見出し画像

#26 適応障害になった時の話

住む場所の変化、仕事で異動・転職。人間関係の変化など、生きているうちに色々あります。受け取り方は人それぞれなので、他の人にとって大したことでなくても、自分にとっては大事なのでバカにできません。辛いものは辛いのです。

今回は、僕が適応障害になった時の話をします。
結局、自分でどうにかするしかないと立ち直った話なので不幸な話ではありません。

新卒の会社で太陽光発電所の施工管理をしている時でした。
元々文系の学生でしたので、理系の仕事はしんどいことも多かったのですが、それも少しずつ慣れてきた頃で任されることも増えて、変に慣れていた時期です。
当時、ある発電所のプロジェクトにアサインされたのですが、私はそのプロジェクトに反対していました。
プライベートの理由でも、会社的な理由でも反対しており、最終的に「半年だけやから頼むわ。」と言われて渋々受けました。1年は絶対かかると個人的に踏んでいましたけどね。

ちなみにプライベートな理由は、
・一人暮らしを始めるために物件を契約した
・持病の痔が調子悪かった(重要)
・以前ストレスで胆嚢炎になった
会社的な理由は、
・在籍していた部署が他部門に吸収される可能性が高いこと
・粗利益がないこと
・遠方で費用がかかること
簡単に言えばこんな理由です。他にもたくさんありましたが、会社側の理由は簡単に言えば、部門が社内で生き残るためです。

当時は自分で借りた家と会社の名義で借りた家があり、実家にも戻る必要もあり、会社に行く必要もあるという事で、結構大変でした。
そして現場に入って環境の変化が原因で2ヶ月後に痔が爆発して入院。
プロジェクトのアサインはほぼ出向みたいな感じだったのでやり方も新しく覚える。家のことがあるので移動で睡眠時間がなくなるなど、悪いループにどんどんハマっていく感覚がわかっているんですが、”半年間耐えれば・・・”という気持ちで必死で食らいついてましたね。

途中、工期があと1年かかるとわかったり色々あり、言わんこっちゃないと思う一方で結構ショックを受けた日を境に、
・睡眠障害
・車の事故(スリップ事故による物損)
・急に涙が出る
・体調不良
などなど、いつもの自分とは違うなと思うことが多くなりました。
で、社外の先輩に相談すると、病院行ったら?ということで病院に行ったら適応障害だったというわけです。
そこから1ヶ月休職し、退職の相談。結局退職はせず、部署を異動して本来の希望の営業になったのです。

鬱一歩手前で止めることができましたが、病院に行って診断書をもらってなければ、多分、また体調を崩し良くないループが続いていたと思います。
同期や友達に話をすると、
”体丈夫でも、油断できへんねんな”とか
”まさかお前がねぇ”とか
”普段の話聞いてたらいずれそうなると思ってたよ”など言われました。

この経験から思うことは、
・自分のことは自分でしか変えられない
・プライベートも仕事も大事

自分のことは自分にしかわかりません。
自分のことは自分でしか守れません。
本当にピンチな時は逃げても良いし、理不尽とは戦っても良いです。
自分を守るためには精神的にも肉体的(知恵)にも自分を強くするべきです。
自分で立ち直れない時は周りに助けてもらえば良いし、休んでも良いのです。
助けてもらうなら、受けた恩は忘れてはいけないです。

「恩を受けた人は、その恩を心にとめておかなければならない。
 しかし、恩を与えた人は、それを覚えているべきではない。」
「施して報を願わず、受けて恩を忘れず。」

今振り返れば、適応障害になって今があるので、辛い経験も経験しておくもんだなと思います。
自分の経験を共有して楽になる人がいれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?