周囲からのメンヘラDMや深夜に突然かかってくる電話を適当に受け流していた時期があった。
施設にいた時からYちゃんはわたしに大きな影響を与えていたけど、それから1年以上経った今でもわたしが意識してしまうのは、その頃に一度だけYちゃんから一緒に心中してほしいとDMが来たからだと思う。

タイトルにもあるように、最終的にYちゃんは一人で死んだ。
別にそれはわたしがYちゃんからの心中の誘いを、もしくは Yちゃんからの"友達"としてのSOSだったのかもしれない何かを、見下している他の友達と同じように軽くあしらってしまったからではない。
わたしはYちゃんのことを尊敬していたけど、Yちゃんにとってわたしはたった数ヶ月の施設暮らしでの"知り合い"に過ぎなかったはずで、他の子がわたしを簡単に頼るのと同じように、わたしなら道連れにできるんじゃないかと、要は舐められていたことも分かっていた(ちょうど松戸でJK2人が心中したニュースが話題になっていた時期だったし)

わたしはYちゃんの訃報を聞いたあとでも変わらず、Yちゃんのことを尊敬している。
わたしには無いものを持っていたYちゃんがこの世界からいなくなった後も、他の死にたい"友達"たちは今日も腕を切りながらも生きている。
わたしがYちゃんに抱いていた、言語化できないカリスマ性は、Yちゃんが持っていた"死ぬ覚悟"だったのかもしれない。

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