最近の記事

  • 固定された記事

ゾマーさんのこと パトリック・ジュースキント

#海外文学のススメ  ゾマーさんはいつも歩いている。難しい顔をして、脇目も振らず、肩を越すほど長いステッキを推進力にして、猛烈なスピードで歩いている。  ぼくが木登りをしたり、女の子に恋をしたり、いやいやピアノを習ったりしている間、上機嫌で自転車に乗ったりしている間にも、ゾマーさんは黙ってずっと歩いている。  あまりにいつも歩いているものだから、その姿を目にしても、誰もそれを話題にしたりしない。「ほら、ゾマーさんが歩いて行くよ」なんて、あえて言うようなことではないのだ。  

    • 世界は積読に溢れている 10

       でも、本が並んでいるのを見るだけで心は動く。  本なんて興味のない人の目には、文字ばかりが詰め込まれた、何の面白みもないものに映るのだろう。全部同じように見えているのかもしれない。  しかも読まないのに買って積んどくとか、まじ意味わからんですよね。  積読する人の自意識は若干ややこしくて、どれだけ積んでも、別にコレクションしているつもりはない。ものごとはなんでも過剰なだけで心に響きがちと思うけど、集めて並べて眺めるだけで幸せなコレクションとは、心持ちがちょっと異なっている

      • 世界は積読に溢れている 9

         前回は読んだ本について書いてしまいました。今回こそ積読している本について書こうと思います。  村上春樹著、『街とその不確かな壁』を、発売以来1年間、机の上に乗せたままにして、いつか開く日を待っています。  『1Q84』あたりから始まった村上春樹著作限定の、能動的に積読するルーティーンなのですが。  新作長編が出れば、必ず発売日に書店に行って買う。そして読まないまま常に見えるところに置き、年単位で熟成する。たまに手に取って埃を払うが、まだ読まない。そして丁度良い期間を経て、

        • 世界は積読に溢れている 8

           読んだ本についてさえ、語るのは難しい。  全部が理解できるわけでもなく、記憶は曖昧になり、生まれた感情は掴む間もなく消えていく。  そもそも結論を求めて読んでいるわけでもない。読んでいる過程が好きなのだ。  とは言え、後から思い返して考える。一通り読んだけど、これは読んだと言えるのか?ちょっと頼りない気持ちになる。  そんな気弱な読者を勇気付ける一冊がある。これがベストセラーということは、多くの人が読書についてなんかモヤモヤしているのだろう。  ピエール・バイヤール著、『

        • 固定された記事

        ゾマーさんのこと パトリック・ジュースキント

          世界は積読に溢れている 7

           アメリカはニューヨークに「ストランドブックストア」という、新刊と古書の両方を扱う有名老舗書店があり、これはそこのオリジナルトートバッグです。  残念ながら、行ったことあるわけじゃなくて、誰かのお土産というわけでもなく、ネットで見かけて衝動買いです。  書かれている文言に深く頷いて、ずっと部屋に飾っています。  「18 MILES OF BOOKS」が書店のキャッチフレーズだそうで、18マイルって何キロだっけ。29キロメートル弱。並べたらその距離になるくらいの在庫あります、

          世界は積読に溢れている 7

          世界は積読に溢れている 6

           世界は積読を隠している。  書物が堆く積まれていてこその積読ではないでしょうか。そうじゃないと感じが出ない。  しかし21世紀になり、普段は遠くにいて、呼べば手のひらサイズで現れる書籍が登場して、積読の概念が揺らいでいる。個人的に。  電子書籍というものがある。場所をとらないし、出先でもすぐに読めるし、とても便利だ。  購入も指先だけで終了するから、セールの時とかにどんどん買って、読めないまま放置して、そして溜まった未読のタイトルの羅列に、戦々恐々としている人も多いかもし

          世界は積読に溢れている 6

          世界は積読に溢れている 5

           先日ひどく体調を崩して、内科にお世話になった。  そこは初めて行く近所の町医者で、表通りから一本入った少し分かりにくい所にあった。玄関ドアは普通の民家のような木製で、それを開けると土間があり、上がり框で靴を脱ぐ作りになっていた。  スリッパに履き替え、受付で保険証を出して、問診票を書いたところで一旦力尽き、ふらふらと待合室の椅子に座り込んで目を閉じた。  しんどいということしか考えられなかった。  しばらくして名前を呼ばれ、一通り診察を受けて待合室に戻ってくる頃になってよう

          世界は積読に溢れている 5

          世界は積読に溢れている 4

           いつの間に夏休みがすぐ隣に近寄ってきた。  書店では夏の文庫フェアが始まっている。各社色とりどりに並べられた文庫の列を見るのも、夏休みの楽しみのひとつで、毎年必ず何冊かは買ってしまう。  文庫フェアで買うなら未読のものにするという個人的決まりごとがある。しかしラインナップは毎年、過去の名作が大きな割合を占めている。つまり読んだことのない本は少しずつ減ってくる。  時間ばかりはたくさんあった学生時代には、書店の文庫フェアコーナーの平積みの山や棚差しの枠を一列ずつ見て、一区切り

