それがいいのに決まっている

 読めば読むほど、生きれば生きるほど、「絶対」は無くなって、多くのことがらが「相対」の沼に沈んでいく。

 たとえば、広い視野を手に入れたいという願望があったとして、世界を股にかけて活躍している人生の先達に話を聞く。
 曰く、いろんな場所に行っていろんな経験をしなければならない。通り一遍ではあるが、だからこそ正しそうなアドバイスを受けたとする。
 でもそれ本当にそうなのか?しなければならない、とか言ってる時点で、けっこう狭量なのでは。井の中の蛙には、井の中で生き残るための、深くて広い知恵があるだろう。
 広い視野ってそもそも何なのか、考えたほうがいいよ、とアドバイスのようなそうでもないような言葉を受けたとする。
 いや、そんなメタなこと言われても。ズバッとひとつ、人生の指針たり得るなんかが聞きたかった、とか思う。

 答えをもらっても、もらえなくても、そっちの視点から見ればそうだし、こっちの視点から見ればこうだ。
 相対の沼はそこらじゅうに広がっていて、全部を飲み込んでいく。

 結局すべて言葉と概念と定義の問題か。
 周りも自分も、外側も内側も変化するし。
 絶対的な事柄なんて、ないのだろう、たぶん。

 子どもの頃には、「それがいいのに決まっている」ことがたくさんあった気がするのに、今では何ひとつ無くなってしまった。
 その状態がいいのか、そうでもないのか、それすらも沼に引きずり込まれて見えなくなった。
 安易に答を決めないで考え続けることこそが大事らしいのだが、とりあえずなんでもいいから決めてしまいたいとも思う。

 そんな沼の中、先日読んだ本で、次の言葉を見かけた。

悪夢のごとき相対主義

心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学 ニック・チェイター

 ほんと、相対主義は悪夢のようだよね、と思うと同時に、絶対主義も悪夢だけどね、と思う。

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