それがいいのに決まっている
読めば読むほど、生きれば生きるほど、「絶対」は無くなって、多くのことがらが「相対」の沼に沈んでいく。
たとえば、広い視野を手に入れたいという願望があったとして、世界を股にかけて活躍している人生の先達に話を聞く。
曰く、いろんな場所に行っていろんな経験をしなければならない。通り一遍ではあるが、だからこそ正しそうなアドバイスを受けたとする。
でもそれ本当にそうなのか?しなければならない、とか言ってる時点で、けっこう狭量なのでは。井の中の蛙には、井の中で生き残るための、深くて広い知恵があるだろう。
広い視野ってそもそも何なのか、考えたほうがいいよ、とアドバイスのようなそうでもないような言葉を受けたとする。
いや、そんなメタなこと言われても。ズバッとひとつ、人生の指針たり得るなんかが聞きたかった、とか思う。
答えをもらっても、もらえなくても、そっちの視点から見ればそうだし、こっちの視点から見ればこうだ。
相対の沼はそこらじゅうに広がっていて、全部を飲み込んでいく。
結局すべて言葉と概念と定義の問題か。
周りも自分も、外側も内側も変化するし。
絶対的な事柄なんて、ないのだろう、たぶん。
子どもの頃には、「それがいいのに決まっている」ことがたくさんあった気がするのに、今では何ひとつ無くなってしまった。
その状態がいいのか、そうでもないのか、それすらも沼に引きずり込まれて見えなくなった。
安易に答を決めないで考え続けることこそが大事らしいのだが、とりあえずなんでもいいから決めてしまいたいとも思う。
そんな沼の中、先日読んだ本で、次の言葉を見かけた。
ほんと、相対主義は悪夢のようだよね、と思うと同時に、絶対主義も悪夢だけどね、と思う。
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