          世界は積読に溢れている 4

          世界は積読に溢れている 3

           辞典や辞書が開かれないまま埃をかぶっていようとも、それを積読とは言わない。  世の中には辞典を通読する方がいらっしゃると聞きますが、自分にはその癖はなくて、せっかく文字にして残しておいてくれているのだから、必要な時だけ開いて必要な部分だけ読めばいいのでは、という穏当な「使い方」をしている。  そういう人の方がきっと多いだろうし、それに「ネットで検索」がここまで普及すると、もはや紙の辞典に多くの出番はないだろう。  そんなわけで、読まれていない部分の方が圧倒的に多い辞典辞書が

          世界は積読に溢れている 3

          世界は積読に溢れている 2

           たくさんの本に囲まれると、軽く我を失うことがある。  大型書店や図書館などで、書架に並ぶ膨大な数の本の渦中に立ち尽くし、その中で既読の本など砂漠の中の一粒の砂に過ぎず、こんなにも読んだことのない本があってどうしたらいいのだろう…と眩暈を覚え途方に暮れる。  どうしたらいいのだろうも何も、そもそもお前はこれを全部読むつもりなのかと、心の片隅で冷静な自分は言っている。しかし常日頃、なるべく多く本を読みたいなどと考えている人間は、圧倒的な物量に簡単に呑み込まれてしまうのだ。  な

          世界は積読に溢れている 2

          世界は積読に溢れている

           積読はしない派だった。というかできなかった。買った本借りた本は、我慢できなくてすぐ読んだ。  わかってもわからなくても、面白くてもそうでもなくても、あまり関係ないことのようだった。飢えている時は何でもおいしい。  次読む本が手元にないと落ち着かない派でもあったので、近い日に読む本として何冊かの未読の本が部屋の中に常にあった。もちろん鞄の中には、読んでいる本と次に読む本が入っていた。  図書館で借りたり、古書店で売ってしまったり、手元に残っていないほうが数多い。それでも自宅の

          世界は積読に溢れている

          「ドミトリーともきんす」 高野文子

           『科学の本ってヒンヤリして気持ちがいい』  巻かれた帯の裏表紙側に、作者による言葉があった。  「ヒンヤリ」なんていう「感じ」で、原理原則を追究する科学の本を評している。  科学について易しく優しく書かれても、まだわからないままに読むときに感じている気持ちはこれだと思った。  なんだかわからないけど、触れると気持ちがいい。  科学の人が書いた本をたまに読む。科学の素養は中学止まりだが、物事を構造的に理解したいという願望だけは持っている。  整理整頓が好きなのだ。種々雑多

          「ドミトリーともきんす」 高野文子

          南中時の影が一番短い日

           眠れない夜に、夜は暗くて静かでいいと思うときと、暗くて静かでしんどいと思うときがある。  夜と同じように、昼についても抱く気持ちは正負の両方がある。明るさが心を晴れさせる場合と、それが逆に心を沈ませる場合。  ところで昨日は夏至だった。  今年の初夏は風が強いな、さっきまで雨が降っていたとは嘘みたいな晴れだ、今日は日が長いな、なんて、世間話みたいなことをひとり心の中で思っていて、梅雨入りしたというニュースを聞き、そういえばそろそろ夏至なのではと思いついて、調べてみたら当日

          南中時の影が一番短い日

          それがいいのに決まっている

           読めば読むほど、生きれば生きるほど、「絶対」は無くなって、多くのことがらが「相対」の沼に沈んでいく。  たとえば、広い視野を手に入れたいという願望があったとして、世界を股にかけて活躍している人生の先達に話を聞く。  曰く、いろんな場所に行っていろんな経験をしなければならない。通り一遍ではあるが、だからこそ正しそうなアドバイスを受けたとする。  でもそれ本当にそうなのか?しなければならない、とか言ってる時点で、けっこう狭量なのでは。井の中の蛙には、井の中で生き残るための、深

          それがいいのに決まっている

          「心はこうして創られる」 ニック・チェイター

           人の行動にはすべて根拠があって、それは心で何を感じ考えているかによって決定される、とあなたは思っているでしょうが、本当にそうなの?実はその行動に確たる理由なんてないでしょ?てことは、心なんてないってことでしょう。  というようなことを、心理実験の結果などを科学的根拠として、ずっとこの本は言うのだけれど、「心などない」とまで言われると、それは実感とはちょっと乖離している。  摑みどころはないけれども、ないわけじゃないよなぁ。この嬉しさや苦しさを心と呼ぶなら、それは確かにここ

          「心はこうして創られる」 ニック・チェイター

          今年の寺の猫

           今年も藤の季節が来て、年に一度の寺参りをした。母方の親類が骨となり身を寄せている寺だ。  毎年その境内で出会う猫がいる。威風堂々とした八割れの猫で、本堂縁側の足の陰に姿勢良く座り、お参りする我々を静かに眺めているのが常だ。  昨年会ったときに、また会おうと約束をしたのに、今年は姿を見せなかった。  どうしたのだろう。もうそれなりの歳だと思うし、心配になるが安否を確かめるすべもない。  姿を見たいなと思ったが、猫を待つほど詮無いこともない。待っても、猫は来ない。  潔く諦めて

          今年の寺の猫