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「考える力」を育むって本当に大切??(3)


今回も前回に引き続き、「他者比較」が良いのか悪いのかについて考えてみます。前回は、「比較」した時のじぶんの中で感じる「感覚」について考えましたが、今回は、

「比較」から生まれる「競争」」と「「比較」から生まれる「切磋琢磨」」の観点から考えます。

※この記事は、「考える力」を育む時に、無意識に誰かと比較するクセがつくことで、時に「他者よりも優れる必要がある」という暗黙のメッセージのようなものを無意識的に刷り込んでしまう事もあるのではという自分の問題意識から、今回も前回の続きで「他人との比較」が良いのか、悪いのかという点について考えます。

※前回の記事です


では早速考えてみます。

実は、自分は「「比較」から生まれる「競争」」については、競争の負の側面だと考えています。そして「「比較」から生まれる「切磋琢磨」」については、競争の正の側面だと考えています。

つまり、

競争=「比較の正の側面(切磋琢磨など)」+「比較の負の側面(不正など)」

だと捉えています。


比較することで、「競争の意識」というものが無意識に表れる場合があると思うのですが、この時、例えば、テストなどでカンニングする等の不正をする場合と、例えば、同じチームの中でライバルとしてお互いしのぎを削って頑張る場合と少なくとも2パターンはあると思っています。

ここで大きな違いとなるのが、恐らく、競争相手が「仲間」なのか「」なのかという視点だと思います。

この違いがどこから生まれるのかについては、細かく考え過ぎると研究レベルになってしまうと思うので、ここではシンプルに考えてみます。すると、恐らく「自己肯定感(自分を肯定する気持ち/自分は出来るんだ=能力)」には関係がるのかなと思いました。

但し細かく言うと、自分は「自己肯定感」は「自己受容感」があってこそだと考えているので、まずは「自己受容感(自分を良い悪いは別にして受け入れられる気持ち/自分は自分の味方=存在 )」が大切だと思っています。


教育実践の際、その目的の1つに、よく「自立」という言葉が挙げられると思いますが、

「自立」って一体何なのでしょうか?

経済的な自立や親からの自立、社会的な自立など色んな側面があるかと思いますが、今回は精神的な自立について自分は考えました。

自分は、

精神的自立とは、「自分の価値を「自分でも」決められる人」

だと思っています。


学校や会社などの組織の中にいると、自分の価値(成績・業績)を決めるのは、一般的には先生や上司、取引先だと思います。この時、相対評価であることが多いと思うのですが、これはつまり、「ほかの誰かと比較されなければならない」事を意味していると思います。ここから教育の文脈で、学校に限って考えますが、例えば、良い成績をとりたいと思う生徒がいて、その生徒にとっては、「勉強を頑張って良い点数を取る」とか、「先生に好かれる事を目指す」とか、色々とあると思います。

ただその中で、例えば、ある先生Aと他のある先生Bの評価基準・方法が全然違うとしたらどうでしょうか?(この事は実際よくあると思います。先生によって言っている事が違う・・・etc)

この時、その都度、先生に合わせて、もしかしたら「自分の振る舞いや考え方を変える」こともあるかもしれません。そういう能力を育てることは、ある意味、思いやりや、協調性、臨機応変さを育てるといった場合には、大切かもしれないですが、(自分の思う)「自立の心を育てる」という場合には、この事が問題となる事もあるのではないかと思っています。

というのも、評価基準が何個もあると2重の意味で、問題になると思っているからです。

1つは、評価基準が何個もあると、一つずつ対応していくのには大きな労力がかかるので、もちろん全ての生徒がそうなる訳ではないですが、「敵(同級生)」に勝つために、手っ取り早く、「不正」を行うという選択肢も出てきてしまうのではと思います。本当は、「自分は誰かから認められたい」という想いだけだったのかもしれないですが、その「気持ち」と「評価」が結びつくことによって、競争の負の側面が出てきてしまう可能性もあるのではないかと思っています。

そして、もう1つは、「他者から評価されるのが当たり前だ」という意識が無意識に育ちやすいのではないかという点です。良い評価をされるために相手の期待に沿う事に慣れると、自分の感情を押し殺してしまい、本当は何をしたいのか段々と忘れてしまうのではないでしょうか。実は、自分は完全にこの類でした。学校の先生に評価される事が正しい事だと思っていて、怒られるのが怖くて、「(その先生にとっての)良い生徒」を全力で目指していました。そのせいかどうか本当の所では分かりませんが、何かに対して「○○をしたい!」という強い気持ちを普段あまり持つ事がありません(もちろん、必ずしもやりたい事がある方が良いとは言いません。あと教育施設設立については熱意があります!!)。

そして、この2点の問題が結びつくことで、相乗効果的に競争の負の側面が高まってしまう事があると感じています。自分は学部生の頃、臨床心理学を専攻していたのですが、教育現場への実習に半年ほど参加させてもらった際、そのように思うこともありました。

なので、自分は「他者から評価をしてもらう一方で、自分自身でも自分を評価できる瞬間」があっても良いと思っています。そしてそれを周りの人とシェアしたりする(話し合う)事で、「自分の価値を自分で決められる瞬間があると良いな」と思っています。

それは、自他から評価を通して、

「自分の人生により愛着や責任が持てたり、自己理解や他者理解に繋がる」

と思うからです。

こういう他者とのつながり方は、自己受容感や自己肯定感にも繋がってくるのではないかと思います。そしてこうした経験や体験が、「個性」と同時に「協調性」や「社会性」も育む1つのキッカケになるのではと感じます。

話がまた少し逸れてしまいましたが、他者比較の問題はここで一旦終わりにしたいと思います。恐らく、もっと色んな側面から「比較の問題」、「競争の問題」を検討できるのかなとは思いますが、自分のこれまでの体験や友人との話し合いから、今回書いた所が特に重要な点だと、少なくとも今の自分はそう感じています。教育施設をつくる際には、もし「評価」という側面を取り入れなければいけないとしたら、「自他共に評価し合える仕組み」を考え、実践していきたいなと思っています。

この辺の具体的な方法・アイデアについても、今後noteにまとめられたら良いなと思います。


ということで、今回の結論は「同じ競争でも比較する他者を仲間だと思えるなら良い」のではという事でした。


前回の結論とも合わせて考えれば、

「他者比較」は「自分も相手(仲間)も成長できる場合なら良い」

という辺りになるかなと思います。


この点を踏まえて、再度「考える力」、特に考える力の「生かし方」に注目しながら、次回自分の考えをまとめていけたらなと思います。


今回も読んで下さりありがとうございます!



まだまだ教育施設設立までは長い道のりですが、少しでも自分たちの想いに共感してくださる方がいらっしゃれば本当に嬉しく思います。そういう方は、是非一緒によろしくお願いします!笑 またいつも応援してくださる方、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。