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『最悪の話』

 また今夜も来る。また今夜もあいつが来る。そして私のことを鼻で笑う。

「ふんっ・・・」

 母の入院中、あいつは2回目の脳梗塞で緊急入院した。普段から隠れてタバコを吸ったりお酒を飲んでいたようだが、母の入院で監視の目が無くなったことをいいことに、元の不摂生な生活に戻ってしまったようだ。その途端、脳の血管が詰まってしまい、半身麻痺の状態で入院した。その後、あいつは病状が回復し、多少の不便さは残るものの退院することができたが、肝心の母はそのまま帰らぬ人となってしまった。
 母は長い間サルコイドーシスという難病を患っていた。最後は心臓にできた腫瘍がもとで死んでしまった。そんな母の葬式で、あいつはトイレをウオシュレットにしてあげなかったことや、全自動洗濯機を買ってあげなかったことを後悔し、子どものように泣いていた。私と弟は、体が自由に動かなくなった母のために買って欲しいと何度もお願いしたのだが、いつも勿体ないとか贅沢だとかの一点張りで、全く買う素振りなんてなかった。
 脳梗塞の後遺症で、喪主であるべきのあいつは満足に動けないし喋れない。そのため私が喪主をやることになったが、あいつは葬式の祭壇の値段が高いから安くしろとか、骨壺になんでそんなにお金を払わないといけないのかとか、母への感謝や鎮魂の気持ちより、お金のことばかりを言っていた。脳梗塞を患うと、その人間の嫌なところが増幅されると聞いたことがあるが、それにしてもあいつのお金に対する執着心は酷すぎる。手伝いに来た葬儀屋の社員に対して、人の死で儲ける最悪に奴らだと悪態をついていた。

本当に最悪だ。

 あいつは昔からそうだ。食べるものにはお金に糸目をつけないが、それ以外は極端にせこい。タイヤが取れそうな車に乗り続け、トランクが錆びて穴が開いても直そうとしない。挙句の果てに、整備代をケチったせいで車が壊れたのに、車屋に保証しろと怒鳴っていた。テレビも地デジに変わる際、こちらの都合で買い替える訳ではないので、利益を得る電気屋が何割か負担すべきだと配達にきた電気屋のおじさんに絡んでいた。
 年に数回、家族で外食をするのだが、その時はどこかの国の王様のように店で威張り散らす。確かに店で一番高いメニューを注文しているようではあったが、それらを普段から食べている訳ではないのに、「うん、いつもの味だな。よく精進した。」と、シェフをテーブルに呼びつけて意味不明のコメントを残していた。
 私はあいつのやること一つ一つをずっと恥ずかしいと思ってきたが、母は何故かいつもニコニコ微笑んでいた。

 家族を持った今でも、あいつと一緒にいた母の気持ちはさっぱり理解できない。

 そんなあいつも、3回目の脳梗塞で倒れると、本能のみで生きる肉の塊になってしまった。詰まった血管の場所が悪く、人としての機能が一切なくなってしまい、生きるために必要な基本的な機能以外をすべて失ってしまった。人としての感情すらない、ただ生きているだけの生き物になってしまった。
 ただ生きているだけの生き物は、お酒やタバコを欲しがらない。さらに病院でバランスの取れた食事とリハビリという適度な運動を行うことで、脳以外の部分はどんどん健康になってしまう。あいつは人で無くなってから、とても健康になり、老衰で亡くなるまで10年以上生きた。私たち姉弟はあいつのために高額な医療費を10年以上納め続けた。あいつは”自分が死ぬことで家族にお金が支払わられることが嫌い”という理由で、生命保険に入っていなかった。そのため、あいつにかかった医療費は全て私たち姉弟が負担することになった。

本当に最悪だ。

 入院中、私はそんなうっぷんを晴らすかのようにあいつを殴った。足を抓ったりした。お見舞いという名の行いは、私にとって復讐という名の行いとなった。そんな復讐が楽しみで、私は足繫くあいつが入院する病院に通った。そして私の分や母の分の復讐をしてやった。
「おはよう。元気?」と言って布団の上から一発殴る。
「今日は顔色が良いのね。」と言って脹脛を思い切り抓る。
「また来るね。」と言ってほほを叩く。
 私の体の芯にジィーンとなにか特殊な感情が湧き、何かが解放されていく。うまく言い現わせられないがとても気持ちが良い。生まれて初めてあいつに感謝した。
 もうあいつを殴っていないと、気がおかしくなりそうだった。朝、病院に行って、仕事の帰りに病院に行って、私はどの入院患者の家族よりも病院に行っていた。看護師さんたちからは、とても献身的な娘と言われていた。

 そんなある日、あいつはぽっくり死んでしまった。

 これで医療費を払わなくていいと思う安堵感以上に、明日からもうあいつを殴れない抓られないという不安が襲い掛かって来た。しかしそんな心配は無用だった・・・

 あいつが死んだあと、なぜか長男が会社でうつ病になってしまい会社を辞めた。長女は大学受験に失敗して急に引きこもりになってしまった。次男は痴漢をして大学を自主退学した。夫が会社の若い女と不倫していることがわかった。
 なぜか悪いことが続いた。そして私の家はめちゃくちゃになった。

最悪の話だ。

 ときを同じくして、夜、布団に入るとどこからか聞き覚えのある笑い声がした。

「ふんっ・・・」

 誰かすぐに分かった。あいつだ。あいつが”ざまあみろ”と鼻で笑う。毎晩、うちに来て笑う。ざまあみろと・・・

「ふんっ・・・」

「ふんっ・・・」

また今夜も来る。また今夜もあいつが来る。
そして私のことを鼻で笑う。ざまあみろと笑う。

「ふんっ・・・」

本当に最悪だ。

「ふんっ・・・」

「ふんっ・・・」

また今夜も・・・

おとうさん、もう勘弁してください・・・


おわり

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